花巻の武家の通りに立つ洋風の顔
花巻の旧城下、武家町の一角にある御田屋小路。ここに、下見板張りの壁へ高い縦長の窓を並べ、北を向いて立つ木造2階建の家がある。旧菊池家住宅西洋館は、大正の最後の年、1926年(大正15年)に建てられた。その年代を隠さない外観だ。半切妻造の桟瓦葺屋根、二階軒下のブラケット、鉄板葺の腰折屋根をのせた小さな玄関風除室。かつて武家屋敷が並んだ通りには珍しい、はっきりと洋風の輪郭を見せる。
建てたのは、花巻出身で、各地の農業試験場長を歴任した菊池捍(きくち・まもる)。その名から旧菊池捍邸とも呼ばれる。自らの住まいとして建てたこの家は、二つの世界を混ぜ合わせている。正玄関と通用玄関を分け、生活の空間と応接の空間を仕切る武家屋敷の間取りの論理を保ちながら、仕上げは洋に傾く。
戸口をくぐると、その混合はさらに深まる。中廊下が平面を貫き、そこから開く部屋の多くは和室の割り付けで、床も寸法も伝統に沿う。だが天井は洋風、壁は白い漆喰、どの部屋も引戸ではなく開戸で閉じる。和でも洋でもない、落ち着いた独特の折衷。1920年代、各地を巡った一人の技術者が自らのために設計した家の姿である。
登録へ、そして失われかけて
この建物は2023年(令和5年)8月、「造形の規範となっているもの」の基準で登録有形文化財となった。花巻市では、花巻温泉の旧松雲閣別館に続く2件目の登録である。戦間期に、教養ある専門職の人々が建てた和洋折衷住宅の、よく保たれた一例として評価された。
そこに至る道は平坦ではなかった。2005年ごろ、老朽化からこの家に取り壊しの話が持ち上がり、保存運動が起こった。市の建造物評価委員会は「保存すべき」と結論づけ、市民有志が守る会を結成したが、公的な財政支援が見込めず活動は行き詰まる。2010年、盛岡の医師がこの家を購入し、長く調査に携わってきた地元の専門家に管理を託した。屋根と内装が改修され、のちに市民有志の保存・活用委員会が一般公開と先人を紹介する展示を企画。そして国の登録が続いた。
文学の余韻と、見どころ
花巻は詩人・作家の宮沢賢治のふるさとであり、この家も賢治の文学圏のなかにある。彼の掌編「黒ぶだう」の舞台とも考えられており、その説は部屋を歩く時間に静かな響きを添える。戦後、花巻郊外に隠棲した彫刻家で詩人の高村光太郎も、1946年ごろこの家を訪れ、ピアノの演奏を聴いたと伝わる。いずれも記録で確かめられた事実というより言い伝えだが、この家を町の文化的な目印のなかに確かに位置づけている。
訪れたら、まず洋の見えを担う外観の細部から。軒のブラケット、窓の縦の律動、鉄板屋根の玄関である。屋内では、二つの様式の小さな衝突と折り合いに目を向けたい。畳寸法の部屋の上にかかる漆喰天井、引戸が滑っていたはずの場所に付く開戸。この家は市民有志が管理し、機会に応じて公開されているため、突然訪ねるのではなく、公開日と時間を事前に確かめておきたい。
Q&A
- 誰が、いつ建てたのですか。
- 1926年(大正15年)、花巻出身で各地の農業試験場長を務めた菊池捍が建てました。自らの住まいとして建てたため、旧菊池捍邸とも呼ばれます。
- 「和洋折衷」とは具体的にどういうことですか。
- 外観は下見板張りの壁、縦長の窓、軒のブラケット、鉄板葺の玄関屋根と洋風です。屋内は多くが和室の割り付けですが、天井は洋風、壁は白い漆喰、どの部屋も引戸でなく開戸を用います。この取り合わせが、この様式を定めています。
- 宮沢賢治との関わりはありますか。
- 花巻は宮沢賢治のふるさとで、この家は彼の掌編「黒ぶだう」の舞台とも考えられています。彫刻家・詩人の高村光太郎も1946年ごろ訪れたと伝わります。いずれも記録で確定した事実ではなく、地元の言い伝えです。
- この家は失われかけたことがあるのですか。
- あります。2005年ごろ、老朽化から取り壊しの話が持ち上がりました。保存運動を経て、2010年に盛岡の医師が購入し、地元の専門家に修理と管理を託しました。のちに有志が一般公開を行い、2023年に登録有形文化財となりました。
- 見学できますか。場所はどこですか。
- 花巻中心部の御田屋町、旧城下の武家町にあります。市民有志が管理し、機会に応じて公開しているため、出かける前に公開日と時間を確認することをおすすめします。
基本情報
| 名称 | 旧菊池家住宅西洋館(通称:旧菊池捍邸) |
|---|---|
| 所在地 | 岩手県花巻市御田屋町65-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録日 2023年8月7日 |
| 登録番号 | 03-0119 |
| 時代 | 大正15年(1926年) |
| 構造 | 1棟。木造2階建、瓦葺一部銅板葺。建築面積 約212㎡ |
| 形式 | 和洋折衷住宅。半切妻造桟瓦葺、下見板張、中廊下式 |
| アクセス | 花巻中心部・旧城下武家町。機会に応じて一般公開 |
参考文献
- 文化庁 — 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014555
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/527187
最終更新日: 2026.07.06