凝灰岩の崖に500基——十五郎穴横穴群とは
那珂川河口に近い舌状台地の南端、樹々に覆われた崖面に、500基を超えると推定される横穴墓が穿たれている。これまでの発掘で確認されたのは274基。藪と落葉土に覆われた未確認の墓を含めれば、その数は確実に倍する。十五郎穴横穴群は、東日本最大級の横穴墓群として、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡へ指定された。
所在地は茨城県ひたちなか市中根。那珂川の支流である大川と本郷川に挟まれた台地の縁辺、露出した凝灰岩の崖面に墓は集中している。造営の開始は7世紀前葉、古墳時代の終末期に重なる。そして9世紀前葉、平安時代の初頭まで追葬が続けられた。一つの墓地が約200年にわたって機能していた事例は、考古学的にも珍しい。
指渋・館出・笠谷——三つの支群と地名の由来
横穴は地形によって自然に三つの支群に分かれる。北端の台地に広がるのが指渋(さしぶ)支群。彩色壁画で知られる虎塚古墳と隣接し、両者の造営時期がほぼ重なる点が注目されている。南側の館出(たてだし)支群では、台地上に大型古墳は築かれず、横穴の上に小規模な後背墳丘を備える独特の形式が見られる。西方の笠谷(かさや)支群は、笠谷古墳第6号墳のあとに造られた第7号墳と並行して造営が始まった。
「十五郎穴」という呼び名は、文献ではなく口承から来ている。曾我兄弟の十郎・五郎がここに身を潜めたという地元の伝説に由来し、十郎の「十」と五郎の「五郎」を合わせて「十五郎」となったと伝わる。もちろん曾我兄弟の仇討ち(建久4年・1193年)から見れば、横穴墓はすでに500年以上前のもので、史実とは無関係である。それでも江戸時代の文献に既に「十五郎穴」の名で登場しており、地名としての歴史も長い。
2024年指定の意味——なぜ国史跡になったのか
館出支群の一部34基(620㎡)は、すでに1940年(昭和15年)3月に茨城県の史跡となっていた。今回の国指定はこれを大きく拡張し、三支群すべてを含む56,781.9㎡が保護対象となった。ひたちなか市内では馬渡埴輪製作遺跡(1969年指定)、虎塚古墳(1974年指定)に続く3例目の国指定史跡となる。
規模だけが評価された訳ではない。研究者が注目したのは、玄室の構造変化から読み取れる墓地経営の長期性である。指渋支群では、台地上の最初の前方後円墳である虎塚古墳の築造とほぼ同時期に横穴が造られはじめた。館出支群では古墳が築かれず、その代わりに後背墳丘付きの横穴が造られる。笠谷支群では地域の前方後円墳が成熟したあとに横穴の造営が始まる——三支群それぞれが、首長層と造墓集団の関係について異なる答えを示している。古墳時代終末期から平安時代初頭にかけての東日本社会の動態を考えるうえで、欠くことのできない事例である。
崖面を歩く——現地で見られるもの
墓室を造った凝灰岩は柔らかく、加工しやすく、そして風化しやすい。崖の根元に立つと、ひとつひとつの墓の内部を覗き込むほどの距離まで近づける。各墓は前庭部・羨道(せんどう)・玄室の三部構成。鉄製工具で削られた玄室の壁面は、1300年を経た今もほぼ平らな仕上がりを保っている。
三支群のうち、一般に開放されているのは指渋支群のみである。ひたちなか市埋蔵文化財調査センターから虎塚古墳の脇を抜け、農道を進み、雑木林の坂を下ると、突如として崖が開ける。視線の高さに大小数十基の墓口が並ぶ光景に出会う。館出と笠谷の両支群は私有地・未整備地であり、一般見学は想定されていない。アクセス路は舗装が簡易なため、歩きやすい靴で、雨の翌日を避けて訪れたい。
出土遺物は周辺施設に分散して保管されている。1950年に館出支群第32号墓から出土した銅製方頭金具付大刀は、2002年にひたちなか市指定文化財となった。同支群第35号墓出土品一括266点も、2017年に市指定文化財に加わっている。2011年度の調査では大刀、金銅装の刀子、鉄鏃、須恵器などが出土し、茨城県指定文化財となった。指渋支群の1980年代調査(120基)では水晶製の玉も検出されている。これらの実物は、隣接するひたちなか市埋蔵文化財調査センターで見学できる。
