亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉とは:南禅寺の開創にあたり亀山法皇が自ら書いた起願文

亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉(かめやまてんのうしんかんぜんりんじごきがんもんあん)は、京都府京都市左京区南禅寺福地町の南禅寺が所有する、亀山天皇(法皇)の自筆の起願文の案で、昭和28年(1953年)3月31日に国宝に指定された。

文化庁の記録では、鎌倉時代の永仁7年(1299年)の作で、員数は1巻、所有者は南禅寺である。

南禅寺によると、南禅寺の開創にあたり、亀山法皇が「禅林禅寺起願事」という願文を自ら書き残したものである。

亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉に込められた願い

南禅寺によると、亀山法皇は無関普門禅師の徳をたたえて深く帰依し、正応4年(1291年)に離宮を禅寺とした。起願文の一節には「利生ノ悲願ハ化物ノ要径也」としたためられている。

南禅寺は、ここに込められた法皇の願いを、禅寺の開創によってあらゆるものをあるがままに活かしきれる心やさしい人が育つようにというものと説明している。

亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉の見どころ

南禅寺によると、蒙古襲来で敵味方の多くの将兵が戦死した現実をみつめた法皇の大慈悲心が伝わる願文である。

南禅寺によると、寺名はもと離宮禅林寺殿に由来する禅林禅寺だったが、この起願文が与えられてまもなく、南院国師(規庵祖円)の意見により、南宗禅の法を伝える寺の意から南禅寺と改められた。

亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉の見学方法

起願文は南禅寺が所有しており、常時公開されているわけではない。公開の予定は南禅寺の案内で確かめたい。

Q&A

Q亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案はいつ国宝に指定されましたか?
A昭和28年(1953年)3月31日に国宝に指定されました。
Qこの起願文は何のために書かれたのですか?
A南禅寺の開創にあたり、亀山法皇が自ら書き残した願文です。
Q起願文の一節は?
A「利生ノ悲願ハ化物ノ要径也」です。
Q南禅寺の寺名はどう決まったのですか?
A起願文のあとまもなく、禅林禅寺から南禅寺に改められました。
Qこの起願文はいつ書かれたのですか?
A永仁7年(1299年)です。

基本情報

名称亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日〉(かめやまてんのうしんかんぜんりんじごきがんもんあん)
所在地京都府京都市左京区南禅寺福地町(南禅寺)
指定区分国宝(古文書)
指定年昭和28年(1953年)3月31日指定
員数1巻
寸法文化庁データベースに記載なし
所有者南禅寺
公開状況常時公開ではない

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/804
南禅寺「禅林寺起願事」
https://nanzenji.or.jp/index.php?cID=287
南禅寺「歴史」
https://nanzenji.or.jp/about_rinzaishu/history

最終更新日: 2026.09.30