浮島十三重塔──宇治川の中州に立つ日本最大の石塔
宇治川の中ほどに細長い人工島がある。塔の島と呼ばれるこの島の中央に、十三層に重なった花崗岩の塔が一基だけ立っている。塔高は約15.2メートル。近世以前に造られた石造塔としては、現存最大の規模を誇る。弘安9年(1286年)の建立から七百四十年近く、宇治の流れと向き合いつづけてきた。
所有するのは橋寺の通称で知られる放生院常光寺。塔そのものに拝観料はなく、開門時間も設けられていない。平等院南門から朱塗りの喜撰橋を渡ると、松と楓のあいだに石塔が姿を見せる。観光地のただなかにありながら、訪れる者を急かさない佇まいである。
橋の修造と魚霊供養──建立の経緯
この塔の物語は信仰よりも土木から始まる。大化2年(646年)に元興寺の僧道登が架けたと伝わる宇治橋は、瀬田の唐橋・山崎橋とともに古代三大橋に数えられた。しかし鎌倉時代後期になると、宇治川の度重なる氾濫によって橋は失われ、長く中絶していた。弘安7年(1284年)、朝廷はこの大橋の再興を奈良西大寺の叡尊(1201〜1290)に託す。
叡尊は真言律宗の祖として戒律復興と慈悲行に生涯を捧げた高僧であり、土木事業の責任者としては異例の人選であった。彼は宇治川を見て、橋を架け直すだけでは足りないと考えたらしい。古来この川は網代漁の名所として知られ、産する鮎の供物は朝廷にまで届けられていた。叡尊にとって、漁られた魚の霊魂もまた鎮められるべき存在だった。
橋の完成と同じ弘安9年(1286年)、叡尊は宇治川の中央に舟の形を模した人工島を築かせた。網代や漁具をその下に埋め、殺生禁断を誓い、島の中央に大塔婆を建てた。これが浮島十三重塔である。同年11月19日の落慶法要には亀山上皇が御幸し、橋の落慶と合わせて放生会が修された。放生院の院号もこのときの法要に由来する。
重要文化財としての価値
昭和28年(1953年)3月31日、国の重要文化財に指定された(指定番号01192)。価値の核は、互いに支え合う三つの要素にある。
第一に、規模である。台石頂上から相輪頂部までの垂直距離は約15.2メートル。十三層という階層構成自体に密教的な意味が込められているうえ、各層の屋根石は一枚岩で削り出され、上層に向かって等比的に縮んでゆく。下から見上げると、寸法そのものが厳格な造形原理にしたがっていることが体感として伝わる。
第二に、初層軸部の薬研彫りである。四面それぞれに金剛界四仏の種子が刻まれており、東面に阿閦如来、南面に宝生如来、西面に阿弥陀如来、北面に不空成就如来を表す。深く鋭いV字断面で彫り込まれた梵字は、七世紀を経たいまもなお陰影をくっきりと保っている。
第三に、基礎の刻銘である。北面には千字を超える銘文が刻まれ、宇治橋の縁起、叡尊による橋の再興、そして本塔の造立に至る経緯が記録されている。中世の石造物としては破格の情報量であり、同時代史料との照合資料としても貴重である。南面には慶安3年(1650年)の追刻銘も残り、近世における修補の事実を伝えている。
現地で見たい細部
いま立つ塔の姿は、創建時そのままではない。宝暦6年(1756年)の大洪水によって倒壊し、塔身の大半は150年近くにわたり川底に埋もれていた。明治38年(1905年)、岡山県の福田海主・多日青蓮居士が叡尊の遺志を継いで復興を発願し、明治40年(1907年)より発掘に着手。翌41年(1908年)8月に再建が成った。現存する相輪と九層目の屋根石は、このとき新たに補ったものである。風化の度合いに微妙な差があるため、近づいて見ると古い部材と新しい部材の境がうっすらと読み取れる。
塔の周囲を一周してから少し離れて眺めるとよい。四方それぞれに異なる種子が刻まれ、北面の刻銘は南東から朝日が射す午前中がもっとも判読しやすい。台石は段重ねの基礎をなし、上端には八葉の蓮弁が彫り出されている。全体の量塊感に隠れて見落としやすい意匠だが、密教的な意味づけを担う重要な細部である。
塔の島は宇治川の左右両岸と喜撰橋・橘橋・朝霧橋などで結ばれており、どの方向からも歩いて渡れる。上流側の汀ではアオサギが浅瀬を歩き、夏になれば真下の流れに鵜飼の舟が舫われる。紅葉の最盛期は十一月下旬から十二月上旬、桜は四月上旬。いずれも塔のシルエットを縁取る景観が美しい。
周辺の見どころ
塔の島は宇治観光の中心部に位置しており、半日かけてゆっくり巡るのに向いている。徒歩五分以内の距離に、十円硬貨の意匠で知られる世界遺産 平等院がある。鳳凰堂の朱と池水の青、そして塔の灰白色の対比は、宇治を訪れる醍醐味の一つといえる。朝霧橋を渡って対岸に出ると、現存最古の神社建築を伝える宇治上神社(世界遺産)まで十五分ほど。
塔の所有者である放生院(橋寺)もすぐ近くで、境内には宇治橋の創建を伝える「宇治橋断碑」が残る。塔の見学とあわせて拝観したい。茶どころ宇治の表玄関である平等院表参道には、中村藤吉本店・伊藤久右衛門ほか江戸期から続く茶舗が軒を連ね、抹茶のスイーツや煎茶の試飲が楽しめる。さらに足を延ばせば、曹洞宗の古刹興聖寺の参道「琴坂」は秋に紅葉のトンネルとなり、塔の島とは別種の静けさを味わえる。源氏物語ゆかりの源氏物語ミュージアムも徒歩圏内にある。
Q&A
- 「日本最古の石塔」と紹介されることがありますが本当ですか?
