山名氏城跡:「六分一殿」の栄光と戦乱の記憶を刻む但馬の山城
兵庫県豊岡市の出石地区。風情ある城下町の背後にそびえる山々には、中世日本を代表する武家・山名氏が築いた二つの山城跡が静かに佇んでいます。国指定史跡「山名氏城跡」は、室町時代から戦国時代にかけて但馬国を治めた山名氏の本城であった此隅山城跡と、その後継として築かれた有子山城跡から構成されています。
室町幕府の四職家として権勢を誇り、最盛期には十一か国の守護職を兼帯して「六分一殿」と称された山名氏。応仁の乱では西軍総帥・山名宗全がこの地から兵を挙げ、戦国の世には織田信長・豊臣秀吉と激突しました。約200年にわたる一族の栄枯盛衰を、二つの山城は今もなお伝え続けています。歴史愛好家はもちろん、山城ハイキングや絶景を求める方にもおすすめの、但馬地方の隠れた名所です。
山名氏とは ― 日本の六分の一を支配した大名
山名氏は、清和源氏の流れを汲む新田氏の支族として、上野国(現在の群馬県)に発祥した武家です。南北朝時代に足利尊氏を支援した功績から、室町幕府において守護大名としての地位を確立しました。
その全盛期には、但馬・因幡・丹波・美作をはじめとする十一か国の守護職を一族で兼帯し、全国六十六か国のうち六分の一を支配する驚異的な勢力を誇りました。この圧倒的な権勢から「六分一殿」の異名をとり、赤松氏・一色氏・京極氏とともに室町幕府の四職家(侍所頭人に就任する家柄)として中枢を担いました。
山名氏の中で最も名高い人物が、山名宗全(持豊、1404~1473年)です。宗全は応仁の乱(1467~1477年)において西軍の総大将として、東軍の細川勝元と天下を二分する大戦を繰り広げました。伝承によれば、宗全は此隅山城に二万六千余騎を集結させ、そこから京都へ攻め上ったとされています。この応仁の乱こそ、日本を戦国時代へと導いた歴史の転換点でした。
此隅山城跡 ― 山名氏二百年の本拠
此隅山城は、出石の中心部から北へ約2キロメートルに位置する、標高140メートルの独立した丘陵上に築かれた山城です。文中年間(1372~1374年)に山名時義(師義とも)が築城したと伝えられ、以後およそ200年にわたり山名氏歴代の本城として機能しました。
城の構造は、山頂の主郭を中心に四方へ伸びる尾根上に、削平による多数の曲輪(くるわ)を配した典型的な中世山城の形態を示しています。南西に延びる尾根上には「千畳敷」の名で呼ばれる広大な曲輪があり、往時の規模の大きさを偲ばせます。北西方向の曲輪群は、空堀と土塁の組み合わせで厳重に防御されており、戦国末期に増強された可能性が指摘されています。
山麓の西側には「御屋敷」の地名が残り、守護の居館があったと考えられています。また、近隣には但馬一宮・出石神社があり、永享8年(1436年)には山名持豊(宗全)が自筆の願文を奉納するなど、山名氏の深い崇敬を受けていました。
永禄12年(1569年)、織田信長の家臣であった木下秀吉(後の羽柴秀吉・豊臣秀吉)や坂井政尚らの軍勢が但馬に侵攻し、此隅山城は落城。城主・山名祐豊は堺へ逃れ、約200年にわたる此隅山城の歴史に幕が下ろされました。
有子山城跡 ― 戦国末期の壮大な山城
此隅山城の落城後、山名祐豊は織田信長の許しを得て但馬に帰国し、天正2年(1574年)に新たな居城として有子山城を築きました。此隅山城から南へ約2キロメートル、標高321メートルの急峻な山頂に築かれたこの城は、二度と落城の憂き目を見まいとする祐豊の決意を体現するかのような堅固な山城でした。
城の名前にまつわる逸話も印象的です。落城した此隅山城の別名「子盗(こぬすみ)」が縁起が悪いとして、新しい山には「有子(ありこ)=子がある」という、子宝に恵まれることを願う吉名が付けられたと伝えられています。
有子山城の規模は東西約740メートル、南北約780メートルに及ぶ大城郭です。山頂の主郭を中心に三方の尾根に放射状に曲輪を配し、竪堀や堀切を各所に設けた堅固な構造を持っています。主郭の西方には6段の曲輪が階段状に続き、東南には「千畳敷」と呼ばれる大曲輪が広がります。主郭と千畳敷を隔てる大堀切は幅約30メートルにも達し、その規模は圧巻です。
しかし、山名氏による有子山城の支配はわずか6年で終わりを迎えます。天正8年(1580年)、豊臣秀吉の弟・秀長率いる軍勢に攻められ、城は陥落。城主・山名氏政は因幡国(現在の鳥取県)へ逃れ、但馬における山名氏の支配は終焉を迎えました。
藤堂高虎と有子山城の石垣
山名氏の滅亡後、有子山城は豊臣秀吉の弟・秀長、前野長康、小出吉政・吉英など織豊系の城主の管理下に置かれ、大規模な改修が施されました。とりわけ注目すべきは、山名氏時代には存在しなかった石垣の築造です。
有子山城の石垣にまつわる最も興味深い伝承は、戦国屈指の築城名人として知られる藤堂高虎(1556~1630年)との関わりです。高虎の一代記「高山公実録」には「28歳の時に、羽柴秀長から出石(有子山)の築城を命ぜられた」という記述があります。もしこれが事実であれば、有子山城は高虎が最初に手掛けた石垣造りの城であった可能性があり、城郭史上きわめて重要な意味を持ちます。
