指定名称と通称が一致しない建物

大覚寺客殿(対面所)は、京都市右京区嵯峨大沢町の真言宗大覚寺派大本山大覚寺にある桃山時代の書院造建築で、明治45年(1912年)2月8日に重要文化財に指定された。

境内の案内板にも、寺の刊行物にも、この名は出てこない。現地で用いられているのは正寝殿(しょうしんでん)という呼称である。客殿(対面所)は明治45年の指定時に台帳へ記された名で、文化庁の国指定文化財等データベースは現在もこれを踏襲する。書物やデータベースを横断して調べる際、両者が同一の建物を指すことを承知していないと、所在をたどれなくなる。

位置は宸殿の北側。元和5年(1619年)の宸殿より一世代ほど古く、指定は15年早い。大覚寺の伽藍は応仁2年(1468年)と天文5年(1536年)の兵火で大半を失っており、天正17年(1589年)に空性法親王を門跡に迎えて以降の再建期に属する遺構として、この建物の位置づけは重い。

十二室と玉座

平面は読み解く価値がある。桁行は正面七間、背面八間、梁間四間。一重、入母屋造、檜皮葺の屋根の下に、大小12の部屋が南北三列に配される。

東列は北から剣璽の間、御冠の間、紅葉の間、竹の間の四室で、いずれも八畳。中央列は北に雪の間、南に鷹の間を置き、各十二畳。西列は三間×一間半の細長い室が二つ並び、北が山水の間で、九畳ずつをとる。これら諸室の南側と東側には幅一間の狭屋の間がめぐる。

上段の間にあたるのが御冠の間で、玉座を備える。徳治2年(1307年)に出家して法皇となり、大覚寺第23代門跡として院政を執った後宇多法皇が、政務の際に御冠を傍らに置いたという伝承にちなむ名である。ただし現在の室内はその情景を再現したもので、建物自体は法皇の時代から三世紀近く下る。

もう一つ、この殿舎に結びつけられる出来事がある。元中9年(明徳3年・1392年)の南北朝媾和である。南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り、和議が成立した会議の場がここであったと寺は伝える。桃山期の建立という年代からすれば、伝承が指し示すのは建物そのものではなく場所ということになり、寺側の記述も「行われたと伝わる」という形を保っている。

障壁画と、拝観をめぐる事情

正寝殿と宸殿に伝来する襖絵・障子絵は、およそ240面が一括して重要文化財(絵画)に指定されている。主たる筆者は二人。狩野山楽(1559年〜1635年)はここでは金地の華やかさより水墨の側に寄り、鷹の間の松鷹図は宸殿の牡丹図と対照をなす。渡辺始興(1683年〜1755年)はそれより一世紀以上のちの人で、狭屋の間の野兎図など小画面を手がけた。兎は襖の下方、坐した人の目線の高さに描かれている。

ここからが難しいところで、正寝殿は通常非公開である。お堂エリアの標準的な順路には含まれず、通常の参拝券では外観を過ぎるにとどまる。

公開の機会がないわけではない。令和8年(2026年)に寺号勅許1150年を迎えるにあたり、令和7年(2025年)6月21日から8月3日まで正寝殿特別拝観が実施された。お堂エリア参拝料とは別に一律500円、予約不要で毎日10時、13時、15時の三回、僧侶による約15分の案内が付く形であった。この会期はすでに終了している。内部を見たい場合は、寺の告知を定期的に確認するほかない。この種の公開は記念年や展覧会に合わせて設定されるため、恒常的な日程は組まれていない。

内部に入れない日でも、訪問の計画は立てておきたい。お堂エリアの参拝料は令和8年4月1日の改定により大人800円、小中高生400円。参拝時間は9時から17時、受付は16時30分まで。大沢池エリアは別券で、堂内の撮影は認められていない。JR嵯峨嵐山駅から徒歩約20分である。

Q&A

Q大覚寺客殿(正寝殿)は拝観できますか?
A通常は非公開で、お堂エリアの標準順路には含まれません。記念年などに合わせた特別拝観が組まれることがあり、直近では令和7年(2025年)6月21日から8月3日まで実施されました。訪問前に公式サイトの告知をご確認ください。
Q大覚寺客殿(対面所)と正寝殿は同じ建物ですか?
A同一の建物です。客殿(対面所)は明治45年(1912年)の重要文化財指定時の名称で、文化庁のデータベースもこの表記を用います。正寝殿は寺が現地および刊行物で使う呼称です。
Q大覚寺客殿(正寝殿)のどの部屋で南北朝媾和が行われたと伝わりますか?
A玉座を備える御冠の間(上段の間)です。元中9年(明徳3年・1392年)に後亀山天皇が後小松天皇へ三種の神器を譲った和議の場と伝えられます。現在の建物は桃山時代の建立にあたるため、室内はその情景を再現したものです。
Q大覚寺客殿(正寝殿)の障壁画は誰が描きましたか?
A狩野山楽と渡辺始興です。正寝殿と宸殿の襖絵・障子絵はあわせて約240面が重要文化財(絵画)に指定されています。山楽の松鷹図、始興の野兎図がよく採り上げられます。
Q大覚寺客殿(正寝殿)は宸殿とどのような位置関係にありますか?
A宸殿のすぐ北側に建ちます。宸殿が元和5年(1619年)の建立で昭和2年指定であるのに対し、正寝殿は桃山時代の建立で明治45年の指定と、いずれも正寝殿のほうが先行します。

基本情報

名称大覚寺客殿(対面所)/だいかくじきゃくでん(たいめんじょ) 通称:正寝殿
所在地京都府京都市右京区嵯峨大沢町
指定区分重要文化財(建造物/近世以前・住宅)
指定年明治45年(1912年)2月8日 指定番号00579
員数1棟
寸法桁行正面七間、背面八間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺(桃山時代/1573年〜1614年)
所有者大覚寺
公開状況通常非公開。記念年などに特別拝観が実施される場合あり

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 大覚寺客殿(対面所)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1887
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 お堂エリアのご案内
https://www.daikakuji.or.jp/precincts/
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 寺号勅許1150 正寝殿特別拝観
https://www.daikakuji.or.jp/jigo1150-memorial-project-shosinden/
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 大覚寺とは
https://www.daikakuji.or.jp/about/
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 参拝のご案内
https://www.daikakuji.or.jp/admission/

最終更新日: 2026.08.06