大川酒店:本郷通りに佇む明治の商家建築

香川県善通寺市上吉田町の本郷通り沿いに、ひときわ堂々とした構えを見せる建物があります。大川酒店(おおかわさけてん)は、明治34年(1901年)頃に建てられた木造2階建ての店舗兼主屋で、かつて酒造業を営んだ旧家の繁栄を今に伝える貴重な建造物です。1997年(平成9年)7月15日に国の登録有形文化財(建造物)に登録され、善通寺市を代表する近代建築遺産のひとつとして大切に守られています。

善通寺市は、真言宗の開祖・弘法大師空海の誕生の地として全国的に知られ、四国八十八箇所霊場第75番札所の総本山善通寺を中心に多くの参拝者が訪れます。しかし、この町の魅力は宗教的な名所にとどまりません。明治時代に陸軍第11師団が置かれた歴史を背景に、明治・大正期の建造物が数多く残る、建築散策の宝庫でもあるのです。大川酒店は、そうした善通寺の知られざる建築遺産を代表する存在です。

建築の特徴と職人技

大川酒店は、道路に面して建つ平入の商家建築で、間口の広い堂々たるファサードが特徴です。木造2階建て、瓦葺きで、建築面積は約182平方メートル。その存在感は、規模の大きさと洗練された意匠の融合から生まれています。

2階部分は黒漆喰塗りで仕上げられ、深みのある光沢が独特の重厚感を醸し出しています。黒漆喰は、かつて富裕な商家や名家の象徴として用いられた高級な仕上げ技法です。この黒い壁面には、大正12年(1923年)から製造が始まった酒の銘柄が大きく描かれ、商業建築ならではの華やかさを添えています。

特に見事なのが、正面および東側の壁面に施された鏝絵(こてえ)です。鏝絵とは、左官職人が鏝(こて)を使って漆喰で立体的な装飾を施す日本独自の技法で、大川酒店ではその技術の粋を間近に見ることができます。屋根の棟には波の棟飾りが据えられ、火除けの願いが込められています。また、屋根全体にはゆるやかな「むくり」(上向きの反り)がつけられ、重厚でありながら優美な曲線美を描いています。

2階の立ちが高く、むくり屋根と黒漆喰壁が一体となった外観は、まさに旧家の風格そのもの。訪れる人は、この建物が単なる商店ではなく、地域の歴史と文化を体現する存在であることを自然と感じ取ることでしょう。

「清酒五岳」の伝統

大川家が自家醸造の酒を造り始めたのは大正12年(1923年)のことです。その銘柄「清酒五岳」は、善通寺市の象徴である五岳山(香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山)にちなんで名付けられました。五岳山は善通寺の山号でもあり、この地域の精神的な拠り所となっている山々です。

最盛期には、大川酒店の屋敷内に精米所や醸造蔵も備えられ、原料の精米から酒造り、販売までを一貫して行う酒造複合施設として機能していました。こうした規模の大きな事業展開は、当時のこの地区の経済的な活力を物語っています。

大川邸:和と洋が隣り合う風景

大川酒店の西側には、木造2階建て瓦葺きの洋風建築が建っています。これは「大川邸」と呼ばれる建物で、昭和12年(1937年)に大川酒店の応接間として建てられた新屋です。

伝統的な和風建築の母屋と、しゃれた西洋館が隣り合って建つ光景は、当時の大川酒店の勢いと、新しい時代の文化を積極的に取り入れようとした大川家の気概を感じさせます。和と洋の建築が自然に共存するこの風景は、近代日本の地方都市がたどった文化の歩みを凝縮して伝えるものといえるでしょう。

登録有形文化財としての価値

大川酒店が国の登録有形文化財に登録された背景には、複数の文化的価値が認められています。

第一に、黒漆喰塗りの壁面と鏝絵装飾は、明治期の讃岐地方における左官技術の高い水準を示す貴重な実例です。第二に、2階の立ちの高さとむくり屋根という堂々たる構えは、四国の地方都市における成功した商家建築の特徴を典型的に表しています。第三に、酒造業を営んだ店舗兼主屋として地域に広く親しまれてきた歴史は、善通寺市の社会的・文化的な記憶を伝える重要な要素です。

登録有形文化財制度は、近年の都市開発や生活様式の変化により失われつつある近代の建造物を、緩やかな保護措置によって幅広く後世に継承していくために1996年に導入された制度です。大川酒店は、この制度が第一回の登録を行った1997年に登録された、まさに先駆け的な存在でもあります。

