砂丘に眠っていた古代の祭祀場
昭和53年(1978年)、能登半島の西側を走る有料道路の工事現場で、海岸砂丘を掘り進めた重機が予想外のものを掘り当てた。焼けて赤くなった土、割れた土器、錆びた青銅製品である。この発見をきっかけに、石川県と羽咋市による3年がかりの大規模な発掘調査が始まった。砂丘の地下に埋もれていたのは、寺家遺跡(じけいせき)と名づけられることになる古代の祭祀遺跡だった。羽咋市の寺家町と柳田町にまたがり、現在では58,207平方メートルが国の史跡として保護されている。
遺跡が含む文化層は縄文時代前期から中世にまで及び、厳密には長い時間幅を持つ複合遺跡である。ただし国史跡としての価値を支えているのは、奈良・平安時代、すなわち8世紀から9世紀にかけての遺構と遺物だ。この時期、海辺の砂丘の一帯は、人が暮らす場というより、組織立った祈りの場として機能していた。
地元では、この遺跡を「渚(なぎさ)の正倉院」と呼ぶ。正倉院は奈良に伝わる宝物庫で、8世紀の品々を良好な状態で今に残すことで知られる。乾いた海岸砂丘が金属や陶磁器、祭祀の道具を密封し、傷みの少ない状態で保存していたことから、この呼び名が生まれた。
能登の入り口に営まれた祈りの場
羽咋は能登半島のつけ根にあたり、日本海の沿岸流に運ばれた人と物、文化がこの浜に流れ着いてきた土地である。寺家遺跡の周囲は、古代の重要遺跡が密集する地域でもある。能登でいちはやく稲作が根づいた弥生時代の拠点集落「吉崎・次場遺跡」が近くにあり、古墳時代には一帯に多くの古墳が築かれた。
奈良時代に入ると、寺家の浜は単なる集落以上の性格を帯びていく。その理由は文献にも残されている。のちに能登国一宮となる気多神社は古代から存在し、律令国家から手厚い扱いを受けていた。8世紀の歌集『万葉集』には、越中国司を務めていた歌人・大伴家持が、着任後まもなく「気太神宮」へ赴いたことが記されている。地方の一神社が中央政府からこれほど重視されるのは稀なことだった。寺家遺跡は、その古代気多神社の祭祀を準備し、執り行った場であったと広く考えられている。
祭祀の場は永遠には続かなかった。研究では、平安時代中期(10世紀ごろ)と室町時代後期(15世紀ごろ)の二度にわたって砂丘が前進し、遺跡を覆い尽くしたとみられている。砂が建物を埋めたその働きが、結果として遺跡を後世に残すことになった。
史跡に指定された理由
文化庁が寺家遺跡を国の史跡に指定したのは平成24年(2012年)1月24日のこと。指定の区分は「社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡」である。この区分の意味は小さくない。8世紀から9世紀の地方神社について知られていることの多くは文献に拠っており、当時の祭祀が実際にどのように営まれたかを示す物的な証拠は乏しい。寺家遺跡では、その証拠が地中に残っていた。
指定を支えたのは二種類の発見である。ひとつは祭祀場そのものだ。大規模な焼土遺構が見つかり、大きな火を焚くことが儀礼の一部だったとみられている。同様の遺構は全国でも類例が確認されていない。焼土の周囲には石組炉があり、土器、直刀、勾玉、銅鏡がまとまって出土した。日常の生活ではなく、祭祀のために区切られた空間だったことを物語る痕跡である。
もうひとつは文字資料だった。出土した土器のなかに、墨で文字を書いた墨書土器が含まれていた。記されていたのは「宮」「宮厨」「司」「神」「奉」などの文字である。これらを合わせて読むと、宮司(みやのつかさ)を頂点とし、祭祀の道具を整える厨(くりや)の施設や、儀礼を管理する役所が機能していた様子がうかがえる。国家の機関と結びつく遺物が出土したことから、ここでの祭祀には国家が関与し、寺家遺跡は国家が管理する「官社」として成立していたと考えられている。
発掘が明らかにしたもの
羽咋の資料館で展示ケースに向かうと、出土遺物の幅広さに目を奪われる。青銅製品には、東アジアの交易路を渡った海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)をはじめ、ほかの銅鏡、銅鈴、装飾的な帯金具、銅鋺(どうわん)がある。鉄製品も鉄鏡や鉄鐸、鉄刀などが見られ、日本最古級の貨幣である和同開珎も出土している。
地方の遺跡としては異例の品もある。主要な都以外ではめったに出土しない二彩・三彩の施釉陶器が見つかり、ガラスを扱うための坩堝(るつぼ)や道具も出土した。9世紀の能登で、これらは日常の品ではない。その存在は、この祭祀の場が半島を越える広いネットワークに連なっていたことの証とされる。
建物の跡もまた多くを語る。発掘では竪穴建物37軒、掘立柱建物44棟、低い土塁をめぐらせた中世の建物22棟が確認され、製塩のための炉や小鍛冶の炉も見つかった。祭祀遺物を多く含む8世紀前半の竪穴建物群は、神社に仕えた人々、すなわち神封戸(じんふこ)の住まいと考えられている。9世紀後半の大型掘立柱建物群は、溝と柵列で区画され、祭祀を司る役所と神社的な施設の性格をあわせ持っていた。
