古今集注〈藤原教長撰〉── 古今和歌集に施された現存最古の注釈

巻末の奥書に、仁治二年(一二四一)卯月二十六日、燈下の亥の刻ばかりに書写し終えた、と記された一冊がある。この上下二帖が収めるのは、わが国最初の勅撰和歌集『古今和歌集』に対して、現存するもっとも古い注釈である。撰者は平安末の公卿・歌人、藤原教長。京都大学が所蔵し、昭和十七年(一九四二)に重要文化財に指定された。

注釈そのものは、この写本よりも古い。教長が筆を執ったのは治承年間、十二世紀の後半である。ところが原本は早く失われ、後世の歌学者がその名を引くだけの佚書となっていた。長く題名のみが知られていた書が、教長の読み方をともなって再び世に現れたのが、この京大本にほかならない。

撰者・藤原教長という人

藤原教長(一一〇九〜一一八〇)は、大納言藤原忠教の次男として生まれ、藤原北家難波家・飛鳥井家の祖にあたる。崇徳天皇に近侍して蔵人頭から参議に進み、正三位に至った宮廷人である。能書家としても聞こえ、藤原忠通に書を教えた人物であった。三十三間堂として親しまれる蓮華王院の門額は、教長の筆と伝わる。

その経歴を断ち切ったのが、保元元年(一一五六)の保元の乱である。教長は崇徳上皇・藤原頼長の側に与し、敗れた。出家・投降して恭順を示したものの赦されず、常陸国信太の浮島、いまの茨城県稲敷市にあたる東国の地へ配流される。召還されたのは六年後、応保二年(一一六二)のこと。やがて高野山に身を寄せた。

『古今集注』が成ったのは、こうした失脚の歳月を経た出家後である。京大本の奥書には、治承元年(一一七七)に教長から訓説を受けた旨が記される。政争に翻弄された後半生のなかで、教長は当代の教養人が暗誦していた古歌の意味へと向かったのだった。

指定の理由と価値

『古今和歌集』は延喜五年(九〇五)ごろの成立以来、千年近くにわたって和歌の規範でありつづけた。その歌の解釈をめぐる議論は早くから盛んで、注釈の歴史は古注・旧注・新注と展開していく。教長の注はその出発点に位置し、現存最古の古今集注釈として名が挙がる。後の顕昭『古今集註』が教長の説を引いており、写本が見つかる以前から、その存在は学界に知られていた。

京大本が世に出たのは大正初年である。佚書とされてきた書が、横浜の岡本氏の書庫を経て本学の所蔵に帰したものという。書誌の調査では、原本ではなく、著作の六十余年のちに三度目に写された本とみられている。序の冒頭と巻第十七後半以降を欠く零本であるが、他に全きかたちで伝わらない教長注の本文を残す点に、かけがえのない値打ちがある。

もう一つの価値は、その表記にある。本文はおおむね片仮名で書かれ、下巻にわずかに平仮名を交え、変体仮名も用いる。年代の確かな仁治二年書写の写本は、何が書かれているかとは別に、国語学の資料としても貴重である。

見どころ

上下二帖は粘葉綴という古い装訂で、折った料紙を折り目で貼り継ぐため、閉じた本の背がやわらかな層をなす。表紙には古代織物を用い、白紙の題簽には金泥の模様が施される。白絹に包んで桐箱に収めるという、貴重書ならではの設えがそのまま残る。

奥書には目を留めたい。冒頭に触れた燈下の一筆のほか、巻六の末は仁治二年五月三日、巻十五の末は同年七月二十二日と、書写の進みが日付とともに各巻末に書きとめられている。書写者については、随應の極めにより二条師忠の筆と伝える付箋が添うが、その真偽は明らかでない。

本書は常時公開されているわけではない。ただし京都大学はこれを全冊電子化し、貴重資料デジタルアーカイブで高精細画像を公開している。粘葉綴の装い、金泥の題簽、各巻末に連なる奥書を、一紙ずつ画面で確かめることができる。実物に代えて、まずはここで見るのがよい。

周辺の楽しみ

所蔵地は京都市左京区吉田、京都大学本部キャンパスの一帯である。近くの京都大学総合博物館では、大学が蓄えてきた資料の一部を企画展示で見ることができ、本学の所蔵品に実地で出会うにはもっとも近い。坂を上れば、九世紀の創建と伝わる吉田神社が静かに鎮まっている。

古写本や古筆を間近に味わうなら、東山の京都国立博物館が市内随一の行き先になる。同館は三十三間堂と隣り合う。三十三間堂、すなわち蓮華王院の門額には教長の筆が伝わるから、一日のうちに古典籍の名品と、教長の書の遺例とを併せて訪ねることもできよう。

Q&A

Q実物の写本は見学できますか。
A常時の公開はありません。傷みやすい重要文化財のため京都大学附属図書館で保管され、展示はごく限られた機会に限られます。全冊は京都大学貴重資料デジタルアーカイブで高精細画像を自由に閲覧できます。
Qこれは藤原教長の自筆原本ですか。
Aいいえ。教長が注を著したのは十二世紀後半で、本書はその没後、仁治二年(一二四一)に書写された写本です。書誌上は三度目の写しとみられ、原本は伝わっていません。
Q「二帖」と「十七巻」はどう違うのですか。
A二帖は物としての冊数、上下の二冊を指します。十七巻は、注の対象となる古今集の構成にならった本文の区分です。文化庁は員数を二帖と記し、デジタルアーカイブは本文の巻数で立項しています。
Q「古今集注」と「古今集註」、表記が一定しないのはなぜですか。
A「注」と「註」はいずれも同じ意味の通用字です。国の指定名称は「注」を、デジタルアーカイブは「註」を用い、より長い題名形を採ります。指すものは同一の書です。
Qどのような経緯で京都大学の所蔵になったのですか。
A某華族の家に蔵されていたものが、横浜の岡本氏の書庫を経て本学に帰したと伝えられます。大正初年に学界の注目を集め、大正五年(一九一六)には佐々木信綱の解説を付して影印が刊行されました。

基本情報

名称古今集注〈藤原教長撰〉
種別書跡・典籍
指定区分重要文化財(昭和十七年〔一九四二〕六月二十六日指定)
員数二帖(粘葉綴。本文は十七巻、零本)
時代・年代鎌倉時代・仁治二年(一二四一)書写
本文の撰者藤原教長(一一〇九〜一一八〇)。十二世紀後半の成立
所有者・保管国立大学法人京都大学
所在地京都府京都市左京区吉田本町
公開状況常時公開なし。京都大学貴重資料デジタルアーカイブで全冊の画像を公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7696
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157221
古今和歌集註 17巻 — 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013496
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/

最終更新日: 2026.06.18