旧円徳院庭園 ― 伏見城から移された桃山の石組

慶長10年(1605年)、伏見城内に置かれていた一つの庭が、石も土も解体され、東山の山裾へと運ばれた。北政所ねね(高台院)が晩年を過ごすために移された化粧御殿の前庭である。御殿そのものは後年の火災で失われたが、庭は今も円徳院・北書院の奥に残り、昭和50年(1975年)に「旧円徳院庭園」として国の名勝に指定された。

枯池に2つの島を配し、3本の太い石橋で結ぶ。東の築山には立石を組んだ枯滝が落ちる。水はない。にもかかわらず、ここに立つと水音が聞こえてくるような錯覚を覚える。それは選び抜かれた巨石が、ひとつひとつ異なる姿勢で大地に踏ん張っているからだろう。

伏見城からの移築 ― ねねが歩いた19年

豊臣秀吉の没後、正室の北政所は剃髪して高台院と号し、慶長8年(1603年)に朝廷より院号の勅賜を受けた。秀吉の菩提を弔うため、東山の地に大寺院を構える願いを立て、徳川家康もこれを政治的判断から手厚く支援している。

慶長10年(1605年)、高台院は甥の木下利房に命じ、伏見城内にあった自身の化粧御殿とその前庭をこの地へ移築させた。翌年には高台寺が落成する。以降19年間、高台院はこの邸宅から毎朝、現在「ねねの道」と呼ばれる坂道を上り、亡き夫の霊を弔い続けたという。寛永元年(1624年)9月6日、77歳でこの屋敷で生涯を閉じた。

寛永9年(1632年)、木下利房は屋敷を寺院に改め、三江紹益を開山として高台寺の塔頭とした。寺名「圓徳院」は利房の戒名「圓徳院殿半湖休鷗居士」に由来する。なお、化粧御殿本体は寛政7年(1795年)に高台寺の小方丈として移築されたのち、文久3年(1863年)の放火で焼失している。現在の北書院は明治20年(1887年)の再建で、当時の御殿の姿は残らない。残ったのは庭である。

名勝指定の理由 ― 桃山書院庭園の数少ない原型

作庭にあたったのは賢庭。後に大成する作庭家・小堀遠州の下で経験を積んだ人物で、醍醐寺三宝院庭園の作庭にも関わっている。賢庭の手になる原案を、円徳院移築後に遠州自身が手直ししたと考えられている。伏見の地では池泉回遊式であったが、敷地が縮小されたため、書院から座視するための枯池泉式に改められた。

昭和50年の指定理由には、この庭が桃山時代の書院庭園の特色をきわめて良好に保持していること、特にその石組手法が「豪宕華麗」と評される時代様式を典型的に示していることが挙げられている。具体的には、巨大な切石を切り立たせて二等辺三角形に組み上げる手法、池中に渡される石橋の異例の厚みと重量感、そして狭い面積に50を超える大石を配置する密度の高さなどがそれにあたる。同時代の書院庭園で原型をここまで残している例は他に多くない。

北書院から眺める ― 石組の構成を読む

順路は長屋門から唐門、庫裏、方丈の南庭を経て、渡り廊下で北書院へと至る。庭は北書院東側に展開し、座敷正面の視点から鑑賞するように設計されている。

視線の起点は右奥(北東隅)の枯滝石組である。垂直に切り立つ立石の組み合わせが、水なき滝の落ち口を示す。そこから左下へ視線を導かれるように、枯池中央に向かって石組が連なり、2つの中島へと至る。中央が鶴島、左手が亀島。鶴島の脇には鶴首石と呼ばれる細長い立石があり、視点によっては鶴の首が伸びる姿に重なって見える。その奥に蓬莱山を表す石組が控え、書院から見て一番遠い位置で構図を締めくくる。

3本の石橋は、いずれも一枚岩を架けた重量感のあるもので、橋自体が彫刻のような存在感を放つ。江戸後期以降の繊細な石組と比べると、ここで使われる石は明らかに大きく、また個々の輪郭が際立っている。狭い空間に多数の巨石が組まれているにもかかわらず窮屈な印象を与えないのは、石と石のあいだに余白の取り方が計算されているためで、座敷に正座して長く眺めるほどその構成の妙が見えてくる。

方丈の襖絵は長谷川等伯筆と伝わるもので、国指定の重要文化財。原本保護のため高精細複製で展示されることが多い。また、北書院脇には伏見城から運ばれた「檜垣の手水鉢」があり、側面に刻まれた檜垣文様は京都検定の出題例にもなった。

