大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡とは:江戸幕府の大坂城修築の石材を切り出した石丁場
大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡(おおさかじょういしがきいしちょうばあと)は、江戸幕府による大坂城の修築のために石垣の石を切り出した石丁場の跡で、香川県小豆島町の小豆島石丁場跡が昭和47年(1972年)3月16日に国の史跡に指定された。
文化庁の記録では、指定基準は政治に関する遺跡と、経済・生産活動に関する遺跡にあたる。平成30年(2018年)に追加指定を受け、兵庫県の東六甲石丁場跡が加わった。
文化庁によると、元和から寛文年間の江戸幕府の大坂城修築工事は諸大名に工役を命じたもので、その数は35か国、64大名にのぼるといわれる。
大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡の丁場
文化庁の詳細解説によると、小豆島は秀吉の築城以来、石垣用の石切場として知られ、寛永年間には黒田藩や豊前細川藩が多くの石材を切り出して搬出した。天狗岩丁場、南谷丁場、豆腐丁場、八人石丁場、亀崎丁場と、これらに付属する磯丁場などが残り、残石や角取石の刻印をもつ石も随所に残る。
小豆島町によると、岩谷地区の山中や海岸には、10センチメートルほどの矢孔や刻印のある石垣石や巨石が多数あり、南谷、天狗岩、天狗岩磯、豆腐石、亀崎、八人石の6つの丁場に計1,612個を数える。角取石には○や□など40種余りの刻印があり、現在の大阪城の石垣の刻印と同じものもある。
大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡の見どころ
小豆島町によると、古文書などから、岩谷の丁場は徳川秀忠・家光の時代の大坂城改築の際に、筑前福岡藩主の黒田長政・忠之父子が採石したことが明らかで、幕末まで同家が石番を置いて管理していた。
文化庁は、これらの石丁場跡が大坂城築城の歴史と技術を物語るものとしている。
大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡の見学方法
小豆島町によると、遊歩道のある天狗岩丁場と八人石丁場はいつでも見学でき、天狗岩磯丁場も国道から眺められる。南谷丁場、亀崎丁場、豆腐石丁場は遊歩道がなく道も険しいため見学は勧められず、見学にはガイドの案内が必要である。
問い合わせは小豆島町生涯学習課(0879-82-7015)へ。
Q&A
- 大坂城石垣石丁場跡はいつ史跡に指定されましたか?
- 小豆島石丁場跡が昭和47年(1972年)3月16日に指定され、平成30年(2018年)の追加指定で東六甲石丁場跡が加わりました。
- 小豆島の石丁場で石を切り出したのは誰ですか?
- 小豆島町によると、筑前福岡藩主の黒田長政・忠之父子です。
- 小豆島の石丁場には何が残っていますか?
- 矢孔や刻印のある石垣石や巨石が6つの丁場に計1,612個残ります。
- 刻印にはどんなものがありますか?
- ○や□など40種余りで、現在の大阪城の石垣と同じものもあります。
- 小豆島の石丁場は見学できますか?
- 天狗岩丁場と八人石丁場は遊歩道があり、いつでも見学できます。
基本情報
| 名称 | 大坂城石垣石丁場跡/小豆島石丁場跡/東六甲石丁場跡(おおさかじょういしがきいしちょうばあと) |
|---|---|
| 所在地 | 香川県小豆郡小豆島町ほか |
| 指定区分 | 史跡 |
| 指定年 | 昭和47年(1972年)3月16日指定 |
| 員数 | 石丁場跡 |
| 寸法 | 文化庁データベースに記載なし |
| 所有者 | 文化庁の記録に記載なし |
| 公開状況 | 一部の丁場は随時見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「大坂城石垣石丁場跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2523
- 文化遺産オンライン「大坂城石垣石丁場跡」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/191842
- 小豆島町「大坂城石垣石丁場跡(小豆島石丁場跡)」
- https://www.town.shodoshima.lg.jp/gyousei/kakuka/shogaigakushuka/2/1/2701.html
最終更新日: 2026.09.29