成田の墓坑から現れた、土の顔

平成6年(1994年)の暮れ、成田市の東はずれ、南羽鳥の台地でゴルフ場造成に先立つ発掘調査が進められていた。ある小さな土坑の底近く、壁ぎわに横たわるようにして、焼き上げた土でつくられた中空の頭部が見つかった。眼も口も静かに閉じている。高さ15.1センチメートル、いちばん広い部分で13.5センチメートル。まわりに埋められた土器と同じ輪積みの技法で形をつくり、外面に粘土を貼り付けて眉と鼻、両眼と口を起こしている。人頭形土製品と呼ばれるこの一点は、他の遺跡に類例を見ない。

これが、縄文時代前期――およそ5500年前――の集落と墓域である南羽鳥中岫1遺跡から出土した。

遺跡が営まれた台地は、利根川水系へ注ぐ根古名川によって複雑に開析され、標高はおよそ32メートルを測る。調査では旧石器時代から平安時代までの遺構・遺物が6地点にわたって確認された。中心となったのはE地点で、環状にめぐる前期の竪穴住居跡19軒のほぼ中央、径およそ35メートルの範囲に314基もの土坑が密集していた。その大半は前期の墓坑と考えられている。重要文化財に一括指定された出土品は、このうち14基の土坑から得られたものである。

縄文時代前期は、稲作が広まる前の、狩猟・漁労・採集に支えられた暮らしの時代にあたる。副葬品を伴う墓そのものは各地で知られている。ただ、土でかたどった人の頭部が墓に納められた例は、いまもほとんど例がない。

14基の土坑から、20点が選ばれた理由

指定は平成15年(2003年)5月29日。対象は20点で、内訳は人頭形土製品1点、ほかの土器・土製品9点、石器・石製品10点となる。並べてみると、日々の暮らしの道具というより、死者のために選び取られた品々という性格が立ちのぼってくる。

群を抜いているのは、やはり人頭形土製品である。本体は丸底の壺形土器を思わせる半球形につくり、それを倒立させて頭頂とした。下端は土器の口縁のように仕上げ、そのやや上方に小さな円孔が4個穿たれている(うち1孔は復元)。頭髪も両耳もない。ただ眼窩と口を閉じた表情だけがそこにあり、その静けさをデスマスクになぞらえる見方もある。中空の頭部の内側からは、石の剥片が1点見つかっている。

土製品のうち5点は、けつ状耳飾である。一か所に切れ目を入れた扁平な環状の飾りで、耳たぶに通して用いた。2基の土坑からそれぞれ2点・3点が出土し、各坑のうち2点ずつは作りがよく似て対をなすと見られる。少なくとも一例では、埋葬された人がそのまま身につけていたかのような位置で見つかっている。

残る土器は深鉢形2点と浅鉢形2点。浅鉢はきわめて薄手で、赤い顔料を施した繊細なつくりである。石器・石製品には、けつ状耳飾2点、管玉1点、垂飾3点といった装身具に加え、石匙2点と石槍1点、そして剥片1点が含まれる。垂飾には琥珀、管玉には蛇紋岩が用いられたと伝わる。なかでも石槍は、はるか昔――縄文草創期に特徴的な木葉形尖頭器を、後に再加工したものだという。

ひとつの墓域から、まとまりとして出土した副葬品。そこに人頭形土製品という稀有な造形が加わることで、この一括は、前期の人びとが死をどう扱い、どう思い描いていたのかをうかがう手がかりになっている。土器や石器だけでは届きにくい領域に、土の顔が静かに触れている。

人頭形土製品を、近くで見る

実物は保管され、ふだんは公開されていない。代わりに、成田市の下総歴史民俗資料館で精巧な複製を見ることができる。急がず、しばらく眺めてみてほしい一点である。

まず目につくのは、手数の少なさと、それでも顔として読み取れる確かさだ。眉から鼻へと続く稜線、浅くくぼんだ両眼、結ばれた口。眼も口も開かず閉じているために、表情は眠りと死の間のどこかに落ち着く。下端近くの4つの小孔が何のためのものだったのか――紐を通したのか、何かを覆ったのか――は、いまもわかっていない。

