受益農家が自ら築いた昭和4年のダム

豊稔池堰堤は、香川県観音寺市大野原町田野々、柞田川上流にある昭和4年(1929年)11月竣工のコンクリート造溜池堰堤で、平成18年(2006年)12月19日に国の重要文化財(建造物)に指定された。堤長145.5メートル、堤高30.4メートルの規模をもつ。

香川県は全国でもっとも面積が小さく、降水量にも恵まれない。讃岐平野に無数のため池が散在するのは、そうしなければ作物が育たなかったからである。大野原一帯は江戸時代以前は高燥な原野で、大正期に二度の大干ばつに見舞われたことが、本格的な近代式ため池の必要性を地元に痛感させた。

工事は香川県を事業主体とする用排水改良事業の一環として、大正15年(1926年)3月に起工した。顧問は佐野藤次郎、農林技師の杉浦翠が指導にあたり、設計は地方農林技師の木村真五郎、工事主任は鈴木信夫が担当した。工期は約3年8か月。特筆されるのは労働力の出どころで、工事は水の供給を受ける地元農家の出役によって進められ、その間、無事故で完成したと伝わる。技能を身につけるための講習会も地元で開かれた。

溜池は起工以来、集落の名をとって田野々池と呼ばれてきた。昭和4年5月に現地を視察した大蔵大臣・三土忠造により豊稔池と命名されたという。竣工式は翌昭和5年3月に行われた。

一つの堤体に二つの構造形式

堰堤は、柞田川の狭窄部にある砂岩・頁岩・凝灰岩からなる岩盤の上に築かれている。訪れた人の目を引くのは中央部だ。6本の扶壁のあいだに5つのアーチが連なり、上流側へ弧を描く。マルチプルアーチ式と呼ばれる形式で、国内での実例はごくわずかしかない。

構造は見た目より入り組んでいる。両端部は重力式で、非越流式とし、自重だけで水圧を受け止める。中央部87.0メートルがマルチプルアーチ式、そのうち中央53.2メートルが越流式である。堰堤軸と直角方向に中心間隔14.5メートルで配された計6列の扶壁が約五分勾配で傾斜して立ち、欠円アーチ形の遮水壁を支える。各遮水壁は堰堤軸方向の外力を両側の重力式堰堤へ伝える。二つの形式を一体の堤に組み合わせたことで、場所ごとの条件に応じた設計が可能になった。

石積みのダムと紹介されることが多い。写真を見ればそう思うのも無理はないが、躯体はコンクリート造である。重力式部分の表面は砂岩の布積で築かれ、アーチ部の下流側と扶壁の出隅にはコンクリートブロックを用い、そのほかも砂岩の布積で仕上げる。石は表面の化粧であって、内部はコンクリート。だからこそ、この堰堤は我が国最初期のコンクリート造溜池堰堤として位置づけられる。

もう一つ、見落とせない工夫がある。中央4列の扶壁にはサイフォン式の余水吐が設けられ、満水になると自動的に排水する。落水時に堤体下流側の地盤へかかる水圧を分散させる仕組みで、下流には石張の水叩を設けて衝撃を受ける。厳しい地盤条件のもとで余水をどう処理するかがこの現場最大の課題であり、その解答が指定の理由書でも創意に富む技術として挙げられている。

附指定も充実している。南側重力式堰堤の天端に立つ豊稔池碑1基は、建設の経緯と関連技術者を記した銅板を中央部と下部に嵌め込み、周囲に五穀豊穣を表す稲、麦、鳥を描く。基礎工事の火薬を貯蔵した鉄筋コンクリート造上屋の壁体2棟、平成の補修で取り替えられた旧土砂吐樋門1点と旧中樋取水バルブ1点も、あわせて指定されている。

見学は無料、狙い目は盛夏

入場料も門もない。堰堤の直下には平成7年(1995年)完成の豊稔池遊水公園があり、芝生広場と東屋、短い散策路が整備されている。ここから見上げると壁面が全高で立ち上がる。中世ヨーロッパの古城に例えられるのは、この角度の眺めである。初夏には流れに沿って蛍が出る。

県道9号は堰堤の上部を通っており、天端とアーチの頂部を横から見ることができる。旧火薬貯蔵庫の脇には貯水池側へ上がる階段があり、登ると阿讃山脈の谷あいに広がる水面が見える。ただし堰堤上部への立ち入りは禁止されている。