讃岐の鏝絵文化

大川酒店に見られる鏝絵は、日本各地に伝わる漆喰装飾の伝統の中でも、讃岐地方ならではの特色を持っています。讃岐平野に点在する伝統的な建物には、青や白の漆喰で波や水の模様を描いた鏝絵が数多く残されており、これらは火除けのお守りとしての意味が込められていると伝えられています。

鏝絵そのものは、江戸時代中期から徐々に盛んになった漆喰装飾の技法で、財を成した商家や網元が母屋や土蔵を彩るために左官職人に依頼して制作されました。花鳥風月や福を招く図柄が好まれ、建物の外壁を華やかに飾りました。讃岐地方の鏝絵は、こうした全国的な伝統の中に地域独自の美意識を織り込んだもので、善通寺周辺を散策する際にはぜひ注目していただきたい見どころのひとつです。

周辺の見どころ

大川酒店が位置する上吉田町周辺には、古い家並みがあちこちに残されており、のんびりとした散策を楽しむことができます。

最も有名な観光地は、四国八十八箇所霊場第75番札所の総本山善通寺です。弘法大師空海の誕生地として知られ、東院(伽藍)と西院(誕生院)にまたがる約45,000平方メートルの広大な境内を擁します。五重塔は善通寺市のランドマークとして親しまれ、西院の御影堂では「戒壇巡り」の体験もできます。

善通寺市役所の敷地内にある旧善通寺偕行社は、明治36年(1903年)に建てられた陸軍将校の社交場で、国の重要文化財に指定されています。ルネッサンス様式の洋風建築を無料で見学でき、隣接する「偕行社かふぇ」では美しい建物を眺めながらゆったりとした時間を過ごせます。

また、JR善通寺駅近くには同じく登録有形文化財の瀬川酒店主屋(大正6年築)があり、虫籠窓のあるつし2階建ての伝統的な酒店として比較して楽しむことができます。さらに足を延ばせば、1,368段の石段で有名な金刀比羅宮(こんぴらさん)へもアクセスが容易です。

Q&A

Q大川酒店の内部は見学できますか?
A大川酒店は個人所有の建物のため、内部の一般公開は行われていません。ただし、黒漆喰の壁面や鏝絵などの見事な外観は、道路から自由にご覧いただけます。隣接する洋風建築の大川邸も外観を楽しむことができます。
QJR善通寺駅からのアクセス方法を教えてください。
AJR善通寺駅から本郷通りを歩いて約13分です。上吉田町3丁目の本郷通り南側に位置しています。周辺には古い家並みも残っており、散策しながら向かうのがおすすめです。
Q登録有形文化財とはどのような制度ですか?
A登録有形文化財は、1996年に導入された文化財保護の制度です。重要文化財のような厳格な規制ではなく、届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護措置により、近代の多種多様な建造物を幅広く後世に継承することを目的としています。
Q善通寺市を訪れるのに最適な季節はいつですか?
A善通寺市は一年を通じて楽しめます。春(3月〜5月)は善通寺の桜が美しく、気候も穏やかです。秋(10月〜11月)は歴史的建造物の散策に最適な気温で、周辺の紅葉も楽しめます。四国遍路の巡礼者は一年中訪れるため、いつ訪れても活気のある雰囲気を感じることができます。

基本情報

名称 大川酒店(おおかわさけてん)
文化財区分 登録有形文化財(建造物)/1997年(平成9年)7月15日登録
建築年代 明治34年(1901年)頃
構造 木造2階建、瓦葺、建築面積約182㎡
所在地 香川県善通寺市上吉田町三丁目1052-1、1053、1054
アクセス JR善通寺駅から本郷通りを徒歩約13分
見学 外観のみ(個人所有建物のため内部非公開)
主な特徴 黒漆喰塗り2階壁面、鏝絵装飾、波の棟飾り、むくり屋根

参考文献

大川酒店 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/180183
善通寺市デジタルミュージアム 大川酒店・大川邸 — 善通寺市ホームページ
https://www.city.zentsuji.kagawa.jp/soshiki/50/digi-m-culture-detail-047-index.html
善通寺市域の歴史 — 善通寺市ホームページ
https://www.city.zentsuji.kagawa.jp/soshiki/4/history2023.html
有形文化財(建造物) — 文化庁
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/
讃岐の鏝絵こてえ — 住まいマガジン びお
https://bionet.jp/2019/03/02/anonoo-kotee/

最終更新日: 2026.03.26