北上川を望む台地に営まれた縄文集落、八天遺跡

岩手県北上市更木町、北上盆地の東縁を蛇行する北上川の左岸に、川へ向かって張り出した舌状の台地がある。総面積およそ2ヘクタール。1970年代、この一帯で開田事業が始まった折に、地中から縄文時代の住居跡や土壙が次々と現れた。1975年から1977年にかけて行われた5次の発掘調査によって、台地のほぼ全面が縄文時代中期末から後期中頃にかけての集落跡であることが判明する。八天遺跡(はってんいせき)は、1978年(昭和53年)2月22日、国の史跡に指定された。

発見と発掘の経緯

調査の結果、台地上には数多くの竪穴住居跡と、貯蔵穴または墓壙と見られる土壙群が確認された。土壙の形状にも特徴がある。深く掘り込まれたフラスコ形・ビーカー形の大形のものが目立ち、底部に近づくほど内側に広がるかたちは、貯蔵を意図したものか、祭祀的な用途を兼ねたものか、解釈が分かれている。台地の東西両斜面には、おびただしい量の土器を含む地点があり、土器の廃棄場であった可能性が指摘されている。

遺跡は単一時期のものではない。南東部からは旧石器時代の遺物包含層が確認され、中央部からは平安時代の竪穴住居跡が4棟、さらに中世の溝や井戸の跡も検出されている。北上市教育委員会は2020年から2021年にかけても発掘調査を実施し、縄文時代中期末(約4,500年前)の竪穴住居に伴う複式炉や、後期初頭の貯蔵穴を新たに確認した。台地の利用は、これまで考えられていたよりも長い時間幅にわたっていたことになる。

建て替えを重ねた大型円形建物

八天遺跡を語るとき、最初に触れずにいられないのが、台地中央部で見つかった大型の円形建物跡である。最大径はおよそ17メートル。柱穴の配置を丹念に追っていくと、同じ場所で10回近く建て替えが繰り返され、建物が徐々に内側へと縮小していった様子が読み取れる。最末期の遺構は直径8メートルほど。当時の竪穴住居としては規格外の規模である。

世代を超えて同じ位置に建て直しが続けられたという事実は、この建物が単なる住居ではなかったことを強く示唆する。集落内の共同的な集会施設、あるいは祭祀のための場と推測されている。同類の大型建物を伴う集落跡は全国的にも極めて少なく、八天遺跡が一地方の中心的な集落であった可能性を裏づける重要な手がかりとなっている。

なぜ建物が次第に縮んでいったのかは、いまだ定説を見ない。儀礼の規模や性格が時代とともに変化したと見る説、構造材の再利用に伴う技術的制約と見る説など、研究者の解釈はひとつに収斂していない。

鼻・口・耳を象った土製品

1976年の調査で、台地上の土壙のうち2基の内部から、人の顔の部位を象った土製品が出土した。鼻が5点、口が2点、耳が1点。合わせて8点という数は、奇しくも遺跡名の「八天」と重なる。出土した土壙はいずれも縄文時代後期の終末期に属し、墓壙と見られるもの、あるいは廃棄された貯蔵穴と見られるものが含まれる。

これらの土製品は単独で完結した造形ではない。背面が中空で、本体となる粘土・木・革などの支持体に取りつけられていたと考えられている。すなわち、仮面の部品である。死者の顔を覆うために用いられたとする説、祭祀の人形に取りつけられて儀礼の後に破砕・廃棄されたとする説など、解釈は今も並立している。同種の遺品が出土した遺跡は全国に数えるほどしかなく、しかも発掘によって明確な出土状況が把握できた例は八天遺跡が最初である。出土品は1992年(平成4年)6月22日に国の重要文化財に指定され、現在は北上市が所蔵している。

国史跡に指定された理由

八天遺跡が国の史跡に指定されたのは、「貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」という指定基準に基づく。その背景には、規格外の大型円形建物、明瞭な出土状況をもつ土製仮面部品、そして縄文時代中期末から後期中頃にかけての継続的な集落形成という、三つの柱がある。北東北の縄文文化を考える上で外せない遺跡として、研究と保存の双方の関心が今も寄せられ続けている。

訪ねる際の留意点と周辺の見どころ

八天遺跡は現時点で、史跡公園として整備された状態にはない。台地の大部分は農地や周辺地に組み込まれており、目に見える形の復元施設はないため、訪問は遺跡の景観そのものを体感する「土地を訪ねる旅」として捉えるのがよい。北上市文化財課が中長期的な保存活用計画の策定を進めており、将来的な公開整備に向けた検討が続けられている。来訪を考える際は、事前に北上市文化財課(電話 0197-65-0098)に問い合わせるのが確実である。

