柳之御所・平泉遺跡群——平泉館を歩く

かわらけの出土量は、十数トンに及んだ。儀式の席で一度だけ使い、その場で捨てる平安京の流儀の素焼きの皿である。東北では類例の乏しいその量が、奥州藤原氏の本拠地の中心がどこにあったのかを、考古学のことばで指し示した。

柳之御所・平泉遺跡群は、岩手県西磐井郡平泉町と奥州市にまたがる国の史跡である。中核を成す柳之御所遺跡、奥州市衣川の長者ヶ原廃寺跡、奥州市前沢の白鳥舘遺跡——この三遺跡を束ねた指定名称で、それぞれが平安時代末期、奥州藤原氏が築いた政治・宗教・経済のネットワークを別の角度から照らし出す。

なお、これらの遺跡はいずれもユネスコ世界遺産「平泉——仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」(2011年登録)の構成資産には含まれていない。2012年以降、拡張登録に向けて暫定リストに記載されており、2023年の岩手県の方針決定では、柳之御所遺跡を単独で正式推薦する方向が打ち出されている。

バイパス計画から救われた遺跡

北上川を東に望む台地——平泉町字柳之御所——は、近世以降、初代清衡と二代基衡の居館跡と語り伝えられてきた。確証はなかった。北上川の浸食でとうに削られ尽くしたとする見方すら長く有力で、地表からは何も見えなかったからである。

転機は昭和六十三年(1988年)に訪れた。建設省が平泉バイパスと一関遊水地堤防の建設計画を立て、ちょうどこの台地を縦断するルートが採用されたのである。財団法人岩手県文化振興事業団と平泉町教育委員会による緊急発掘調査が始まった。掘り進むうちに、幅約10メートル、深さ2〜5メートルに及ぶ大規模な堀、その内側に並ぶ大型建物の柱穴、舗装された道路、園池、井戸が次々と姿を現した。出土品の質も尋常ではなかった。中国産白磁の壺、東海地方産の陶製大甕、銅鏡、木製の呪符・形代、そして冒頭に触れた大量のかわらけ。

遺跡を保存すべきという声が市民・研究者・自治体から上がり、建設省はバイパスを半地下化したうえでルートを変更するという判断を下した。平成9年(1997年)3月5日、「柳之御所遺跡」として国の史跡に指定された。平成17年(2005年)には、関連する重要遺跡として長者ヶ原廃寺跡と白鳥舘遺跡を追加指定し、名称も「柳之御所・平泉遺跡群」に改められた。

「平泉館」と呼ばれた空間

柳之御所遺跡の範囲は最大長約725メートル、最大幅約212メートル、面積にして約10ヘクタールに及ぶ。発掘成果から、遺構は東西二つの区画に分けて理解されている。

東半部は堀の外側にあたる「堀外地区」。幅約7メートルの東西道路に面して、溝で囲まれた方形の区画が四つ並ぶ。各区画の中には庇付きの大型建物と井戸があり、堀内部に仕える有力者の屋敷群と推定されている。

西半部は「堀内地区」。約300メートル四方の空間を、幅10メートル、一部二重の堀が囲む。北側、北上川に面する側だけは堀がない。堀を渡る橋は二か所確認されており、南側の橋は秀衡の居所とされる伽羅御所跡の方向へ続く。橋から堀内へは幅8メートルの道路が伸び、塀で仕切られた区画へと入る。区画内には、桁行九間・梁間四間・四面庇付という大型建物のほか、園池、井戸、複数の建物が三時期に分けて建て替えられた痕跡が見つかっている。

この堀内地区こそ、『吾妻鏡』文治五年(1189年)九月十七日条に記された「平泉館(ひらいずみのたち)」——三代秀衡の政庁——に比定される最有力候補とされる。建物の規模、儀式用かわらけの量、出土品の質、いずれも東北地方のほかの中世遺跡には類を見ない。年輪年代測定からも、遺跡の中心年代は十二世紀後半、秀衡の時代に重なることが裏付けられている。

名前を持った遺物たち

木製遺物のなかに、二つ、性格の異なる注目すべき資料がある。

一つは折敷(おしき)の底板。食事を載せる方形の盆の裏面に、墨で寝殿造りの建物が一棟描かれていた。線は素描の域を出ないが、母屋の左右に脇殿を配し、渡廊で結ぶ構成は紛れもなく平安京の寝殿造りである。京の建築様式が文字や知識ではなく、絵として現地に伝わっていた——それを示す資料は、これより北では今のところ確認されていない。

