応永28年の年号を刻む花崗岩の鳥居

この鳥居の価値は、左の柱に刻まれた一行の銘文に集約される。そこには「応永廿八年辛丑十一月吉日」とある。応永28年は西暦1421年、室町時代の中ごろにあたる。木造の鳥居は長い年月のあいだに何度も建て替えられ、石造であっても建立年がはっきり読み取れる例は多くない。建立の年を確かな形で示すこの一基は、それだけで特別な位置を占めている。

高さは約2.3メートル、二本の石柱の間隔は約1.9メートル。材は花崗岩で、瀬戸内海の島々や岬で広く切り出されてきた硬く白い石である。形式は明神鳥居。二段に重ねた横木と、貫と島木のあいだに収めた短い額束によって、この型と分かる。

鳥居が属するのは、岡山県倉敷市児島通生の宮山という丘の上に鎮座する本荘八幡宮である。丘からは水島灘が広がり、旧児島半島の南縁に接する海域を見下ろす位置にある。

石鳥居の基準作とされる理由

この鳥居が国の重要文化財に指定されたのは昭和31年(1956年)6月28日のことである。指定の理由は規模や装飾よりも、刻銘という記録性にある。建立年が確実に読み取れるため、年代の不明な他の石鳥居を位置づけるさいの基準点として用いられてきた。研究者は年代の確かな作例から逆算して類例の制作時期を推定する。本荘八幡宮の鳥居は、室町時代初期の石鳥居を考えるうえで、全国的な基準作として知られている。

その評価を支えているのが造りの確かさである。最上部の横木である笠木と、その直下に置かれた平たい島木は、別々の石を組み合わせるのではなく、一石から彫り出されている。横木の端はゆるやかに上へ反り、誇張のない穏やかな真反りを見せる。この控えめな曲線は時代の好みを示す手がかりであり、年代の判然としない鳥居どうしを数十年の幅で比べるための目安にもなっている。

石造の鳥居は木造に比べてはるかに数が少なく、十五世紀前半の年号を備えた石鳥居となればなおさら稀である。本荘八幡宮の鳥居が残ったのは、花崗岩が木材のように朽ちないことに加え、これを守ろうとした人々の手があったからである。

柱の銘文と火の痕跡

二本の柱には別々の銘文が刻まれており、これを読むことが、鳥居を建てた人々に最も近づく手がかりとなる。左柱には建立の年が記される。右柱には寄進者の名がある。児島通生の北に位置する塩生村の住人、松井義泰である。銘には辰年の生まれであることが刻まれ、倉敷市の文化財担当はその年齢を数え三十四歳と読んでいる。地域の有力者が氏神の社へ恒久的な石の鳥居を寄進し、自らの名を後世にとどめた事情がここから読み取れる。

柱の表面を近くで見ると、黒ずんだ痕がある。火を受けた焦げの跡である。天正3年(1575年)、この一帯は戦乱に巻き込まれ、社殿と付属する神宮寺の堂塔が焼けた。花崗岩の鳥居は炎をくぐり抜け、その痕跡を表面に残した。後世にはわずかな補修も加えられており、鳥居は造立だけでなく、生き延びてきた経緯までを石の上に留めている。

訪れる人を驚かせるのは、この鳥居がもはや社頭には立っていないことである。もとは参道の三ノ鳥居として、参拝者が社殿へ至る直前に最後にくぐる位置にあった。保存のため、管理する人々はこれを社殿の裏へ移し、最も大切に守られる区画を囲う瑞垣の内に据えた。安全は保たれる一方で、鳥居に近づくことは容易でなくなった。内陣の区域には敬意をもって接し、間近で見たい場合は社務所に尋ねるのがよい。

本荘八幡宮とその周辺

本荘八幡宮は、この海辺の社のなかでも由緒が古い。社伝では大宝元年(701年)の創建とされ、九州の宇佐神宮、八幡信仰の総本社から勧請したと言われる。長く児島通生十二ヶ村の総鎮守として崇敬を集めてきた。祭神は八幡信仰にかかわる三柱、すなわち応神天皇、その父である仲哀天皇、そして神功皇后である。

丘の上という立地は、登るだけの価値がある。宮山からは眼下に水島灘が開け、晴れた日には、児島半島の暮らしを長く形づくってきた海と干拓地が見渡せる。周辺にも見どころは多い。児島は今日では国産デニム発祥の地として広く知られ、小さな作り手が軒を連ねるジーンズストリートがある。近くの鷲羽山から望む瀬戸内海の眺望や、瀬戸大橋もいずれも足を延ばしやすい範囲にある。

訪れるには少しの計画がいる。最寄りの鉄道はJR瀬戸大橋線の児島駅で、社までは約4キロメートル。海岸方面へ向かう路線バスがあり、最寄りの通生辻浜のバス停からは徒歩圏である。児島の他の見どころと併せて巡るなら、車が最も手軽な手段となる。

Q&A

Q鳥居の近くまで行って見られますか。
A常に見られるとは限りません。鳥居は社殿の裏に移され、神域を囲う瑞垣の内に据えられているため、近づける範囲は限られます。境内自体は参拝できますので、間近で見たい場合は社務所に尋ねるのがよいでしょう。
Qなぜ建立年がここまで正確に分かるのですか。
A左柱に「応永廿八年十一月吉日」、すなわち1421年にあたる年号が刻まれているためです。石造物に明確な紀年銘が残る例は少なく、それゆえこの鳥居は他の石鳥居の年代を考えるさいの基準とされています。
Q明神鳥居とはどのような形式ですか。
A二段に重ねた横木である笠木と島木を、貫と短い額束で結んだ形式の鳥居です。横木の端はふつう緩やかに上へ反ります。日本で最も一般的な鳥居の形です。
Qなぜ社頭ではなく社殿の裏にあるのですか。
Aもとは参道に立つ三ノ鳥居として、社殿の手前にありました。花崗岩を風雨や接触から守るため、管理者が社殿の裏へ移し、現在に至ります。
Q誰が寄進したのですか。
A右柱に名のある塩生村の住人、松井義泰です。1421年にこの鳥居を寄進した地域の有力者で、銘には出身地や辰年生まれであること、年齢が刻まれています。

基本データ

名称本荘八幡宮鳥居(ほんじょうはちまんぐうとりい)
所在地岡山県倉敷市児島通生
所有者本荘八幡宮
指定区分重要文化財(建造物) 昭和31年(1956年)6月28日指定
年代応永28年(1421年) 室町時代中期
形式石造明神鳥居(花崗岩製)
寸法高さ約2.3メートル 石柱の間隔約1.9メートル
員数1基
公開状況社殿裏の瑞垣内に据えられ、近接しての見学は限られる。社務所に確認のこと。
アクセスJR瀬戸大橋線・児島駅から約4キロメートル。通生方面への路線バス利用。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3008
倉敷市 文化財保護課「本荘八幡宮鳥居」
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/culture/art/1007596/1007597/1011206/1007603/1007610.html
岡山県神社庁「本荘八幡宮」
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17148/
くらしき地域資源ミュージアム「本荘八幡宮鳥居」
https://www.kurashiki-shigen.jp/web/index.cgi?c=sightseeing-2&pk=75

最終更新日: 2026.06.02