現在残る石垣は、自然石をそのまま積み上げた「野面積み」の荒々しくも美しい姿を見せています。一部の石垣では、隅の角度を鈍角に広げた「シノギ積み」という特徴的な技法も確認でき、手を加えた時代ごとの石積み技術の違いを観察することができます。これらの石垣は、中世城郭から近世城郭への過渡期を物語る貴重な遺構です。
国指定史跡としての価値
山名氏城跡は、昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、平成8年(1996年)に追加指定が行われて現在の名称となりました。この指定は、以下の点における歴史的・文化的価値が認められたものです。
第一に、此隅山城跡と有子山城跡は、南北朝時代から戦国時代まで約200年にわたって但馬を一貫して支配した山名氏の本拠を、連続的に示す貴重な遺跡です。一つの武家と二つの居城の関係がこれほど明確に残されている例は、全国的にも稀です。
第二に、土塁と空堀を主体とする中世山城(此隅山城)から、石垣を備えた織豊期の城郭(有子山城)への変遷を、同一地域で比較・観察できる点は、日本の城郭建築史において極めて重要です。
さらに平成29年(2017年)には、有子山城跡が麓の出石城跡とともに「続日本100名城」(第162番)に選定されました。「優れた文化財・史跡であること」「著名な歴史舞台であること」「時代・地域の代表であること」が選定の理由として挙げられています。
見どころ・魅力
有子山城跡ハイキングコース
有子山城跡への登山道は、出石城跡内にある有子山稲荷神社の朱色の鳥居をくぐった先から始まります。山頂までは約1時間、往復約2時間の本格的な山歩きです。前半は急峻な岩場が続き、ロープを使って登る箇所もありますが、中腹の休憩所を過ぎると道はなだらかになります。トレッキングシューズ、手袋、飲料水の携行をおすすめします。熊出没注意の看板もあるため、鈴の携帯もお忘れなく。
山頂からの絶景パノラマ
有子山の山頂(主郭跡)からの眺望は圧巻です。眼下には黒い瓦屋根が連なる出石の城下町が広がり、豊岡盆地を流れる円山川、遠くには城崎温泉方面の来日岳まで見渡せます。標高321メートルから見下ろす但馬一円のパノラマは、登山の疲れを一瞬で忘れさせてくれるでしょう。秋から冬にかけての早朝には、条件が揃えば幻想的な雲海を見ることもできます。
野面積みの石垣と防御遺構
山頂付近に残る野面積みの石垣は、有子山城跡最大の見どころの一つです。主郭と千畳敷を隔てる大堀切、各所に配置された竪堀・堀切など、戦国時代の山城が持つ緊張感あふれる防御施設を間近に体感できます。石垣の積み方の違い(野面積み、シノギ積み)を観察しながら、築城の歴史に思いを馳せるのも醍醐味です。
此隅山城跡散策
有子山城に比べると訪れる人は少ないものの、此隅山城跡も魅力にあふれています。いずし古代学習館の裏手から登城でき、山頂まで約30分。石垣のない純粋な土の城(中世山城)の姿を楽しめ、静寂に包まれた山中で往時の歴史に思いを馳せることができます。起伏に富んだ尾根上の曲輪群と堀切は、城好きの心をくすぐるでしょう。
四季折々の美しさ
山名氏城跡は季節ごとに異なる表情を見せます。春には桜と石垣の美しい取り合わせ、夏には生命力にあふれた緑の山々と夕焼けに染まる円山川、秋には紅葉に彩られた山肌、冬には雪に包まれた静謐な城下町の姿を山頂から望むことができます。
周辺情報
山名氏城跡は、関西でも屈指の歴史的景観を持つ出石城下町に位置しており、城跡巡りとあわせて楽しめる魅力的なスポットが豊富です。
出石城下町は、平成19年(2007年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。格子状の町割りに沿って、伝統的な商家や武家屋敷が並ぶ風情ある街並みが続きます。町のシンボルである辰鼓楼(しんころう)は日本で二番目に古い時計台として知られ、明治以来時を刻み続けています。日本最古の現存する近代芝居小屋・永楽館での観劇も特別な体験です。
出石といえば「皿そば」も外せません。小皿に盛られた蕎麦を何皿も重ねて食べるスタイルは出石ならではの食文化で、約50軒もの蕎麦店が町内に軒を連ねています。登山でお腹を空かせた後の皿そばは格別の味わいです。
また、但馬一宮・出石神社は、古代の渡来神・天日槍(あめのひぼこ)を祭神とする由緒ある神社です。山名氏ゆかりの宗鏡寺(すきょうじ)は、沢庵和尚ゆかりの名刹として美しい庭園が見どころです。
城崎温泉へは車で約30分。歴史散策と山城ハイキングの後に名湯で体を癒す旅程は、この地域ならではの贅沢な楽しみ方です。
Q&A
- 山名氏城跡へのアクセス方法を教えてください。
- JR山陰本線・豊岡駅から全但バス「出石行き」に乗車し、約20~30分で終点「出石」下車。バス停から有子山城跡の登山口(出石城跡内)まで徒歩約5分です。お車の場合は、舞鶴若狭自動車道・福知山ICから国道9号線・国道426号線経由で出石へ。町内には大手前駐車場をはじめ複数の公共駐車場があります。
- 有子山城跡の登山の難易度はどのくらいですか?
