手取川の源流に残る13基

甚之助谷砂防施設群は、石川県白山市白峰の手取川上流、白山の甚之助谷に築かれた砂防施設の一群で、大正4年(1915年)から昭和13年(1938年)までに造られた13基が平成24年(2012年)2月23日に登録有形文化財として登録された。標高およそ1,500メートルから2,100メートルの谷筋に、堤長13.3メートルの小さな石積みから堤長40メートルのものまでが段違いに並ぶ。

内訳は三つに分かれる。大正4年の第二号谷止工が1基、昭和7年から13年にかけて中流部に築かれた階段状の堰堤が11基、昭和8年に最上流部へ置かれた上流第一六号砂防堰堤が1基である。国土交通省金沢河川国道事務所は、このうち中流部の11基をまとめて「甚之助谷砂防堰堤群」と呼ぶ。同じ日に登録された白山の砂防施設は15基あり、残る2基は柳谷と尾添にある。

所有者はいずれも石川県。13基とも現役の施設として谷にとどまり、土砂をためる仕事を続けている。

県の事業から国の直轄へ

白山の砂防は、明治43年(1910年)に石川県知事の李家隆介が柳谷の荒れた斜面を見たことに始まる。翌年から調査が入り、大正元年(1912年)には手取川上流の甚之助谷と柳谷で山腹工と砂防堰堤の施工が始まった。ところが大正3年(1914年)と大正8年(1919年)の集中豪雨で、それまでの工事はほとんど破壊されてしまう。県は方針を変え、谷の表面の侵食を止めることと山脚を守ることに重点を移した。

大正13年(1924年)の砂防法改正で、工事が至難なとき、または工費が至大なときは国が直轄で行う道が開かれた。石川県は大正15年(1926年)に内務大臣へ請願書を提出し、昭和2年(1927年)に直轄事業とすることが認められる。同じ年、別当出合の近くに白山砂防工場が新設され、初代所長として「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄が着任した。甚之助谷砂防施設群の堰堤の大半は、この直轄化の直後に積まれたものである。

昭和9年(1934年)7月11日、残雪の融雪水に梅雨前線の豪雨が重なり、手取川流域は死者97名、行方不明15名、負傷者35名を出す水害に見舞われた。市ノ瀬では河床が12メートル上昇している。それでも砂防工事の入っていた甚之助谷と柳谷の筋では崩壊が起きなかった。この結果が砂防事業の評価を決め、堰堤群は昭和18年(1943年)に石川県へ移管された。

昭和36年(1961年)からは直轄の地すべり対策事業も加わる。きっかけは、甚之助谷の基幹堰堤だった第五号砂防堰堤が昭和2年から35年までの間に約10.5メートル動いていたことで、一帯が地すべり地であるとそこで判明した。不安定な土塊は総量4千万立方メートルを超えると推定されている。甚之助谷砂防施設群が立つのは、そういう動く地盤の上である。

堆砂の上に次を積む

赤木正雄は著書『砂防一路』で、この谷の工法を説明している。河床に基岩の露出する場所がないので高い堰堤は造れない。そこで堤高8メートル内外のものをまず下流に建て、そこに土砂がたまるのを待って、翌年度は堆積した土砂の上にまた8メートル内外の堰堤を置く。これを繰り返して両岸の山地の崩壊を抑える工法は、日本でここが最初だったという。甚之助谷砂防施設群の中流部が階段状に並ぶのは、この考え方の結果である。

水通し部の笠石を庇のように前へ突き出す納まりは、白山の直轄砂防でも初期の施設にしか見られない。13基の多くがこの庇を持ち、あるいは失われた痕跡を残す。堤体は現地で採れる石を積んで目地にモルタルを入れた練積である。大正4年の第二号谷止工だけはモルタルを使わない空積で、標高2,100メートルの現場で採取し加工した石を精緻に積み上げている。

資材は人力で運ばれた。昭和3年頃に撮られた工事写真には、骨材を担いで斜面を行き来する人の姿が残る。土木学会は平成16年度(2004年度)、中流部の堰堤群を日本最古級の階段式石積み堰堤群として選奨土木遺産に認証した。石川県内では最初の認証にあたる。