出土したときの姿を思い描くと、見え方が変わる。直立して飾られていたのではなく、墓坑の底で横向きに、外へ顔を向けるようにして置かれていた。納めた人は、これを埋葬に寄り添わせるつもりだったのだろう。そう考えると、近くのけつ状耳飾は珍品ではなく持ち主の身を飾った品になり、薄手の赤い鉢は食器ではなく供えものになる。ひとつだけ時代を大きくさかのぼる再加工の石槍は、長く受け継がれ、最後に墓へ手向けられた道具のように見えてくる。

周辺情報とアクセス

遺跡そのものは成田の台地の農地のなかにあり、見学に向けて整備されてはいない。見られるのは二つの施設に分かれており、それぞれ訪ねる価値がある。

人頭形土製品の複製があるのは、成田市下総歴史民俗資料館。JR成田線の滑河駅近く、下総運動公園のなかに建つ。入館は無料で、下総地区の考古・民俗資料もあわせて展示している。開館は午前9時から午後4時30分まで、月曜(祝日の場合は翌日)と年末年始が休館。

実物20点を保管するのは、栄町の千葉県立房総のむら 風土記の丘資料館である。本件は通常展示されないが、館とその一帯は半日を費やすに足る。房総のむらは江戸時代後期の町並みや農家を復元し、そば打ちやわら細工などの体験ができる体験博物館で、隣接する風土記の丘エリアは約32ヘクタールの森にひろがる。

この一帯は龍角寺古墳群のただなかにあたる。115基を数える古墳の多くは人頭形土製品よりずっと新しいが、遊歩道沿いに数十基を間近に見ながら歩ける。なかでも岩屋古墳は一辺約78メートル・高さ13.2メートルの方墳で、7世紀の方墳としては全国最大の規模を誇る。少し足を延ばせば7世紀創建の龍角寺もある。さらに一日を組むなら、成田山新勝寺や成田国際空港も近い。

Q&A

Q実際の出土品を見ることはできますか。
A通常はできません。20点の実物は房総のむら 風土記の丘資料館に保管され、常設展示には出ていません。人頭形土製品の精巧な複製が、成田市下総歴史民俗資料館で公開されています(入館無料)。
Q人頭形土製品はどのくらい古いものですか。
A縄文時代前期、およそ5500年前のものです。ともに出土した品々も、同じ前期の墓坑群から得られています。
Q「けつ状耳飾」とは何ですか。
A一か所に切れ目を入れた扁平な環状の飾りで、土製や石製があり、耳たぶに通して身につけました。本件では、埋葬された人が装着していたとみられる位置で見つかった例があります。
Qこれは特定の人物の顔をかたどったものですか。
Aわかっていません。眼を閉じた静かな表情はデスマスクを思わせ、墓に納めるためにつくられたことは確かですが、誰かを写したものかどうかは不明です。
Qほかの見どころと組み合わせられますか。
Aはい。複製のある資料館は、房総のむらや龍角寺古墳群、大型方墳の岩屋古墳に近く、成田山新勝寺や空港も遠くありません。変化に富んだ一日を組めます。

基本情報

名称千葉県南羽鳥中岫1遺跡土坑出土品
ふりがなちばけんみなみはとりなかのこぎいちいせきどこうしゅつどひん(成田市では「なかのごき」とも)
指定区分重要文化財(考古資料)/平成15年(2003年)5月29日指定
員数一括20点(人頭形土製品1点、土器・土製品9点、石器・石製品10点)
時代縄文時代前期(約5500年前)
人頭形土製品の寸法高さ15.1cm/最大幅13.5cm/頸部幅8.0cm
遺跡所在地千葉県成田市南羽鳥
保管施設千葉県立房総のむら 風土記の丘資料館(千葉県印旛郡栄町龍角寺1028)
所有者成田市
複製の展示成田市下総歴史民俗資料館(入館無料)
公開状況実物は非公開

参考文献

文化遺産オンライン(文化庁)|千葉県南羽鳥中岫1遺跡土坑出土品
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/169425
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/10605
千葉県|南羽鳥中岫1遺跡土坑出土品
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n181-031.html
成田市|【国指定重要文化財】南羽鳥中岫1遺跡土坑出土品
https://www.city.narita.chiba.jp/shisei/page0152_00060.html
成田市|下総歴史民俗資料館
https://www.city.narita.chiba.jp/shisei/page0152_00110.html
千葉県立房総のむら|風土記の丘資料館・龍角寺古墳群
https://www.chiba-muse.or.jp/MURA/facility/page-1677732114704/

最終更新日: 2026.06.20