通潤酒造店舗及び主屋:浜町宿に残る二百五十年の酒蔵建築

熊本県上益城郡山都町、阿蘇南外輪山と九州脊梁山地に抱かれた山あいの町に、江戸後期から今日まで酒造りを続けてきた一軒の町家があります。日向往還の宿場町・浜町の大通りに面して建つ「通潤酒造店舗及び主屋(つうじゅんしゅぞうてんぽおよびおもや)」は、宿場最大規模の町家として江戸・明治の商家文化を今に伝える貴重な建造物です。令和3年(2021年)10月14日に国の登録有形文化財に登録されたこの建物は、千鳥破風を思わせる特異な正面意匠と良好に保たれた上質な造作で訪れる人を迎えます。

歴史的背景

通潤酒造の歴史は、江戸時代中期の1770年(明和7年)、廻船問屋を営んでいた備前屋清九郎が、重い年貢に苦しむ地域の産業として酒造りを始めたことに遡ります。浜町は古くから肥後国と日向国を結ぶ日向往還の宿場町として栄え、参勤交代の行列や旅人、商人たちで賑わった交通の要衝でした。その大通りには、町家建築の意匠を凝らした商家が軒を連ねていたと伝えられています。

「通潤」という屋号は、後に採用されたもので、この地と深く結びついています。嘉永7年(1854年)に惣庄屋・布田保之助が水不足に苦しむ白糸台地へ水を引くために架けた石造水路橋「通潤橋」(現在は国の重要文化財)の名を受け継いだものです。布田保之助の姪ナミが9代目蔵元・山下林八のもとに嫁いだ縁で、当主家は通潤橋の名を銘酒として掲げるようになりました。

また、この店舗及び主屋は近代日本の激動を見届けた建物でもあります。1877年(明治10年)の西南戦争では、田原坂の戦いに敗れた西郷隆盛率いる薩軍が浜町に集結し、この蔵を本陣として軍議を開いたと伝えられています。西郷隆盛自身が宿泊したとされる奥座敷の逸話は、後に司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』にも描かれました。その後、山下家は代々この地で酒造りを続け、1963年(昭和38年)には社名を「通潤酒造株式会社」と改め、今日に至っています。

登録有形文化財に登録された理由

令和3年(2021年)10月14日、通潤酒造店舗及び主屋は、我が国の歴史的景観に寄与する建造物として国の登録有形文化財に登録されました。山都町では「大川阿蘇神社農村舞台」に続き2件目の登録有形文化財となります。

登録にあたっては、日向往還の宿場として栄えた浜町の商家の特徴を今日に伝える象徴的な建造物であることが高く評価されました。設計者や施工者は記録上明らかではないものの、丁寧に施工された上質な意匠が建物の随所に良好な状態で残されている点も、大きな評価のポイントとなりました。宿場最大規模の町家として、日向往還の建築文化と商業文化を現代に伝える、かけがえのない歴史的財産と位置づけられています。

建築の見どころ

この建物は、堅牢な土蔵造の店舗部と、木造の主屋を組み合わせた二階建ての町家で、瓦葺の屋根を載せています。建築面積は約327平方メートル、浜町の歴史ある大通りに正面を向けて建っています。しかし最も目を引くのは、その正面意匠の巧みさです。

通りに面した手前に寄棟造の店舗部が据えられ、その棟は街路と平行に走ります。店舗部の背後には主屋が棟を直交させて接続しており、主屋の屋根の一部(妻側)が店舗部の屋根の上から正面に顔を覗かせる仕組みになっています。この配置によって、正面から見上げると三角形の妻が店舗屋根の上に立ち上がり、格式の高い和風建築に見られる千鳥破風を想起させる、極めて特異な意匠が生まれています。全国的にも類例の少ない、意匠と機能を両立させた巧みな造作といえるでしょう。

細部にも伝統的な町家建築の工夫が凝らされています。下屋の中央は切り上げて戸口とされ、二階には町家特有の虫籠窓が開けられています。内部は中央に通路が貫き、通路の東側には店舗や蔵などが配され、西側は事務所の奥に主屋の居室が続きます。建築に関心のある旅行者にとって、どの角度から眺めても新たな発見のある一棟です。

酒蔵としての楽しみ方

この店舗及び主屋は博物館ではなく、今も現役で稼働する酒蔵の表玄関です。通潤酒造では無料で蔵見学と試飲を行っており、歴史ある敷地の中で、緑川・五ヶ瀬川の源流の清水と、山都町で契約栽培された酒米から醸される日本酒を味わうことができます。敷地内には、1792年(寛政4年)に建てられた熊本県内最古の酒蔵とされる「寛政蔵」も現存しています。