- それは誤りです。石造層塔としては奈良時代前期の石塔寺三重塔(滋賀県東近江市)が最古、石造十三重層塔としては奈良市長谷町の塔の森十三重石塔(奈良時代後期)が最古とされます。浮島十三重塔が正確に名乗れるのは「現存する近世以前の石塔としては日本最大」という位置づけです。
- 塔の内部に入ったり、納置品を見たりすることはできますか?
- 塔は石造の供養塔ですので内部に立ち入ることはできません。宝暦の洪水で倒壊した際に発見された如意輪観音像・十三仏・水晶五輪小塔・金造舎利塔・五鈷鈴・紺紙金字法華経などの納置品は、京都府指定有形文化財「浮島十三重塔納置品」として保管されており、一般公開はされていません。
- 拝観料や開門時間はありますか?
- 塔は京都府立宇治公園内に立ち、無料で常時見学できます。三本の橋でいずれの岸からも渡れますが、増水時や河川整備工事の期間は一部立入制限がかかる場合があります。
- 訪れるのに最適な季節はいつですか?
- 桜なら三月下旬から四月上旬、紅葉なら十一月下旬から十二月上旬が見頃です。夏の夕刻は宇治川の鵜飼が行われ、川面を渡る風が街中とは別の涼を運んできます。冬の朝霧に塔のシルエットが浮かぶ景観も格別で、宇治が「朝霧の里」と呼ばれる所以を実感できます。
- 『源氏物語』との関係はありますか?
- 塔の建立は紫式部の没後二百数十年を経た鎌倉後期のことですので、物語の作中には登場しません。ただし宇治十帖の舞台はこの宇治川流域そのものであり、塔の島から徒歩十五分ほどの東岸には宇治市源氏物語ミュージアムがあります。塔と物語が同じ風景のなかに併存している、と捉えるのが正確でしょう。
基本情報
| 正式名称 | 浮島十三重塔(うきしまじゅうさんじゅうのとう) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号 01192 |
| 指定年月日 | 昭和28年(1953年)3月31日 |
| 員数 | 1基 |
| 時代・年代 | 鎌倉後期/弘安9年(1286年) |
| 構造・形式 | 石造十三重塔(花崗岩)/塔高 約15.2メートル |
| 建立者 | 叡尊律師(西大寺、1201〜1290) |
| 所在地 | 京都府宇治市塔ノ川(京都府立宇治公園・塔の島) |
| 所有者 | 放生院(通称「橋寺」) |
| アクセス | 京阪電鉄宇治線「宇治」駅から徒歩約10分(約800m)/JR奈良線「宇治」駅南口から徒歩約15分(約1.4km)/専用駐車場なし、最寄りは平等院参拝者用宇治駐車場(約300m) |
| 拝観 | 無料・常時見学可(公園内) |
| 関連指定 | 浮島十三重塔納置品 一括(京都府指定有形文化財・考古資料/2003年3月14日指定) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「浮島十三重塔」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1977
- 放生院 (宇治市) — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/放生院_(宇治市)
- 十三重石塔 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/十三重石塔
- 十三重石塔/京都府立宇治公園(お茶の京都)
- https://ochanokyoto.jp/spot/detail.php?sid=293
- 宇治公園(風致公園)— 京都府公式サイト
- https://www.pref.kyoto.jp/koen-annai/uji.html
- 浮島十三重石塔 — 京都通百科事典
- https://www.kyototuu.jp/Temple/Ukishima13JyuusekiTou.html
最終更新日: 2026.05.16