谷を下流からたどる

13基は下から上へ順に並ぶ。最下流が第一一号砂防堰堤で、堤長40メートルと群の中でもっとも長く、上に続く階段の土台にあたる。そこから第一二号、第一三号、第一四号、第一六号、第一八号、第一九号、第二〇号、第二一号、第二二号、第二三号と上がっていく。番号が飛ぶのは、甚之助谷に築かれた堰堤のすべてが登録されたわけではないからである。

そのさらに上流に上流第一六号砂防堰堤があり、もっとも高い位置に立つのが標高2,100メートルの第二号谷止工である。この1基だけが県営時代の大正4年のもので、他の12基より17年以上古い。谷の歴史は、いちばん上の1基からいちばん下へと下ってきたことになる。

別当出合から白山室堂へ向かう登山道「砂防新道」は、甚之助谷の斜面を登って甚之助避難小屋(標高約1,970メートル)に達する。中流部の階段状の堰堤群は、中飯場から甚之助避難小屋までの区間とほぼ高さを揃えて並ぶ。第二号谷止工は、甚之助避難小屋から南竜ヶ馬場へ向かう南竜道の沿線、標高2,100メートル付近にあたる。

見学方法

甚之助谷砂防施設群は山中の現役施設なので、拝観時間や料金にあたるものはない。堰堤のそばに見学者向けの設備や解説板も置かれていない。谷に近づく一般のルートは、白山の登山道を歩くこと以外にない。

起点は別当出合の登山口である。車なら国道157号から県道33号白山公園線に入り、市ノ瀬を経て別当出合の駐車場(約200台・無料)まで。ただし登山ピーク時には市ノ瀬から別当出合までの約6キロメートルにマイカー規制がかかり、この区間は市ノ瀬の駐車場(約560台・無料)に車を置いて有料のシャトルバスに乗り換えることになる。規制日は年ごとに決まるため、石川県のページで事前に確かめたい。公共交通ではJR金沢駅とJR松任駅から市ノ瀬行きの登山バスが季節運行され、小松空港からは別当出合への登山タクシーがある。積雪期は県道が使えず、谷に近づける時期は登山道が開いている間に限られる。

白山に登るときは、石川県の条例で登山届の提出が義務付けられている。登山口の届出ポストに投函するほか、インターネットからも提出できる。別当出合から甚之助避難小屋までは標高差およそ700メートルを登って2時間半ほどかかり、軽装で立ち寄れる場所ではない。撮影を禁じる掲示は確認できないが、堰堤は動く地盤の上にあり改築や補修の工事が続いているので、工事中の区域には近づかないこと。

白山砂防の全体像を先に知っておきたければ、麓の白山市白峰に白山砂防科学館がある。開館は午前9時から午後5時まで、観覧料は無料、休館日は毎週木曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月29日から1月3日)である。手取川流域の災害と砂防の展示があり、甚之助谷砂防施設群が何のために積まれたのかを映像と模型で確かめられる。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 甚之助谷第一一号砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009147
文化庁 国指定文化財等データベース 甚之助谷第二号谷止工
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009145
文化庁 国指定文化財等データベース 甚之助谷上流第一六号砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009146
国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 15施設が国の登録有形文化財に登録
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/touroku.html
国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 白山砂防事業の歴史
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/history01.html
国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 甚之助谷砂防堰堤群が土木遺産に認証
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/isan01.html
国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 昭和9年災害概要
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/saigai02.html
国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 白山砂防科学館
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/08kagakukan/kagakukan01.html
石川県 白山登山ピーク時の交通規制について
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/tozaninf/peak2.html
石川県 白山の登山届の提出の義務化について
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/bousai/bousai_g/hakusan_kazan/jorei.html
白山市 白山砂防科学館 施設案内
https://www.city.hakusan.lg.jp/shisetsu/bunkashisetsu/1002257.html

最終更新日: 2026.09.17

基本情報

名称甚之助谷砂防施設群
所在地石川県白山市白峰
所有者石川県
指定登録有形文化財 13件
座標36.13002, 136.75748