2016年の熊本地震で大きな被害を受けた際、通潤酒造は単なる復旧ではなく創造的な復興を選びました。寛政蔵は約3年をかけてリノベーションされ、2019年春にはシャトー形式の観光酒蔵として生まれ変わりました。試飲スペースや物販、ギャラリーを備えたカフェでは、季節限定の梅酒や純米吟醸酒「蛍丸」、ノンアルコールの甘酒などを、風情ある空間でゆっくりと味わうことができます。地元の伝説の刀剣に由来する「蛍丸」は、酒造の新しい挑戦として国内外に新たなファンを広げてきました。

周辺の見どころ

通潤酒造は、熊本の豊かな自然と歴史を堪能する拠点としても魅力的な立地にあります。徒歩や車で程なくの場所には、国の重要文化財に指定された石造水路橋「通潤橋」があり、近世石橋の傑作として知られる石橋からの放水は山都町を代表する風景のひとつとなっています。橋が潤した白糸台地には棚田が広がり、「通潤用水と白糸台地の棚田景観」として国の重要文化的景観にも選定されています。

さらに足を延ばせば、世界最大級のカルデラを誇る阿蘇の外輪山まで車で短時間。宮崎県の高千穂峡までも自動車で約50分と、九州中央部を周遊する旅の要となる場所です。創建から千年を超える小一領神社(こいちりょうじんじゃ)では、本殿に隠されたハートのモチーフが話題を呼んでいます。有機農業の里としても知られる山都町では、地元の野菜や乳製品を使った飲食店や道の駅にもぜひ立ち寄りたいところです。

Q&A

Q通潤酒造店舗及び主屋の中に入って見学することはできますか。
Aはい、可能です。この建物は今も稼働中の酒蔵の店舗兼本社として機能しています。営業時間内であれば店舗に入って歴史的な内部の雰囲気を感じることができ、無料の蔵見学と試飲にも参加できます。
Q文化財としての登録はいつで、どのような種類の指定なのですか。
A令和3年(2021年)10月14日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録有形文化財制度は、主に外観を中心に保護しながら、建物を実用的に使い続けることができる、指定より緩やかな保護制度です。
Q西郷隆盛や西南戦争との関わりは史実なのですか。
A地元には、1877年(明治10年)の西南戦争の折、田原坂の戦いに敗れた薩軍が浜町に集結してこの蔵を本陣とし、西郷隆盛自身も奥座敷に宿泊したとの言い伝えが残ります。この逸話は司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』にも取り上げられています。
Q通潤酒造の酒銘は、近くの通潤橋と関係があるのですか。
Aはい。酒銘「通潤」は、嘉永7年(1854年)に完成した国の重要文化財・通潤橋から取られています。通潤橋建設を主導した惣庄屋・布田保之助の姪が9代目蔵元に嫁いだ縁で、明治期に銘酒「通潤」が生まれました。
Q熊本市内からはどのようにアクセスできますか。
A熊本市中心部から山都町浜町までは車で約1時間です。九州中央自動車道の山都通潤橋インターチェンジが開通して以降、自動車での移動はさらに便利になりました。公共交通機関を利用する場合は熊本駅などから路線バスで訪れることもできますが、便数が限られるため事前確認をおすすめします。

基本情報

名称 通潤酒造店舗及び主屋(つうじゅんしゅぞうてんぽおよびおもや)
所在地 熊本県上益城郡山都町浜町字新町54-1他
種別 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 令和3年(2021年)10月14日
構造・形式 土蔵造(主屋部木造)、2階建、瓦葺
建築面積 約327平方メートル
創業 1770年(明和7年)/備前屋清九郎による
所有・運営 通潤酒造株式会社
アクセス 熊本市中心部から車で約1時間。九州中央自動車道「山都通潤橋IC」至近。

参考文献

山都町公式サイト「『通潤酒造店舗及び主屋』が国の登録有形文化財に登録されました」
https://www.town.kumamoto-yamato.lg.jp/kiji0037354/index.html
山都町公式サイト「『通潤酒造店舗及び主屋』 国の有形文化財(建造物)への登録の答申について」
https://www.town.kumamoto-yamato.lg.jp/kiji0036986/index.html
文化遺産オンライン(文化庁/NII)「熊本県・上益城郡山都町」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/region/43/43447
通潤酒造 公式サイト「通潤酒造について」
http://tuzyun.com/corporate/
熊本酒造組合「通潤酒造株式会社」
https://kumamoto-sake.com/intro/kuramoto03.html

最終更新日: 2026.04.16