旧南湖院第一病舎:「東洋一のサナトリウム」の面影を伝える明治の病棟
神奈川県茅ヶ崎市の南湖院記念太陽の郷庭園の敷地内に、ひっそりとたたずむ木造二階建ての洋風建築——旧南湖院第一病舎(きゅうなんこいんだいいちびょうしゃ)。明治32年(1899年)に建てられたこの建物は、かつて「東洋一」と謳われた結核療養施設・南湖院の最初の病棟です。平成30年(2018年)3月27日に国登録有形文化財(建造物)に登録されたこの建物は、日本の近代医療の黎明期を物語る貴重な遺構であり、湘南地域に残る希少な明治期の結核病棟として高い歴史的価値を有しています。
歴史的背景:南湖院の誕生
南湖院の創設者・高田畊安(たかたこうあん、1861〜1945年)は、京都府舞鶴市(旧丹後国中筋村)に綾部藩の藩医の次男として生まれました。京都医学校を経て帝国大学医学部を卒業した畊安は、著名なドイツ人医師エルウィン・ベルツの助手として大学に残りますが、自身が肺結核に罹患したことをきっかけに辞職。この闘病経験が、後に生涯を結核治療に捧げる原動力となりました。
明治29年(1896年)、畊安は東京・神田駿河台に東洋内科医院を設立。その分院として明治32年(1899年)、海浜の空気が清涼な茅ヶ崎の地に南湖院を開設しました。当時の茅ヶ崎は半農半漁の一寒村でしたが、ドイツ人医師ベルツが結核療養の理想の地として湘南地方を推奨していたことが、この地を選んだ背景にあります。院名は地名の「南湖」(なんご)に由来しますが、濁音を嫌った畊安は「なんこいん」と読ませました。
第一病舎は明治32年3月に起工、同年9月に竣工し、畊安の母の名を冠して「竹子室」と名付けられました。同年10月11日、病院としての認可を得て最初の入院患者3名を受け入れました。その中には、幕末の英雄・勝海舟の未亡人が含まれていました。畊安の妻・輝が勝海舟の孫にあたるという縁がありました。
「東洋一のサナトリウム」への発展
開設時わずか5,568坪だった南湖院の敷地は、その後拡張を重ね、最盛期の昭和10年代には約5万坪(東京ドーム約3.3個分)にまで広がりました。14棟の病棟に158の病室を擁し、1日の平均入院患者数は約200人。建坪は4,500坪に達し、「東洋一のサナトリウム」と称されるようになります。
南湖院の設備は当時としては画期的なものでした。井戸水を水道として利用し、測候所、水洗便所、汚水浄化装置、スチーム暖房などを完備。排菌者病棟と非排菌者病棟を離して配置することで院内感染を防ぐなど、合理的で先進的な運営が行われていました。入院者の死亡率の低さは特筆すべきもので、東京の医学生のほとんどが見学に訪れるほどの名声を博していました。
敬虔なクリスチャンであった畊安は、毎年クリスマスに「医王祭」と称する盛大な行事を催し、五千通もの招待状を発送して全国の著名人や地域住民を招きました。県知事も何度か出席するなど、地域社会との交流の場としても重要な役割を果たしていました。
文化人たちとの深いつながり
南湖院は多くの文化人・著名人とゆかりの深い場所でもあります。明治41年(1908年)、自然主義文学の旗手として知られる小説家・国木田独歩が第三病舎に入院。田山花袋、正宗白鳥ら著名な文人たちがたびたび見舞いに訪れ、真山青果が読売新聞に独歩の闘病記を連載したことで、南湖院と別荘地としての茅ヶ崎の知名度は全国に広まりました。独歩は4ヶ月の闘病の末、36歳の若さで亡くなりました。
大正15年(1926年)には、敬虔な信仰と家族への深い愛情を詩に綴った詩人・八木重吉が入院しています。また、女性解放運動の先駆者・平塚らいてうの姉も南湖院で療養生活を送り、らいてうの事実婚の夫である画家・奥村博史も入院しました。畊安は収入のない奥村の入院費を絵画で相殺するという温情ある対応をしたと伝えられています。
南湖院の存在は茅ヶ崎のまちづくりにも大きな影響を与えました。見舞客のための旅館や商店が開業し、道路や海岸の植林整備も進むなど、経済的・文化的な発展の原動力となったのです。
文化財としての価値:指定の理由
旧南湖院第一病舎は、平成30年(2018年)3月27日に国登録有形文化財(建造物)に登録されました。その建築的特徴として、木造二階建ての矩形平面に、北面の切妻屋根の玄関部と西面に張り出した階段室が立面に変化を与えています。外壁は下見板張りで、上下窓を並べた開放的な設計が特徴です。二階の窓にはペディメント(三角形の装飾)が飾られ、洋風建築としての意匠が見られます。
多くの開口部は、結核病棟として採光と通風を最大限に確保するための意図的な設計であり、当時の結核治療の思想を建築に反映した好例といえます。建築面積115平方メートル、延床面積約68.75坪、病室数10室のこの建物は、療養地として名高い湘南に残る希少な明治期の結核病棟として、高い歴史的・建築的価値が認められています。
見どころと魅力
旧南湖院第一病舎は、南湖院記念太陽の郷庭園内で公開されています。建物は現在外観のみの見学となりますが、下見板張りの外壁、ペディメント付きの窓、均整のとれたファサードなど、明治期の洋風医療建築の特徴を間近に観察することができます。
庭園内には、創設者・高田畊安を顕彰する石碑が西側の森の中にひっそりとたたずんでいます。ひょうたん池や噴水のある丸池、藤棚など、四季折々の自然が楽しめる散策路も整備されており、庭園の西側からは「関東の富士見百景」にも選定された富士山の眺望を楽しむことができます。晴れた日には、建物と木々の間から富士山の姿を望むことができるでしょう。