日程を合わせる価値があるのが「ゆる抜き」だ。ゆる(取水栓)を抜いて下流の水田へ水を送る行事で、毎秒4トンほどの水がごう音とともに放流される。時期は例年7月下旬から8月上旬。ただし日付は事前に固定されておらず、下流の井関池の貯水量が3割を切ったころが実施の目安とされる。中止となった年もあるため、これを目当てに向かうなら観音寺市または観音寺市観光協会に確認したい。

行き方は車が確実で、JR観音寺駅から約25分、高松自動車道の大野原インターチェンジからは約15分。県道からの取付道が狭く、駐車スペースも広くない。ゆる抜きの日は県内外から撮影者が集まるため、時間に余裕をもって向かうほうがよい。公共交通はのりあいバス五郷高室線が1日4便あり、うち豊稔池の前を通るのは田野々行きの2便。残る海老済行きは1.7キロ手前で分岐する。このバスには停留所がなく路線上ならどこでも乗降できるので、運転手に「豊稔池」と伝えればよい。

この堰堤は引退した記念物ではない。竣工から90年以上を経た現在も、約500ヘクタールの農地を潤す水がめとして稼働しており、貯水量は159万3千トンにおよぶ。機能し続けていること自体が、保存の対象に含まれている。

Q&A

Q豊稔池堰堤は見学できますか。入場料はかかりますか。
A見学は自由で無料、時間の制限もありません。堰堤直下の豊稔池遊水公園からアーチを見上げるのが最も迫力のある角度で、県道9号からは天端付近を眺められます。堰堤上部への立ち入りは禁止されています。
Q豊稔池堰堤の「ゆる抜き」はいつ行われますか。
A例年7月下旬から8月上旬に年1回行われますが、日付は固定されていません。下流の井関池の貯水量が3割を切ったころが目安とされます。毎秒4トンほどが放流されます。中止となった年もあるため、観音寺市または観音寺市観光協会への事前確認をおすすめします。
Q豊稔池堰堤はなぜ重要文化財に指定されたのですか。
A平成18年(2006年)12月19日、我が国最初期のコンクリート造溜池堰堤であること、アーチ式とバットレス式の特長を兼ね備えた先駆的な構造形式であることを理由に指定されました。指定基準は「技術的に優秀なもの」「歴史的価値の高いもの」で、地盤への余水の影響を軽減する技術も評価されています。
Q豊稔池堰堤は石積みのダムなのですか。
A躯体はコンクリート造です。表面の大部分を砂岩の布積で仕上げ、アーチ部下流側と扶壁の出隅にコンクリートブロックを用いています。外観から石積みのダムと紹介されることがありますが、内部はコンクリートであり、その点が最初期のコンクリート造溜池堰堤としての評価につながっています。
Q豊稔池堰堤へはJR観音寺駅からどう行きますか。
A車で約25分、高松自動車道大野原インターチェンジからは約15分です。公共交通はのりあいバス五郷高室線が1日4便あり、堰堤前を通るのは田野々行きの2便。停留所がなく路線上どこでも乗降できるため、運転手に「豊稔池」と伝えてください。取付道は狭く駐車スペースも限られます。

基本情報

名称豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)
所在地香川県観音寺市大野原町田野々
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号 02498
指定年平成18年(2006年)12月19日
員数1所 附:豊稔池碑1基、旧火薬貯蔵庫2棟、旧土砂吐樋門1点、旧中樋取水バルブ1点
寸法マルチプルアーチ式コンクリート造堰堤、堤長145.5メートル、堤高30.4メートル(アーチ部87.0メートル、うち越流部53.2メートル)
所有者豊稔池土地改良区
公開状況常時見学可、無料。堰堤上部は立入禁止。ゆる抜きは例年7月下旬から8月上旬(日付不定)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 豊稔池堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/00004075
文化遺産オンライン — 豊稔池堰堤
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/158595
観音寺市 — 豊稔池堰堤(文化振興課文化財係)
https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/30/563.html
観音寺市 — 豊稔池堰堤(観光情報)
https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/21/334.html
観音寺市観光協会 — 豊稔池堰堤
https://kanonji-kanko.jp/honen-pond/
観音寺市観光協会 — 豊稔池ゆる抜き
https://kanonji-kanko.jp/honen-pond-yurunuki/
うどん県旅ネット(香川県観光協会) — 豊稔池堰堤
https://www.my-kagawa.jp/point/67/

最終更新日: 2026.08.09