もう一つは「人々給絹日記」と表題された墨書木簡。絹を支給した人名を列記した帳簿の体裁を持ち、行政文書としての筆致を備える。給与配分を文書で管理する組織が、ここで稼働していたことを示している。

これら出土品のうち代表的なものは、「岩手県平泉遺跡群(柳之御所遺跡)出土品」として、考古資料の重要文化財に指定されている。展示は、史跡公園から1キロほど南、JR平泉駅近くの岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターで行われており、企画展ごとに入れ替わる。

世界遺産登録から外された経緯

2011年の世界遺産登録審査において、柳之御所遺跡は構成資産から除外されることになった。バイパスは半地下化と経路変更によって走行車両がほぼ見えないよう工夫が施されたが、北上川の流路変更を伴う堤防工事が遺跡周辺の文化的景観に与えた影響は無視できず、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は柳之御所の除外を条件に登録勧告を出した。第35回世界遺産委員会はこの勧告を受け入れ、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の五資産で「平泉」の登録が成立した。

2012年には、柳之御所遺跡を含む五件が拡張登録候補として再び暫定リストに登載され、2023年8月、岩手県の世界遺産拡張登録検討委員会は推薦対象を柳之御所遺跡に絞ることを決定した。残る達谷窟・白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡・骨寺村荘園遺跡は、岩手県・関係自治体が独自に整備した「ひらいずみ遺産」の枠組みで保存活用が進められている。

奥州市にある二遺跡——長者ヶ原廃寺跡と白鳥舘遺跡

長者ヶ原廃寺跡は、奥州市衣川田中西。中尊寺から北へ約1キロ、衣川を渡ったところに位置する。昭和33年の発掘調査で、一辺約100メートルの築地塀に囲まれた本堂跡、西建物跡、南門跡が確認された。10世紀末から11世紀代の伽藍と考えられ、奥州藤原氏の母方の祖、安倍氏が建てたとされる。講堂や僧坊の痕跡を欠くため、僧の修行ではなく仏教儀礼に特化した寺であったと推定される。前九年合戦(1051〜1062年)で焼けた土と熱を受けた礎石が出土しており、安倍氏の滅亡とともに灰燼に帰したと考えられている。

白鳥舘遺跡は、奥州市前沢字白鳥舘。北上川がほぼ周囲を囲む天然の要害で、10世紀から16世紀まで約600年にわたって利用された。前九年合戦の際に源義家と戦った安倍頼時の八男・白鳥八郎則任の居城と伝わる。奥州藤原氏の時代には手工業生産の場であり、北上川舟運の重要な川湊として機能した。藤原氏滅亡後も14世紀後半までは丘陵部に城館が築かれ続け、15世紀後半に廃絶した。北上川舟運が平泉の経済基盤を支えた——その事実を物証として残す遺跡である。

柳之御所史跡公園を訪ねる

遺跡面積約10ヘクタールのうち、およそ5ヘクタールが平成22年(2010年)4月から柳之御所史跡公園として開放されている。地上に立ち上がった建物はない。堀の輪郭、橋の位置、復元された園池、解説板——目に見えるのは主に「地割り」である。事前にガイダンスセンターで予習しておくか、貸出されているオーディオガイドを利用すると、現地で何を見ているのかが格段に分かりやすくなる。

開園時間は4月〜10月が9時から17時、11月〜3月が9時から16時30分。休園日は年末年始のみ。入園無料。JR平泉駅からは徒歩で約20分、レンタサイクルでは7分ほどで到着する。東北自動車道の平泉前沢インターチェンジから車で約10分。

無量光院跡、伽羅御所推定地と組み合わせれば、半日かけて「平泉の世俗・政治の側」を歩く行程が組める。中尊寺・毛越寺の寺院巡りでは見えてこない平泉のもう一つの顔がここにある。