遺跡から出土した耳・鼻・口形土製品をはじめとする資料は、北上市稲瀬町の樺山歴史の広場縄文館で展示されている。同館は隣接する国指定史跡・樺山遺跡(縄文時代の配石遺構を伴う遺跡公園)の併設施設で、入館は無料。開館時間は9時から17時(入館は16時30分まで)。冬期は休館となるため、訪問前に開館状況を確認しておきたい。

周辺には、北上川沿いに長く続く桜並木で知られる展勝地(4月下旬が見頃)、平安期の天台寺院跡である国見山廃寺、そして岩手の民俗芸能の拠点として鬼剣舞をはじめとする伝統芸能が披露される「鬼の館」など、北上の歴史と風土を多面的に味わえる場所が点在している。一日の行程で組み合わせれば、縄文から中世、そして現代の祭礼まで、北上の文化史を縦に貫く旅程が組み立てられる。

Q&A

Q遺跡そのものを見学できますか?
A現時点で公開整備された史跡公園にはなっていません。台地の大部分は農地や周辺地として利用されており、史跡指定範囲や私有地への立ち入りはお控えください。将来的な公開整備については北上市が検討を進めています。
Q耳・鼻・口形土製品はどこで見られますか?
A出土品は北上市が所蔵しています。展示の有無は時期により異なるため、樺山歴史の広場縄文館または北上市文化財課(0197-65-0098)に事前確認をおすすめします。
Q「八天」という名前の由来は何ですか?
A「八天」は遺跡の所在地に関わる地名で、土製仮面部品が8点出土したこととの直接的な関係は確認されていません。ただし、鼻5点・口2点・耳1点という出土数が結果として8点になったことは、地元でしばしば話題にされる偶然です。
Qどの時代に最も人が暮らしていましたか?
A縄文時代中期末から後期中頃(およそ4,400年前から3,200年前)が、最も集落として栄えた時期と考えられています。台地中央の大型円形建物や、仮面部品が出土した土壙も、この時期に属します。
Q最寄り駅からのアクセスは?
AJR東北本線村崎野駅から車でおよそ17分です。公共交通の便数は限られるため、レンタカーまたはタクシー利用が現実的です。冬期は積雪に備えた装備で訪問してください。

基本情報

名称八天遺跡(はってんいせき)
所在地岩手県北上市更木町
指定区分・指定年月日国指定史跡(昭和53年〔1978〕2月22日指定)
関連指定出土耳・鼻・口形土製品(鼻5点・口2点・耳1点)/国重要文化財(考古資料)/平成4年〔1992〕6月22日指定
時代主体は縄文時代中期末〜後期中頃(約4,400〜3,200年前)。旧石器時代包含層、平安時代竪穴住居跡4棟、中世の溝・井戸跡も検出
面積約2ヘクタール
アクセスJR東北本線 村崎野駅から車で約17分
公開状況未整備(史跡公園としての公開整備は北上市で検討中)
関連施設樺山歴史の広場縄文館(北上市稲瀬町大谷地316)/9:00–17:00(入館は16:30まで)/入館無料/冬期休館
問い合わせ北上市文化財課 電話 0197-65-0098

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 八天遺跡
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/164
北上市公式ホームページ ― 国指定史跡八天遺跡
https://www.city.kitakami.iwate.jp/life/soshikikarasagasu/bunkazaika/bunkazaigakari/hatten/index.html
北上市公式ホームページ ― 八天遺跡概要
https://www.city.kitakami.iwate.jp/life/soshikikarasagasu/bunkazaika/bunkazaigakari/sinainobunnkazai/sisekitennnennkinennbutu/5466.html
いわての文化情報大事典(岩手県)― 八天遺跡
http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist108
北上観光コンベンション協会 ― 八天遺跡(国指定史跡)・八天遺跡出土品(国指定重要文化財)
https://kitakami-kanko.jp/location/hatteniseki/
いわての遺跡地図(岩手県)― 八天遺跡
https://maizobunkazai-web.pref.iwate.jp/遺跡/八天遺跡/
岩手日日新聞 ― 新たに複式炉発見 北上・八天遺跡 縄文時代中期末ごろ(2020年11月16日)
https://www.iwanichi.co.jp/2020/11/16/3772553/

最終更新日: 2026.05.18