洋館に寄り添う和の座敷

髙添家が宝塚の丘に洋館を建ててから二十六年後、この家はまったく性格の異なる二棟目を加えた。昭和29年(1954年)竣工の髙添家住宅和館である。木造平屋建、瓦葺で、建築面積はおよそ104平方メートル。昭和3年の洋館とともに暮らすことを前提に設計され、両棟は渡廊下で結ばれた。住む者は、西洋風の居間から一歩も外に出ることなく、畳と障子の部屋へと移ることができた。

洋風の棟と和風の棟を一つの敷地に並べるこの和洋併置の構えは、二十世紀前半から中頃の阪神間の富裕な家々に広く見られたものである。洋館が接客や見せる場を担い、和館が日々の暮らしとそれにともなう営みを担う。髙添家では、その対をなす後半が戦後になってようやく整えられた。しかし前半に劣らぬ手のかけようで建てられている。

登録の理由と価値

和館は、平成28年(2016年)11月29日、敷地の他の建物と同じ第85回の登録で国の登録有形文化財(建造物)となった。登録番号は28-0655。登録基準は洋館とは異なり、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。建物の価値が、それが支える周囲の景観と分かちがたく結びついている場合の区分にあたる。

平面は読み解きやすい。中央に玄関を据え、その北に食堂と台所を置く。東には座敷飾を備えた八畳間を設け、外側には縁を廻らせる。西には旧茶室を配する。この建物の見どころは規模ではなく、材と造作にある。八畳間は磨き丸太を床柱とし、床框を黒漆塗に仕上げる。良材を選び、確かな目で組み上げた座敷であることをうかがわせる造りである。洋館から入る渡廊下は弓型の船底天井で覆われ、単なる通路を一つの意匠として仕立てている。

見どころ

和館も個人の住宅であり、内部には入れない。ここに記した細部は、公開の見学ではなく登録の記録から知られるものである。それでも細部を知ることは、外から眺める見え方を変えてくれる。西端に旧茶室があり、八畳間が東の縁へと開くと分かれば、平面のなかで光と用途がどう配されていたかを思い描くことができる。

ここで最も示唆に富むのは、性格の違う二棟のあいだの連続性である。昭和3年の洋館と昭和29年の和館は、一世代を隔て、異なる材と異なる様式で建てられた。それでいて一つの住まいとして働くよう意図されていた。弓型の渡廊下は、その両者をつなぐ蝶番にあたる。街路に立ち、二つの棟が接する箇所を目でたどれば、一つの家が三十年の建築を通じて、外来のものと受け継いだものとをどう束ねてきたかが感じ取れる。

Q&A

Q和館を見学できますか。
Aできません。個人所有の住宅の一部であり、非公開です。敷地は周囲の道路からのみご覧いただき、住民の私生活にご配慮ください。
Qなぜ洋館よりずっと後に建てられたのですか。
A洋館は昭和3年、和館は昭和29年の竣工です。洋風の棟と和風の棟を対で設ける構えはこの地域に古くからありました。髙添家ではその後半が戦後に整えられ、渡廊下で前半とつながれています。
Q船底天井とは何ですか。
A天井面が中央に向かってゆるやかに反り上がり、舟の底を伏せたように見える天井です。ここでは渡廊下がその弓型に仕立てられ、簡素な通路に数寄屋風の趣を添えています。
Q床柱や床框とは何ですか。
Aいずれも床の間、すなわち和室の装飾用の一角を構成する部材です。床柱は床の間の脇を、床框はその前縁を通ります。ここでは床柱に磨き丸太、床框に黒漆塗を用いており、材選びの丁寧さがうかがえます。
Q最寄り駅からどう行きますか。
A阪急宝塚本線・雲雀丘花屋敷駅の北側の丘陵地にあり、大阪梅田からおよそ30分の静かな住宅地です。

基本情報

名称髙添家住宅和館(たかぞえけじゅうたくわかん)
所在地兵庫県宝塚市雲雀丘山手一丁目148
指定区分登録有形文化財(建造物)平成28年11月29日登録(第85回)登録番号28-0655
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
建築年昭和29年(1954年)
構造木造平屋建、瓦葺、建築面積約104平方メートル、1棟
交通阪急宝塚本線・雲雀丘花屋敷駅北側の丘陵地
公開状況個人住宅につき内部非公開

References

文化庁 国指定文化財等データベース 髙添家住宅和館
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00011367
文化庁 文化遺産オンライン 髙添家住宅和館
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/221094
宝塚市公式ホームページ 文化財一覧
https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/1060683/1060709/rekishi/1026244/1003729.html

最終更新日: 2026.07.11