本堯寺松平頼該霊廟 ― 高松藩を救った文化人・松平左近を祀る希少な武家廟所
香川県高松市西山崎町の静かな住宅街の一角に、四国でも屈指の歴史的価値を持つ知られざる文化財があります。法華宗本門流の寺院・本堯寺(ほんぎょうじ)の境内に建つ「松平頼該霊廟(まつだいらよりかねれいびょう)」です。令和元年(2019年)12月に国の登録有形文化財(建造物)に登録されたこの霊廟は、幕末の激動の時代に高松藩を戦火から救った松平頼該(通称・松平左近)を祀っています。
松平頼該(松平左近)とは
松平頼該(1809〜1868)は、高松藩八代藩主・松平頼儀(よりのり)の長男として江戸小石川の高松藩邸に生まれました。本来であれば藩主の座を継ぐべき立場でしたが、異母弟の頼胤(よりたね)が嗣子に選ばれたため、8歳で国元の高松に移されました。31歳のとき、城下の宮脇村にあった亀阜荘(かめおかそう)に隠居し、のちに「左近」と改名しました。
しかし左近は隠遁の生活に甘んじることなく、卓越した文化人として多方面にその才能を発揮しました。書画、和歌、俳句、茶道、華道に秀で、自邸に能舞台や芝居舞台を設けて演劇を催し、自ら女形を演じることもありました。身分の隔てなく広く公開されたこれらの催しにより、人々からは「左近さん」と親しまれました。
法華宗(日蓮宗本門流)への信仰も篤く、高松において「八品講(はっぽんこう)」と呼ばれる仏教講座を組織しました。また、小国広太郎の変名を用い、幕末の勤王の志士たちとも密かに交流し、讃岐の志士・日柳燕石(くやなぎえんせき)や藤川三渓(ふじかわさんけい)らを庇護しました。
高松藩を戦火から救った決断
左近の生涯で最も重要な功績は、戊辰戦争(1868年)における高松藩の存亡をかけた決断です。慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府側として参戦した高松藩は朝敵とされ、官軍による征討の対象となりました。藩内では官軍と一戦を交えるべきとの声もありましたが、左近は儒学者の藤沢南岳(なんがく)とともに決死の覚悟で藩論を恭順にまとめました。
家老の小河又右衛門久成と小夫兵庫正容を切腹させてその首を鎮撫使に差し出し、十一代藩主・頼聰(よりとし)を城から退出させて浄願寺で謹慎させることで、官軍への恭順の意を示しました。この決断により高松藩は戦火を免れ、藩と民が守られました。
左近はその年のうちに60歳で世を去り、「本行院殿慈門金岳源該日教大居士」の戒名を贈られ、深く帰依していた本堯寺に埋葬されました。大正4年(1915年)には、その功績が認められ正四位が追贈されています。
霊廟の建築的特徴
本堯寺松平頼該霊廟は、木造平屋建、瓦葺の建造物で、建築面積は約16平方メートルです。明治元年(1868年)に建築され、明治42年(1909年)に改修されました。この霊廟の最大の特徴は、「複合社殿形式」と呼ばれる建築様式を採用している点にあり、武家の廟所としてこの形式は全国的にも極めて希少です。
建物は三つの空間で構成されています。最奥部の「奥殿」には、卵形の墓石「無縫塔(むほうとう)」が安置されており、一間四方(約1.8メートル四方)の構えに本瓦葺の宝形屋根が架けられています。この奥殿と四畳の寄棟造の「拝殿」が、二畳の「相の間(あいのま)」によって繋がれています。
特筆すべき意匠上の工夫として、奥殿のみに丸柱と扇垂木(おうぎだるき)が用いられ、拝殿や相の間の角柱・平行垂木とは明確に区別されています。この意匠の差異は、無縫塔を安置する奥殿の神聖さを建築的に表現したものであり、高い設計意識がうかがえます。
文化財としての価値
本堯寺松平頼該霊廟は、令和元年(2019年)12月5日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。文化審議会が登録を答申した背景には、いくつかの重要な要素があります。
第一に、墓石を安置する奥殿と参拝のための拝殿を相の間で繋ぐ複合社殿形式は、武家の廟所建築として全国的にも類例が少なく、その建築史的価値が高く評価されました。第二に、松平家に共通する無縫塔の墓石形式を残しつつ、当初の覆い屋の姿を良好に保存している点が再評価されました。この再評価は、同年2月に国史跡に指定された「高松藩主松平家墓所」(法然寺)の調査と関連して行われたものです。
なお、霊廟建築の登録有形文化財への登録は香川県内で初めてのことであり、香川県の建造物の登録有形文化財としても貴重な一件となっています。
訪問のご案内
本堯寺は法華宗本門流の寺院として、現在も宗教活動が営まれている生きた信仰の場です。訪問の際は、寺院としてのマナーをお守りください。境内は静かで落ち着いた雰囲気に包まれており、高松の西部に位置する西山崎町の穏やかな住宅街の中にあります。
