山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡とは:但馬守護山名氏の本城と、その後に築いた城

山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡(やまなししろあと)は、兵庫県豊岡市出石町にある、室町時代の有力大名山名氏の本国但馬の本城此隅山城跡と、その後に築かれた有子山城跡からなる城跡で、平成8年(1996年)11月13日に国の史跡に指定された。

文化庁の記録では、指定基準は「都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡」にあたる。

文化庁によると、山名氏は室町幕府の四職家の一つで、一族が但馬、因幡、丹波、美作など11か国の守護職を兼ね、「六分一殿」と呼ばれた。

山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡の城跡

文化庁の詳細解説によると、此隅山城は山名氏の本城で、文中年間(1372年から1374年)に山名師義が築いたという。標高140メートルの此隅山の山頂を中心に、四方に延びる尾根上に削平した曲輪を多数設けている。永禄12年(1569年)に木下秀吉らの織田軍が但馬に進攻した際に落城した。

有子山城は、その後に山名祐豊が天正2年(1574年)ごろに築いた城で、此隅山の南2.5キロメートル、出石の市街の南にある標高321メートルの有子山にある。「子盗」(此隅)の名を嫌って「有子」と名付けたという。山頂に主郭と、その西に階段状に続く6段の曲輪、主郭の東南に千畳敷と呼ばれる曲輪があり、山腹には竪堀も残る。

山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡の見どころ

文化庁は、有子山城が中世の城郭から近世の城郭へ移行する過渡期の形をよく示し、山頂の見事な石垣は織豊期のいずれかの大名が築いたものであろうとしている。

豊岡市によると、有子山城跡は東西約740メートル、南北約780メートルに及ぶ大城郭で、時代の異なる石垣が大規模に残る。石垣は築城の名手藤堂高虎によるとする説もある。平成29年(2017年)には、麓の出石城跡とともに続日本100名城に選ばれた。

山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡の見学方法

豊岡市によると、有子山城跡はトレッキングや登山で訪れる人も多く、主郭からの出石の眺めも美しい。山城のため、足元に十分注意して登りたい。

問い合わせは豊岡市へ。

Q&A

Q山名氏城跡はいつ史跡に指定されましたか?
A平成8年(1996年)11月13日に指定されました。
Q山名氏とは?
A室町幕府の四職家の一つで、11か国の守護を兼ね「六分一殿」と呼ばれた大名です。
Q此隅山城と有子山城の関係は?
A此隅山城が山名氏の本城で、永禄12年(1569年)の落城後に有子山城が築かれました。
Q有子山城の名の由来は?
A「子盗」(此隅)の名を嫌って「有子」と名付けたといわれます。
Q有子山城の石垣は誰が築いたのですか?
A文化庁は織豊期の大名によるものとし、豊岡市は藤堂高虎とする説を紹介しています。

基本情報

名称山名氏城跡/此隅山城跡/有子山城跡(やまなししろあと)
所在地兵庫県豊岡市出石町
指定区分史跡
指定年平成8年(1996年)11月13日指定
員数城跡2か所
寸法有子山城跡:東西約740メートル、南北約780メートル(豊岡市)
所有者文化庁の記録に記載なし
公開状況登山道で見学可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「山名氏城跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1906
文化遺産オンライン「山名氏城跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/210750
豊岡市「有子山城跡」
https://www.city.toyooka.lg.jp/shisei/1027491/1027495/1029005.html

最終更新日: 2026.09.28