豊浜町和田に立つ江戸末期の四脚門

四国工芸社門は、香川県観音寺市豊浜町和田にある江戸時代末期の四脚門で、平成16年(2004年)3月2日に国の登録有形文化財に登録された。文化庁のデータベースは建立年代を江戸末期、西暦でおよそ1830年から1867年の間とし、丸亀藩主が宿泊する際の御成門として建てられたと伝える、と記している。

四脚門とは、扉を吊る2本の本柱の前後に、各2本ずつ計4本の控柱を添えた形式の門をいう。屋根は反りをつけた切妻造で、葺き方は平瓦と丸瓦を交互に置く本瓦葺。間口は3メートル。屋敷地の東方に南北棟で建ち、左右には袖塀が付属する。袖塀は外へ開くように延びていて、門の前面に台形の広地ができる。

この最後の一点が面白い。この規模の門なら、まっすぐな塀の線に納めてしまってもよかったはずである。しかし袖塀は外へ張り出し、浅い前庭をつくる。訪れる者は歩調を緩め、向きを変え、中心線に沿って正面から近づくことになる。大工仕事であると同時に、人の動きの設計でもある。藩主を迎えるための門という伝承と、その構えはよく符合している。

彫物の集中と、失われた六棟

データベースの解説が具体的に挙げるのは三か所である。懸魚は、切妻の頂部に下げて棟木の木口を隠す板で、これに彫刻が施される。笈形は、妻飾の中で束の左右に添えられる渦巻き状の飾り材で、ここにも彫物が入る。そして棟瓦。間口3メートルという控えめな規模に対し、屋根まわりだけが不釣り合いなほど手が込んでいる。

装飾を妻面に集めるのは日本の建築ではごく普通の判断で、遠くから近づく人がまず見るのが妻だからである。ただしこの門の場合、その原則がかなり強く押し出されている。前庭に立って反りの効いた軒の線に沿って見上げると、彫物のある部材が空を背にひとまとまりの構図として見えてくる。私邸の門というより、寺院の門に近い密度である。

ただし、この門を取り巻く敷地は、登録された当時とはまったく違う。平成16年3月2日には、この屋敷地の建物7棟が同時に登録されている。主屋、乾蔵、道具蔵、北蔵、南蔵、漆芸蔵、そしてこの門である。その後の経緯は、文化庁が公開する登録抹消一覧に残る。南蔵は平成17年11月10日、漆芸蔵は平成29年2月23日、主屋・乾蔵・道具蔵の3棟は平成29年6月28日、北蔵は平成30年5月10日に、いずれも登録を抹消された。6件はすべて「解体等による登録抹消」に分類されている。

残ったのが門である。屋敷の一部として登録された建物が、いまはその群のうち唯一の登録物件として立っている。門とは本来、その先にあるものへの導入である。この門は、導く相手より長く生き残った。

非公開であること、そして周辺で見られるもの

実際的な注意を先に書いておく。四国工芸社門は個人の所有する私有物件であり、観光施設ではなく、公開されていない。拝観料も開門時間も駐車場も解説板も存在しない。日本の登録制度は所有者に公開の義務を課しておらず、登録有形文化財の多くは、この門と同じく歴史的な価値を認められた私有財産である。敷地内に立ち入ったり、住宅に近づいたりすることは控えていただきたい。

この地域の建築に関心があるなら、観音寺市内には見学できる対象がむしろ豊富にある。大野原町の萩原寺には本堂、護摩堂、客殿、鐘楼、手水舎、大門及び番所、南門及び土塀の7件が平成26年12月に登録されており、境内は開かれている。観音寺市郷土資料館は旧三豊郡農会農事試験場の建物を使っており、平成10年に登録された。市街地の旅館晩翠は平成20年登録で、現在も旅館として営業している。本大町の川鶴酒造には登録建造物が5件残る。

豊浜そのものにも足を運ぶ理由がある。毎年10月のさぬき豊浜ちょうさ祭では、金糸の刺繍で飾られた太鼓台「ちょうさ」が20台以上、一の宮神社に集まる。海岸線は8キロを超える白砂で、夏には海水浴場が開く。地区の玄関口はJR予讃線の豊浜駅である。

住所の表記についてひとつ補足しておく。豊浜町は三豊郡の独立した町だったが、平成17年(2005年)10月11日に旧観音寺市、大野原町と合併して現在の観音寺市となった。門の建つ和田も、昭和30年(1955年)までは別の村である。このため古い資料や標識では所在地が「三豊郡豊浜町」と記されていることがあり、いまも一部の情報源はその表記を使っている。

Q&A

Q四国工芸社門は見学できますか。
Aできません。個人の所有する私有物件で、観光施設ではなく公開もされていません。開門時間や拝観の受付、見学者用の駐車場もありません。敷地内への立ち入りや住宅への接近はお控えください。
Q四国工芸社門はどのような形式の門ですか。
A四脚門です。扉を吊る本柱2本の前後に控柱を各2本ずつ配します。屋根は反りをつけた切妻造で本瓦葺、間口は3メートル。左右には袖塀が付属し、門前に台形の広地を設けています。
Q四国工芸社門はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A文化庁は建立年代を江戸末期、およそ1830年から1867年としています。登録年月日は平成16年(2004年)3月2日、登録告示は同年3月29日、登録番号は37-0211です。
Q四国工芸社の他の建物は現存しますか。
A現存しません。平成16年に門とともに主屋以下6棟が登録されましたが、南蔵が平成17年、漆芸蔵が平成29年2月、主屋・乾蔵・道具蔵が平成29年6月、北蔵が平成30年に、いずれも解体等により登録を抹消されています。登録が残るのは門のみです。
Q四国工芸社門の周辺で見学できる文化財建造物はありますか。
A大野原町の萩原寺は登録建造物7件を有し境内が開かれています。観音寺市郷土資料館は旧三豊郡農会農事試験場の登録建物を使用中で、旅館晩翠は現役の旅館です。本大町の川鶴酒造にも登録建造物が5件あります。

基本情報

名称四国工芸社門(しこくこうげいしゃもん)
所在地香川県観音寺市豊浜町和田字直場甲334-25
指定区分国登録有形文化財(建造物)/登録番号 37-0211
指定年平成16年(2004年)3月2日登録(告示は同年3月29日)
員数1棟
寸法間口3メートル/木造、四脚門、反りをつけた切妻造、本瓦葺、両脇袖塀付属
所有者個人
公開状況非公開(私有物件のため見学不可)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 四国工芸社門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004046
文化庁 — 登録有形文化財(建造物)登録抹消一覧
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/massho/pdf/94255401_02.pdf
香川県教育委員会 — 香川県内の登録有形文化財
https://www.pref.kagawa.lg.jp/kenkyoui/shogaigakushu/bunkazai/culturalassets/culturalassets_16.html
観音寺市 — 市の概要(合併の経緯)
https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/2/167.html
文化庁 — 登録有形文化財(建造物)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html

最終更新日: 2026.08.09