また、茅ヶ崎市では、中野設計工務株式会社から寄贈された3Dレーザースキャナによる旧南湖院第一病舎および庭園の立体イメージビデオを公開しており、建物の細部をバーチャルに体験することも可能です。
見学案内
南湖院記念太陽の郷庭園は、月曜日・木曜日・金曜日・土曜日・日曜日に開園しています。火曜日・水曜日および年末年始(12月28日〜1月4日)は休園です。開園時間は4月〜10月が10:00〜17:00、11月〜3月が10:00〜16:30で、入園は閉園の30分前までです。入園料は無料です。
JR茅ヶ崎駅から徒歩約20分。茅ヶ崎駅北口・南口から神奈川中央交通バスで「団地中央」バス停下車徒歩約8分、またはコミュニティバス「えぼし号」で「西浜小学校前」バス停下車徒歩約8分です。専用駐車場はありませんのでご注意ください。
周辺の見どころ
旧南湖院第一病舎の見学と合わせて、茅ヶ崎の魅力的なスポットを巡ることをおすすめします。南へ歩くとすぐにサザンビーチちがさきがあり、太平洋の大パノラマと茅ヶ崎のシンボル・烏帽子岩を望むことができます。ビーチには「茅ヶ崎サザンC」のモニュメントがあり、人気の撮影スポットとなっています。
北側には、長元3年(1030年)創建の古社・鶴嶺八幡宮があり、約800メートルにおよぶ松並木の参道が見事です。県指定天然記念物の大イチョウ、がん封じの石、座敷わらしの伝説など、見どころが豊富です。また、茅ヶ崎市美術館や高砂緑地では文化的な体験を、茅ヶ崎ゆかりの人物館では高田畊安をはじめとする茅ヶ崎ゆかりの文化人について学ぶことができます。旧東海道沿いの「南湖の左富士」も、歌川広重の浮世絵で知られる景勝地として訪れる価値があります。
Q&A
- 旧南湖院第一病舎とはどのような建物ですか?
- 明治32年(1899年)に建てられた、結核療養施設「南湖院」の最初の病棟です。木造二階建ての洋風建築で、平成30年に国登録有形文化財に登録されました。現在は南湖院記念太陽の郷庭園内で外観を見学できます。
- 建物の内部は見学できますか?
- 現在、建物の内部は一般公開されておらず、外観のみの見学となっています。ただし、周辺の庭園は自由に散策でき、建物の建築的な特徴を外から観察することができます。
- 入園料はかかりますか?
- 南湖院記念太陽の郷庭園の入園は無料です。開園日は月・木・金・土・日で、火曜日・水曜日および年末年始は休園となります。
- なぜ「東洋一のサナトリウム」と呼ばれたのですか?
- 最盛期の昭和10年代には敷地面積約5万坪、14棟の病棟に158の病室、1日の平均入院患者数約200人という規模を誇りました。先進的な設備と低い死亡率、充実した治療環境を備え、東アジア最大級の結核療養施設として知られていました。
- 南湖院にゆかりのある著名人は誰ですか?
- 小説家・国木田独歩が明治41年に入院し、36歳で亡くなりました。詩人・八木重吉も大正15年に入院しています。また、女性解放運動家・平塚らいてうの姉が療養し、らいてうの夫・奥村博史も入院しました。創設者・高田畊安の妻は幕末の英雄・勝海舟の孫にあたり、海舟の未亡人が最初の入院患者の一人でした。
基本情報
| 名称 | 旧南湖院第一病舎(きゅうなんこいんだいいちびょうしゃ) |
|---|---|
| 文化財指定 | 国登録有形文化財(建造物)/平成30年(2018年)3月27日登録 |
| 建築年 | 明治32年(1899年) |
| 構造形式 | 木造二階建、寄棟造、スレート葺、建築面積115㎡ |
| 所在地 | 神奈川県茅ヶ崎市南湖七丁目12869-201 |
| 所有者 | 茅ヶ崎市 |
| 公開場所 | 南湖院記念太陽の郷庭園内 |
| 開園時間 | 4月〜10月:10:00〜17:00/11月〜3月:10:00〜16:30(入園は閉園30分前まで) |
| 開園日 | 月・木・金・土・日(火・水、年末年始休園) |
| 入園料 | 無料 |
| アクセス | JR茅ヶ崎駅より徒歩約20分/神奈中バス「団地中央」下車徒歩約8分/えぼし号「西浜小学校前」下車徒歩約8分 |
参考文献
- 旧南湖院第一病舎(国登録有形文化財)|茅ヶ崎市
- https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1037067/index.html
- 旧南湖院第一病舎 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/428166
- 南湖院と第一病舎について|茅ヶ崎市
- https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1037067/1037071.html
- 南湖院の歴史|住宅型有料老人ホーム 茅ヶ崎 太陽の郷
- https://www.taiyonosato.co.jp/nankoin/
- 南湖院 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B9%96%E9%99%A2
- 南湖院記念 太陽の郷庭園|茅ヶ崎市
- https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/kouen/1006491/1017513.html
- 茅ヶ崎の煌き(高田畊安)|ちがさきナビ 茅ヶ崎市観光協会
- https://www.chigasaki-kankou.org/kirameki/period/m03/
最終更新日: 2026.04.17