旧河野家住宅 ― 床一面を竹の簀子で張った南予の山地農家

高松市の屋島、その山麓に広がる野外博物館「四国村」の一角に、茅葺きの小さな農家が建っている。床に板を張らず、割った竹を敷き並べた住まいである。旧河野家住宅といい、もとは愛媛県南部の山あい、小田の地にあった。昭和54年(1979年)にここへ移され、柱や梁を一本ずつ組み直して修復・復原され、昭和57年(1982年)2月16日に国の重要文化財に指定された。

建っていたのは、四国山脈の西端に近い標高五〇〇メートル近い集落だった。旧所在地は当時の上浮穴郡小田町で、その後の市町村合併により、現在は喜多郡内子町の区域にあたる。建てられた時期は18世紀とされる。国の文化財データベースは江戸後期に分類し、四国村側の解説は18世紀末の建築としており、正確な建築年は記録に残っていない。

規模はつつましく、桁行は約12.6メートル、梁間は約6.7メートル。屋根は入母屋造で全面を茅で葺き、棟の両端には破風が付く。間取りは南を向く。西の土間から入り、囲炉裏のある日常の部屋「チャノマ」を通って、東端の「ザシキ」へと続く。ザシキの前面には縁が設けられている。この二部屋を横に並べた配置は「横二間取り」と呼ばれ、南予地方の農家の標準的な形だった。

なぜ重要文化財に指定されたのか

この種の二間取り農家は、かつて南予の山間部にいくつもあった。だが、古い時期のものはほとんど残っていない。旧河野家住宅は、その地方標準型のなかでも比較的古い遺例の一つである。山里に暮らす一農家が実際にどう家を建て、どう使ったのか。それを示す資料としての価値が、まずここにある。

際立っているのは床である。床上部の全体にわたって、板の代わりに割竹を並べた簀子床が張られている。竹の上には「むしろ」と呼ばれる粗い敷物を敷き、その上で暮らした。装飾のためではなく、理由は実用にある。18世紀、丸太を平らな床板に加工するには手斧や鉋を使う手作業が要り、仕上げた板は高価だった。現金の乏しい山村では竹の簀子が理にかなった選択であり、しかもこの家では一室だけでなく床上の全面が竹で覆われている。さらに天井板を張っていないため、室内に立つと屋根の小屋組がそのまま頭上に見え、当時の大工の継手や仕口を自分の目で読み取ることができる。

もう一つ、より希少なものが残る。チャノマの近くに、和紙の原料である楮(こうぞ)と三椏(みつまた)を蒸すための大釜が据えられている。製紙はこの谷あいの農家にとって冬場の副業であり、その装置が住居の内部に残る例は珍しい。畑からの実りだけでは足りない分を、山の家がどう補ったか。それを実物で示す資料といえる。

二部屋にはそれぞれ囲炉裏が切られている。地面から石を積み、粘土で固め、上に木を四角に組んだ框を置いた造りである。標高五〇〇メートル近いこの高地は、温暖とされる四国にあって冬には相応の雪が積もる土地で、二つの囲炉裏は快適さというより暮らしの必需だった。

訪れたときに見ておきたいところ

敷居をまたいだら、まず足元を見てほしい。板の堅さではなく竹のしなりが伝わってくる感触が、この家が抱えてきた暮らしの最初の手がかりになる。次に見上げる。天井で隠されていないため、梁と垂木の構造が丸ごと目に入り、組み合わさった仕口の具合は立ち止まって眺める価値がある。

家の作業側に回ると、楮を蒸す大釜が見つかる。見過ごしやすいが、この一家が農業と製紙をどう両立させていたかを示す手がかりである。各室に一つずつある囲炉裏は、日々の暮らしと暖がどこに集まっていたかを示している。

もう一点、ザシキの脇にある押入にも目を向けたい。この家はもともと作り付けの収納をまったく持たずに建てられた。押入は江戸時代の後半に加えられたもので、それ自体が家の歴史の一部になっているため、復原の際もそのまま残された。こうした小さな改変は気づきにくいが、移築された農家が一瞬を写しとった標本ではなく生きた歴史として立つのは、こうした積み重ねがあるからだ。

四国村と屋島のまわり

旧河野家住宅は、四国村に集められた33棟の建物のうちの一つである。約5万平方メートルの敷地に、四国四県から移築復原された民家や作業小屋、米倉、農村歌舞伎舞台、醤油の醸造所、砂糖しめ小屋などが、江戸期から大正期にかけて並ぶ。このうち砂糖しめ小屋は、それ自体が国の重要有形民俗文化財に指定されている。園内には建築家・安藤忠雄の設計によるギャラリー、二の祖谷のかずら橋を三分の二の規模で再現して実際に渡れる橋、うどんの店、神戸から移した異人館を活用したカフェもある。

博物館が位置するのは、瀬戸内海に向かって切り立つ卓状の溶岩台地、屋島の山麓である。屋島は1185年に源氏と平家が戦った合戦の地として知られ、山上からは瀬戸内の島々を見渡せる。台地の上には、四国八十八ヶ所霊場の第八十四番札所・屋島寺が建つ。四国村へはJR屋島駅から徒歩で向かい、山上へは数分のシャトルバスがあるので、あわせて巡ることもできる。

Q&A

Qこれは当時の建物ですか、それとも復元模型ですか。
A18世紀に建てられた本物の農家です。愛媛の旧所在地で解体し、昭和54年に四国村へ移して修復・組み直したものです。野外博物館の中で、間近に見学できます。
Qもともとはどこに建っていたのですか。
A愛媛県南部の山あい、上浮穴郡の旧小田町、標高五〇〇メートル近い土地にありました。その区域は現在、喜多郡内子町に含まれます。
Qなぜ床が板ではなく竹なのですか。
A仕上げた床板は手作業で削り出す必要があり高価でした。山村では割竹を並べ、その上にむしろを敷くのが実用的で、この家では床上の全面が竹の簀子になっています。
Q家の中の大きな釜は何に使ったのですか。
A和紙の原料となる楮や三椏を蒸すための釜です。製紙は山の農家の副業で、その装置が住居内に残っていることが、この家が評価される理由の一つです。
Q行き方と開館時間を教えてください。
A四国村は高松市のJR屋島駅から徒歩圏内です。開館はおおむね9時30分から17時で、入村受付は16時30分頃まで。時間や休館日は変わることがあるため、訪問前に四国村の公式サイトでご確認ください。

基本データ

名称旧河野家住宅(旧所在 愛媛県上浮穴郡小田町)
現所在地香川県高松市屋島中町91番地 四国民家博物館(四国村)構内
指定区分重要文化財(建造物)/種別:近世以前・民家
指定年月日昭和57年(1982年)2月16日
時代江戸時代・18世紀
員数1棟
構造・形式桁行12.6メートル、梁間6.7メートル、入母屋造、茅葺。床上部全面が竹の簀子床
所有者公益財団法人四国民家博物館
アクセスJR屋島駅から徒歩。建物は四国村(野外博物館)構内に建つ
公開状況開館時間中は館内で見学可(入村料が必要)

参考文献

文化遺産オンライン(国立文化財機構):旧河野家住宅(旧所在 愛媛県上浮穴郡小田町)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195940
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3283
高松市:旧河野家住宅(指定文化財)
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/kenzo/konoke.html
SHIKOKUMURA(四国村):河野家住宅 施設案内
https://www.shikokumura.or.jp/guide/facilities/kono-family-house/
SHIKOKUMURA(四国村):アクセス案内
https://www.shikokumura.or.jp/access/

最終更新日: 2026.06.03