- 初級~中級者向けの登山コースです。往復約2時間(登り約1時間)で、前半500メートルは急峻な岩場の直登が続きます。ロープが設置されていますが、滑りやすい箇所もあるため、トレッキングシューズと手袋の着用をおすすめします。中腹の休憩所から先は比較的なだらかです。水分補給用の飲料水も忘れずに携行してください。熊出没注意の看板がありますので、鈴のご用意もお勧めします。
- 入場料や開場時間はありますか?
- 此隅山城跡・有子山城跡はともに屋外の史跡であり、入場料は無料、開場時間の制限もありません。ただし、十分な日照時間を確保するために午前中からの登山開始をおすすめします。冬季は積雪や日没の早まりにご注意ください。麓の出石城跡も無料で24時間見学可能です。
- おすすめの訪問時期はいつですか?
- 各季節にそれぞれの魅力があります。春(3月下旬~4月)は桜と城跡の美しい共演、夏は緑豊かな山々と夕焼け、秋(11月)は紅葉の山肌が見どころです。秋冬の早朝には山頂から幻想的な雲海が見られることもあります。快適なハイキングを楽しむには、春と秋がおすすめです。
- 此隅山城跡と有子山城跡は両方見学できますか?
- はい、両方の見学が可能です。ただし、此隅山城跡は出石の中心部から北へ約2キロメートルの場所にあり、有子山城跡とは離れています。両方を一日で巡る場合は、朝に有子山城跡を登山(往復約2時間)、午後に此隅山城跡を散策(往復約1時間)し、合間に出石城下町散策と皿そばの昼食を楽しむプランがおすすめです。此隅山城跡へは「いずし古代学習館」裏手の登城口からアクセスできます。
基本情報
| 名称 | 山名氏城跡(此隅山城跡/有子山城跡) |
|---|---|
| 指定 | 国指定史跡(昭和9年〔1934年〕指定、平成8年〔1996年〕追加指定);続日本100名城 第162番(平成29年〔2017年〕、出石城跡とともに選定) |
| 所在地 | 兵庫県豊岡市出石町(〒668-0213) |
| 此隅山城 | 文中年間(1372~1374年)山名時義(師義)築城;標高140m;土造りの中世山城 |
| 有子山城 | 天正2年(1574年)山名祐豊築城;標高321m;石垣を有する山城(織豊期に改修) |
| 歴史的意義 | 室町時代から戦国時代にかけて約200年間但馬国を支配した山名氏の本拠地 |
| 入場料 | 無料(屋外史跡、常時見学可能) |
| 所要時間 | 有子山城:山頂まで約1時間(往復約2時間);此隅山城:山頂まで約30分 |
| アクセス | JR豊岡駅から全但バス「出石行き」約20~30分、終点下車後徒歩約5分 |
| 問い合わせ | 但馬國出石観光協会:0796-52-4806 |
参考文献
- 国指定史跡 有子山城跡 -「獅子の山城」の魅力に迫る-(豊岡市公式サイト)
- https://www.city.toyooka.lg.jp/shisei/1027491/1027495/1029005.html
- 山名氏城跡 此隅山城跡 有子山城跡 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210750
- 有子山城跡 - 豊岡市観光公式サイト
- https://toyooka-tourism.com/spot/arikoyama/
- 有子山城跡 - HYOGO!ナビ(兵庫県観光公式サイト)
- https://www.hyogo-tourism.jp/spot/846
- 此隅山城 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A4%E9%9A%85%E5%B1%B1%E5%9F%8E
- 有子山城 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%AD%90%E5%B1%B1%E5%9F%8E
- 有子山城跡 - DAYTRIP出石
- https://daytrip-izushi.jp/about/arikoyama-shiroato/
- 絶景を求めて出石城下町からハイキング!【有子山】- 豊岡市観光公式サイト
- https://toyooka-tourism.com/recommend/nature/arikoyama/
- Arikoyama Castle - Wikipedia(英語版)
- https://en.wikipedia.org/wiki/Arikoyama_Castle
最終更新日: 2026.03.06