兼六園の南、木立のなかの洋館

兼六園から南へ下り、赤レンガの博物館群を過ぎると、道は古いシイやマツの木立へと入っていく。樹齢数百年の樹々のあいだに、急勾配の瓦屋根を載せた木造平屋の洋館が建っている。大正11年(1922年)、陸軍第九師団の師団長官舎として建てられたものだ。第九師団は富山・石川・福井の北陸三県から兵を集め、金沢を衛戍地とした部隊である。

現在残るのは、その官舎の洋館部にあたる建物。木造平屋建、瓦葺、建築面積はおよそ248平方メートル。師団は終戦とともに姿を消したが、建物のほうは残った。半世紀のあいだ使い手を替えながら生き延び、いまは石川の文化財を修復する人々のための、ずいぶん静かな役目を担っている。

入館は無料。多くの人は緑地の小径からそのまま入っていき、自分が国の登録文化財に足を踏み入れたことに気づかないまま、館内を歩いている。

三方で表情の異なる一棟

建物を一周すると、同じ顔を二度見せないことに気づく。

正面はハーフティンバー。淡い壁面に、柱と筋かいの木組みをあえて外へ露出させ、訪れる客を迎えるように車寄を張り出している。その上には切妻の破風が突き出し、半切妻の大屋根の長い稜線を断ち切って、玄関に到着感を与えている。

角を曲がると気配が変わる。側面はモルタルを生乾きのうちに掻き落とした「ドイツ壁」で、ざらりと艶を抑えた肌が、どっしりと地に着いた印象を生む。壁の足元には袴腰屋根が、袴の裾のように低く回っている。

背面はまた軽やかだ。外壁は水平の下見板張りで、木製のガラス引き戸が並び、室内を庭へと開いている。迎えの正面、構えの側面、開いた背面。設計者は三つの面それぞれに役割を割り当てた。その役割を、建物はいまも果たし続けている。

こうした面ごとの意匠の使い分けこそ、この建物が「造形の規範となっているもの」として登録された理由である。大正期の軍官舎がどう建てられたかを示す、ひとつの手本といえる。

登録の理由と、室内で見上げたいもの

平成28年(2016年)11月、この建物は登録有形文化財(建造物)として国の登録簿に加えられた。登録番号は17-0257。登録文化財とは、保存する価値のある特徴をもつ建造物を認める制度で、これほど多くの用途を渡り歩いてきた建物にしては、当初の細部が驚くほど多く残っている。

室内に入ったら、まず天井を見上げてほしい。廊下の天井は左官の手によるもので、単色でありながら細部まで起伏を付けて仕上げられている。足を止めた人だけが気づく、控えめな技術だ。部屋ごとに天井の意匠が変えてあり、ひと目で空間を区別できるようになっている。同じ板張りの格天井でも格子の間隔に差をもたせてあり、建てた者たちのちょっとした遊び心がうかがえる。

とりわけ見どころが集まるのが二室。旧食堂(現在の多目的室)では、照明器具のまわりに漆喰の装飾がめぐらされ、暖炉飾には当初の意匠が残るとされる。旧応接室(現在のガイダンス室)には、建築当初の照明器具そのものが今も下がっている。照明は配線や流行の変化とともに真っ先に失われがちな設備だけに、大正の器具が破損を補いながらなお灯っているのは珍しい。

兵営の町から、修復の場へ

この家のその後の歩みは、それ自体が戦後金沢の小さな歴史になっている。軍が去ったのち、占領期には米軍将校の官舎となり、続いて金沢家庭裁判所、石川県児童会館、野鳥園、そして兼六園を訪れる人のための休憩館として使われた。玄関まわりは、そのあいだもずっと建築当時の面影をとどめていた。

平成20年(2008年)、県は内部を改修して和室や展示用器具を加え、石川県立美術館広坂別館として再び開いた。平成28年(2016年)の二度目の工事では耐震補強が施され、移転してきた石川県文化財保存修復工房に隣り合う形で、新たにガイダンス室が設けられた。

この最後の動きが、建物に現在の意味を与えた。一個師団の長のために建てられた家が、傷んだ屏風や掛軸、絵画を手当てする工房の隣に立っている。ガイダンス室では、その修復の過程を映像とパネルで追うことができ、タッチパネル式のディスプレイでは過去の修復事例を一段ずつ見ていける。自らと同じ「手当て」が壁の向こうで進む様子を見せてくれる歴史的建造物は、そう多くない。

周辺の見どころ

広坂別館は、兼六園を中心とした「兼六園周辺文化の森」と呼ばれる一帯にあり、見て回りたい場所のほとんどが徒歩圏に収まっている。

  • 石川県立美術館の本館は、別館のすぐ隣。所蔵の中心には、雉の姿をした江戸時代の色絵香炉の国宝がある。
  • 本多の森公園を数分歩いた先の国立工芸館は、2020年に東京から移ってきた。こちらも明治31年(1898年)の旧第九師団司令部庁舎と明治42年(1909年)の旧金沢偕行社という二棟の旧陸軍建築を移築・活用しており、別館と血のつながった登録文化財どうしである。
  • 日本三名園のひとつ兼六園金沢城公園は、すぐ北に広がる。
  • 美術館群の斜面には三つの小径が通り、鈴木大拙館、中村記念美術館、そして金沢の地名の由来とされる清泉金城霊澤へと続いていく。

切符を買う必要がないこともあって、別館は美術館めぐりの最初の一歩にも、締めくくりにも据えやすい。

Q&A

Q入館料はかかりますか。
A無料です。広坂別館の入館に料金はかかりません。
Q開いているのは何時から何時までですか。
A9時30分から17時まで、入館は16時30分までです。年末年始(12月29日〜1月3日)は休館で、行事のために臨時休館することもあります。
Q歴史的な部屋の中まで入れますか。
A入れます。旧食堂・旧応接室は多目的室とガイダンス室として日常的に使われており、ロープ越しではなく、当初の天井や照明の下に立って眺められます。ただし部屋は催し物で貸し出されることがあり、その日に自由に見られる範囲は変わります。
Q本館の美術館とつながっているのですか。
A石川県立美術館の別館で、本館の隣に建っていますが、独立した建物です。入口も料金体系も別で、修復工房に焦点を当てた施設になっています。
Q金沢駅からはどう行けばよいですか。
A北鉄バスで出羽町下車、徒歩約5分です。「城下町かなざわ周遊号」なら広坂下車、こちらも徒歩約5分。市街を歩いて向かう場合、駅からはおよそ30分です。

基本情報

名称石川県立美術館広坂別館(旧陸軍第九師団長官舎)
所在地石川県金沢市出羽町1
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号17-0257 平成28年(2016年)11月29日登録
建築年大正11年(1922年) ほかに昭和中期・昭和63年(1988年)・平成27年(2015年)改修
構造木造平屋建、瓦葺、建築面積約248㎡(1棟)
所有者石川県
開館時間9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日12月29日〜1月3日、ほか臨時休館あり
観覧料無料

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 石川県立美術館広坂別館(旧陸軍第九師団長官舎)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011280
石川県立美術館 広坂別館
https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/guide/hirosaka/
石川県立美術館 周辺環境
https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/guide/around/
国立工芸館 建物について
https://www.momat.go.jp/craft-museum

最終更新日: 2026.06.20