霊廟は境内に所在しますが、観光施設ではないため、事前に寺務所へお問い合わせの上でお参りされることをおすすめします。写真撮影の可否についても、寺院の方にご確認ください。
周辺情報
本堯寺松平頼該霊廟への訪問は、高松松平家ゆかりの史跡や四国の文化的な名所と組み合わせることで、より充実した歴史探訪の旅になります。
- 栗林公園(特別名勝):国の特別名勝に指定された日本を代表する大名庭園。1,000本以上の手入れされた松と紫雲山を背景とした回遊式庭園は「一歩一景」と称されます。本堯寺から車で約20分。
- 法然寺(高松藩主松平家墓所・国史跡):高松藩主松平家の菩提寺で、仏生山の地に初代頼重をはじめ歴代藩主の墓所が営まれています。200基を超える無縫塔が並ぶ墓所の景観は圧巻です。
- 高松城跡(玉藻公園):日本でも珍しい海城(水城)の跡で、松平家が治めた高松藩の政治の中心地でした。重要文化財の月見櫓や艮櫓が残り、堀には海水が引き込まれています。
- 香川県立ミュージアム:松平家伝来の美術工芸品を数多く収蔵し、国宝「藤原佐理筆詩懐紙」をはじめ重要文化財も含まれています。松平家の歴史を深く知ることができます。
Q&A
- 本堯寺へのアクセス方法を教えてください。
- 最寄り駅は琴電琴平線「岡本駅」で、駅から徒歩約7分です。JR高松駅からは琴電に乗り換えて約20分で岡本駅に到着します。お車の場合は、高松自動車道「高松檀紙IC」から約15分です。
- 拝観料はかかりますか?
- 本堯寺は現役の寺院であり、通常は拝観料はかかりません。ただし霊廟は境内に所在するため、訪問前に寺務所へお問い合わせいただくことをおすすめします。
- 無縫塔とは何ですか?
- 無縫塔(むほうとう)は、卵形または半球形の石を蓮華座の上に載せた仏教の石塔の一種です。「縫い目のない塔」を意味し、禅宗や日蓮宗の高僧や武家の墓石として広く用いられました。高松松平家の墓所でも多くの無縫塔が確認されています。
- おすすめの訪問時期はいつですか?
- 一年を通じて訪問可能ですが、春(3月〜4月)や秋(10月〜11月)は気候も穏やかでおすすめです。栗林公園など近隣の名所を合わせて巡る場合にも、季節の景色を楽しむことができます。
- 松平頼該の関連史跡は他にありますか?
- 法然寺(仏生山町)の高松藩主松平家墓所が国史跡に指定されており、松平家全体の墓所を見学できます。また、香川県立ミュージアムでは「松平左近 ―高松藩を救った英才―」と題した企画展が過去に開催されるなど、関連展示が行われることがあります。
基本情報
| 名称 | 本堯寺松平頼該霊廟(ほんぎょうじまつだいらよりかねれいびょう) |
|---|---|
| 文化財種別 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 令和元年(2019年)12月5日 |
| 建築年 | 明治元年(1868年)建築、明治42年(1909年)改修 |
| 構造 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積16㎡、無縫塔付 |
| 所有者 | 本堯寺(法華宗本門流) |
| 所在地 | 香川県高松市西山崎町850-1 |
| アクセス | 琴電琴平線「岡本駅」から徒歩約7分 |
参考文献
- 本堯寺松平頼該霊廟 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/432742
- 松平頼該 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E9%A0%BC%E8%A9%B2
- 本堯寺松平頼該霊廟 国の登録有形文化財へ - COOL KAGAWA(四国新聞社)
- https://www.coolkagawa.jp/news/entry-322.html
- 風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち - UAG美術家研究所
- https://yuagariart.com/uag/kagawa13/
- 高松藩主松平家墓所 - 高松市
- https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/smph/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/shiseki/matudairakebosyo.html
- 讃岐高松藩 松平家と松平大膳家 - 探検!日本の歴史
- https://tanken-japan-history.hatenablog.com/entry/takamatsu-matsudaira
最終更新日: 2026.03.26