拝観案内

拝観時間は午前10時から午後5時まで(受付終了17時、閉門17時30分)。拝観料は大人500円、中高生200円で、掌美術館の入館料を含む。高台寺・圓徳院・掌美術館の共通拝観券は900円。3か所を通して見るならこちらが割安である。

庭がもっとも映えるのは秋の紅葉期で、北書院前の楓が朱に染まり、灰色の石組と対比をなす。ただし混雑も最も激しい時期で、例年10月下旬から12月中旬の夜間特別公開ではライトアップされた庭を見るのに行列ができる。一方、冬の早朝は拝観者がまばらで、座敷に長く座って石組と向き合うことができる。

北書院脇の小間の茶室では、週末を中心に楽茶碗による特別な抹茶席が設けられている。古田織部が秀吉のために考案したと伝わる点前作法に基づくもので、別料金。受付で当日の実施有無を確認してほしい。

周辺の見どころ

圓徳院は東山の散策路の中心にある。ねねの道を挟んだ向かいが高台寺で、こちらの庭園は小堀遠州作と伝えられる池泉回遊式。座視式の旧円徳院庭園とは対照的に、池の周囲を歩きながら鑑賞する。両者を見比べると、桃山から江戸初期にかけての庭園様式の幅が体感できる。

すぐ南には石塀小路の石畳が伸び、明治末期から大正にかけての茶屋建築が連なる風情ある一帯となっている。坂を上れば世界遺産の清水寺、下れば八坂神社と円山公園。八坂神社からねねの道、円徳院、高台寺を経て清水寺へ至る道筋は、京都の古い町並みを徒歩で巡る半日コースとして定番で、旧円徳院庭園はそのなかでも静かに腰を落ち着けて鑑賞できる場所になる。

Q&A

Qなぜ「旧」円徳院庭園という名称なのですか。
Aこの庭がもともと伏見城内に作られたものだからです。文化庁は移築の経緯を踏まえ、現在地の寺院名に「旧」を冠する形で指定名称としています。庭そのものが円徳院に作られたわけではない、という歴史的事実を名称に残しているわけです。
Q本当に水は使われていないのですか。
Aはい。砂利を敷いた枯池と立石による枯滝で構成された枯山水庭園です。伏見城時代は池泉回遊式の水のある庭でしたが、移築の際に敷地が縮小されたため、書院から座視する枯池泉式に改められました。
Q拝観に適した時間帯は。
A開門直後の午前10時前後は比較的すいています。秋の夜間ライトアップ期間(例年10月下旬〜12月中旬)は人気が高く待ち時間が出ることもあります。冬の朝は拝観者が少なく、座敷でゆっくり庭と向き合いたい方には適しています。
Q写真撮影はできますか。
A北書院からの庭園撮影は基本的に可能ですが、フラッシュや三脚は制限されます。襖絵を含む堂内展示は展示内容によって扱いが変わることがあるため、受付でその日の案内を確認してください。
Q隣の高台寺との違いを教えてください。
A高台寺はねねが夫秀吉の菩提を弔うために創建した大寺院で、庭園は歩いて回る池泉回遊式です。圓徳院はねね自身の住まいだった建物が寺院化されたもので、庭は座って正面から向き合うために設計されています。共通拝観券は両者を続けて鑑賞することを想定したものです。

基本情報

正式名称旧円徳院庭園(きゅうえんとくいんていえん)
指定区分国指定名勝
指定年月日昭和50年(1975年)1月21日(告示番号2号)
指定基準一.公園、庭園
時代桃山時代(16世紀後半に作庭、慶長10年〈1605年〉に現在地へ移築)
作庭(伝)賢庭。後に小堀遠州が手を加えたとされる
所在地〒605-0825 京都市東山区下河原町530
管理寺院圓徳院(高台寺塔頭・臨済宗建仁寺派)
拝観時間10:00〜17:00(受付終了17:00、閉門17:30)
拝観料大人500円、中高生200円(掌美術館入館料を含む)。高台寺・圓徳院・掌美術館共通券900円
アクセス市バス「東山安井」下車徒歩約4分。清水寺から徒歩約15分、円山公園から約5分
電話075-525-0101

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):旧円徳院庭園
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1733
圓徳院公式サイト(高台寺):北庭
https://www.kodaiji.com/entoku-in/hokutei.html
圓徳院公式サイト(高台寺)
https://www.kodaiji.com/entoku-in/
京都観光Navi(京都市公式):圓徳院
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=4493
庭園ガイド:円徳院(圓徳院)
https://garden-guide.jp/spot.php?i=entokuin

最終更新日: 2026.05.20