虎塚古墳と埋蔵文化財調査センター
十五郎穴を訪ねるなら、虎塚古墳との組み合わせが自然である。徒歩10分の距離にある全長約56mの前方後円墳で、7世紀初頭の築造。横穴式石室の奥壁と側壁に、白土の下塗りの上からベンガラ(酸化第二鉄)で幾何学文・武器・馬具が描かれている。石室内部の一般公開は春・秋の各8日間ほどに限られるが、隣接するひたちなか市埋蔵文化財調査センターには実寸大の精密レプリカが常設されており、構図と彩色の細部を間近で観察できる。
同センターは旧石器時代から中世までのひたちなか市内の出土資料を時代別に展示しており、十五郎穴の出土玉類や副葬品も含まれる。入館料は無料。駐車場は虎塚古墳と共用で37台分。アクセスはひたちなか海浜鉄道湊線・中根駅から徒歩約20分、東京方面からは常磐線勝田駅で乗り換える経路が一般的である。
Q&A
- 横穴墓の内部に入れますか?
- 内部への立ち入りは認められていません。凝灰岩の壁面と遺構を保護するためです。ただし指渋支群では崖の真下まで近づくことができ、外側から玄室内部を覗くことが可能です。
- 見学にはどのくらいの時間を見込めばよいですか?
- 埋蔵文化財調査センター、虎塚古墳、指渋支群の見学を含めて2時間ほどが目安です。虎塚古墳の壁画公開期間と重なる場合は、もう1時間ほど余裕を見ておくとよいでしょう。
- 見学料はかかりますか?
- 横穴墓群および埋蔵文化財調査センターは無料です。虎塚古墳の壁画一般公開のみ、見学料が必要です(年2回、春と秋に各8日間程度)。
- いつ造られ、いつまで使われたのですか?
- 7世紀前葉に造営が始まり、9世紀前葉まで追葬で使用され続けました。古墳時代終末期から平安時代初頭にかけて、約200年間にわたって機能した墓地です。
- 「十五郎穴」という名前の由来は何ですか?
- 曾我兄弟の十郎・五郎がこの横穴に潜んでいたという地元伝説に由来します。実際には横穴墓は曾我兄弟の仇討ち(1193年)より500年以上古いため、伝説は後世の付会と考えられています。
基本情報
| 名称 | 十五郎穴横穴群(じゅうごろうあなよこあなぐん) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定史跡(2024年〈令和6年〉2月21日告示) |
| 時代 | 7世紀前葉~9世紀前葉(古墳時代終末期~平安時代初頭) |
| 所在地 | 茨城県ひたちなか市中根 |
| 面積 | 56,781.9㎡(指渋・館出・笠谷の三支群を含む) |
| 基数 | 確認274基、推定総数500基以上 |
| アクセス | ひたちなか海浜鉄道湊線 中根駅から徒歩約20分。常磐自動車道経由・北関東自動車道ひたちなかICから車で約10分。 |
| 公開状況 | 指渋支群は外観のみ常時見学可。館出・笠谷の両支群は一般見学不可。 |
| 関連施設 | ひたちなか市埋蔵文化財調査センター(ひたちなか市中根3499、電話029-276-8311)。開館9:00~17:00(最終入館16:30)、月曜休館、無料。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「十五郎穴横穴群」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00004185
- ひたちなか市「『十五郎穴横穴群』が国指定史跡になりました。」
- https://www.city.hitachinaka.lg.jp/shiminkatsudo/bunka/1002389/1013681.html
- ひたちなか市埋蔵文化財調査センター 常設展示「十五郎穴」
- https://hitachinaka-maibun.jp/常設展示物案内/p_exhibit_jugoro/
- 茨城県教育委員会「十五郎穴」
- https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/ken-232/
最終更新日: 2026.05.19