遺跡の役割をより大きく捉える解釈もある。古代の能登は日本海をへだてて朝鮮半島と向き合い、渤海国からの使節を迎える接点でもあった。当時の信仰では、海外からの使節には「異国の神」が付き従って国内に入ってくると考えられていた。寺家遺跡の祭祀には、そうした使節に対して異国の神を祓う儀礼が含まれていたとする説があり、能登に置かれた客院の施設とこの遺跡を結びつける見方につながる。これはなお仮説の段階だが、辺境の浜の祭祀の場が、なぜ国家の関心を集めたのかをよく説明している。
訪れる前に知っておきたいこと
寺家遺跡がどのような場所であるかを、あらかじめ知っておくとよい。歩いて巡れる壮大な遺構があるわけではない。保護されている範囲の多くは砂丘の地下と海岸道路のかたわらにあり、羽咋市では現在、史跡公園として整備する計画を進めている段階にある。訪れる人にとっては、資料館と周辺の地域をひと組として考えるのが実りある。
羽咋市歴史民俗資料館は、出土遺物が展示され、解説されている場所である。寺家遺跡とともに、近くにある弥生時代の吉崎・次場遺跡、さらに一帯の社寺に伝わる資料を紹介している。観覧は無料で、JR七尾線の羽咋駅東口から徒歩約10分の距離にある。年末から年始にかけて休館となる。墨書土器や銅鏡を先に見ておくと、静かな海辺に立ったときに、その風景がはるかに読み取りやすくなる。
遺跡の周辺をめぐる
砂丘から少し進んだところに鎮座する気多大社は、寺家遺跡と自然に対をなす存在であり、発掘が描き出した古代気多神社の今に続く姿でもある。旧能登国の一宮として、拝殿や、市内最古の建造物である摂社若宮神社本殿など、複数の国指定重要文化財の建造物を伝えている。出土遺物を見たあとに社殿を歩けば、埋もれた過去と今も使われている場とがひとつにつながる。
同じく国史跡の吉崎・次場遺跡は遺跡公園として整備されており、古代の集落の景観をより明確に思い描かせてくれる。海寄りには、波打ちぎわを車で走れる珍しい砂浜「千里浜なぎさドライブウェイ」が広がる。一帯に伝わる独特の神事や祭礼は、寺家遺跡が千年を超えてさかのぼって示す、海辺の祈りの系譜を今に受け継いでいる。
Q&A
- 寺家遺跡そのもので発掘された遺構を見学できますか。
- 寺社や城のように遺構をそのまま見て歩く形ではありません。遺跡の大部分は海岸道路沿いの砂丘の地下に保存されており、史跡公園としての整備は計画段階です。実際に体感するには、羽咋市歴史民俗資料館で出土遺物を見るのがおすすめです。
- なぜ「渚の正倉院」と呼ばれるのですか。
- 正倉院は奈良に伝わる宝物庫で、8世紀の品々を良好な状態で残すことで知られます。寺家遺跡では乾いた海岸砂丘が金属や陶磁器、祭祀の道具を同じように密封して守っていたため、この呼び名がつきました。
- 気多大社とはどのような関係がありますか。
- 気多神社(現在の気多大社)は古代から存在し、中央政府から重視されていました。寺家遺跡の出土遺物は、その神社に関する文献の記述と年代・性格の両面でよく整合するため、古代気多神社の祭祀が営まれた場と考えられています。
- 金沢からのアクセスを教えてください。
- JR七尾線で羽咋駅まで向かいます。羽咋市歴史民俗資料館は羽咋駅東口から徒歩約10分です。遺跡や気多大社のある海辺の地域へは、そこから路線バスやタクシーで短時間の移動になります。
- とくに重要な発見は何ですか。
- 全国に類例のない大規模な焼土遺構と、宮司の役所や厨を示す墨書土器です。銅鏡や施釉陶器、ガラス生産の道具も出土し、この祭祀の場が国家規模のネットワークと結びついていたことを示しています。
基本情報
| 名称 | 寺家遺跡(じけいせき) |
|---|---|
| 所在地 | 石川県羽咋市寺家町・柳田町 |
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 指定年月日 | 平成24年(2012年)1月24日 |
| 指定基準 | 社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡 |
| 指定面積 | 58,207.70平方メートル |
| 年代 | 縄文前期~中世(奈良・平安時代を中心とする) |
| 発見 | 昭和53年(1978年)、能登有料道路の建設工事中 |
| 所有者 | 石川県、羽咋市、法人、個人 |
| 管理団体 | 羽咋市 |
| 出土遺物の展示 | 羽咋市歴史民俗資料館(観覧無料/JR羽咋駅東口から徒歩約10分) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「寺家遺跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003746
- 文化遺産オンライン「寺家遺跡」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197318
- 羽咋市歴史民俗資料館「国指定史跡 寺家遺跡」
- https://www.city.hakui.lg.jp/rekimin/history/JIKEremain.html
- 羽咋市公式ホームページ「寺家遺跡」(羽咋の文化財)
- https://www.city.hakui.lg.jp/rekimin/history/culturalproperties/jikeiseki.html
最終更新日: 2026.05.25