周辺の見どころ

  • 中尊寺 ——初代清衡が建立した寺院群の中心。金色堂は建造物として国宝指定第一号。柳之御所から徒歩約20分。
  • 毛越寺 ——浄土庭園と遣水(やりみず)で知られる。平安時代の庭園遺構が現存する数少ない事例の一つ。レンタサイクルで約15分。
  • 無量光院跡 ——三代秀衡が宇治の平等院を模して造営した寺院の跡。池と中島が復元整備されている。柳之御所から徒歩圏内。
  • 高館義経堂 ——源義経終焉の地と伝わる小堂。文治5年(1189年)4月晦日、藤原泰衡の襲撃を受けたとされる。北上川を見下ろす展望が広がる。
  • 岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンター ——柳之御所遺跡出土品が展示される拠点施設。入館料320円。

Q&A

Q柳之御所遺跡は世界遺産ですか?
Aいいえ。2011年の登録時に除外されました。「平泉」の構成資産は中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の五件で、柳之御所遺跡は含まれていません。2012年から拡張登録の暫定リストに登載され、2023年に岩手県は柳之御所遺跡を単独で推薦する方向性を決定しています。
Q「かわらけ」が大量に出土したことには、どんな意味がありますか?
Aかわらけは儀式の場で一度だけ使い、その場で捨てる素焼きの土器です。平安京の朝廷儀礼でも同様の使い方がされていました。柳之御所遺跡から十数トン以上が出土したことは、京都の貴族社会と同じ作法の儀式がここで日常的に行われていたことを意味します。一般的な居館ではなく、政庁としての性格を示す決定的な証拠の一つとされています。
Q復元建物はありますか?
A現時点(2026年5月)では建物の復元は行われていません。公園で見学できるのは、堀や道路の輪郭、復元された園池、解説板などの地割り中心です。建物復元の構想はあり、検討が進められています。建造物や遺物に関する立体的な展示は岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターで行われています。
Q遺跡はいつ焼けたのですか?
A文治5年(1189年)、源頼朝の率いる二十八万余騎の大軍が奥州に侵攻した際、四代泰衡が自ら平泉館に火を放って焼亡させたと『吾妻鏡』に記されています。発掘調査でも焼土層が確認されており、この記述と整合します。
Q長者ヶ原廃寺跡と白鳥舘遺跡は見学できますか?
Aいずれも見学可能ですが、柳之御所史跡公園のような整備された公園ではありません。長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川田中西)は伽藍跡が地表に残り、白鳥舘遺跡(奥州市前沢字白鳥舘)は北上川に囲まれた要害の地形が体感できます。いずれも東北自動車道平泉前沢ICから車で約5分。事前に奥州市発行のパンフレットを入手すると理解が深まります。

基本情報

名称柳之御所・平泉遺跡群(やなぎのごしょ・ひらいずみいせきぐん)
構成遺跡柳之御所遺跡(平泉町)、長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川)、白鳥舘遺跡(奥州市前沢)
指定区分国指定史跡
指定年月日平成9年(1997年)3月5日(柳之御所遺跡を指定)/平成17年(2005年)7月14日に長者ヶ原廃寺跡・白鳥舘遺跡を追加指定し名称変更/平成19・20・22年にも追加指定
時代平安時代末期(12世紀)。三代秀衡の時代を中心とする
規模(柳之御所遺跡)約10ヘクタール/最大長約725メートル・最大幅約212メートル
所在地(史跡公園)岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢15
開園時間4月〜10月 9:00〜17:00/11月〜3月 9:00〜16:30(年末年始休園)
入園料無料
アクセスJR平泉駅から徒歩約20分/東北自動車道平泉前沢ICから車で約10分
世界遺産との関係「平泉」(2011年登録)には未登録。2012年以降、拡張登録の暫定リストに登載中

参考文献

国指定文化財等データベース「柳之御所・平泉遺跡群」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/171
文化遺産オンライン「柳之御所・平泉遺跡群」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/190072
岩手県「平泉の文化遺産——柳之御所遺跡」
https://www.sekaiisan.pref.iwate.jp/know/cheritage/yanagigosyo
岩手県「柳之御所史跡公園」
https://www.sekaiisan.pref.iwate.jp/information/yanaginogosyo-park
奥州市「ひらいずみ遺産——長者ケ原廃寺跡」
https://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/osusume/7/4154.html
奥州市「ひらいずみ遺産——白鳥舘遺跡」
https://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/osusume/7/3706.html
岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンター
https://hiraizumi-whgc.jp/

最終更新日: 2026.05.19