玉鳳院庭園 ― 妙心寺最古の塔頭に守られた三方の枯山水

京都市右京区、妙心寺の広大な境内のもっとも奥まった一角に玉鳳院がある。建武4年(1337)の妙心寺創建とほぼ同時に花園法皇によって設けられた、四十六ある塔頭のうち最古の寺院である。その方丈と開山堂を三方から囲む枯山水は、昭和6年(1931)7月31日に国の名勝かつ史跡として指定された。一つの庭が二つの区分で同時に指定される例は決して多くない。

庭は徳川中期、すなわち江戸時代の中ごろに整えられたものとされる。南部に長く伸びる白砂と松の景、北部に蓬莱式の石組と枯滝、東部にひそやかな石の据え方。三つの区画はそれぞれ違う性格をもちながら、中央に立つ室町期の開山堂と寛文の唐門、そして明暦の方丈に応じるように配されている。庭そのものよりも、まずこの「建物との応答」を意識して眺めると、設計の判断が見えてくる。

開山堂「微笑庵」と境内最古の建物群

玉鳳院庭園の構造を理解するには、その中に建つ建物を先に知っておきたい。中央に位置する開山堂「微笑庵」は、天文6年(1537)に東福寺から移築されたもので、妙心寺山内に現存する最古の建物である。室町時代中期の唐様建築で、軒下には組物が層をなして組み上げられている。堂内には常夜灯と常香盤が据えられ、妙心寺の開山・無相大師(関山慧玄)が祀られている。

方丈は明暦2年(1656)の再建で、上皇の御所である仙宮を模した寝殿風の構えをとる。檜皮葺の屋根の下に広い縁が回り、ここから南北の枯山水を眺める。開山堂と方丈をつなぐ渡り廊下が南庭と北庭を分かつ位置にあり、結果として庭は同じ堂内から二つの別の景として読まれる構造になっている。

開山堂の前に立つ向唐門(四脚門)も国の重要文化財で、寛文年間(1661〜1673)に淀屋辰五郎の寄進と伝える。鐘楼の銅鐘は慶長15年(1610)の鋳造である。庭の周囲を構成するこれらの建造物のひとつひとつが、それぞれ別の時代に積み重ねられて現在の姿を成している。

三つの庭をどう読むか

文化庁データベースの解説は短いが要を得ている。庭園は南部・北部・東部の三区に分かれ、徳川中期の作と記される。実際に各区を順に眺めると、その文言の精度が腑に落ちる。

南部の庭は開山堂の前方、微笑庵の手前に広がる。長方形の地に白砂が敷きつめられ、何本かの松が列を成して植えられている。庵の前には、妙心寺型と呼ばれる独特の形状をもつ石燈籠が二基据えられている。妙心寺型石燈籠は他寺院ではあまり見ない意匠で、笠が低く、火袋に窓が穿たれた簡素な姿をもつ。

北部の庭は開山堂と方丈のあいだに収まる。蓬莱式の構成で、奥には縦に立てられた石を組んだ枯滝、手前には抑制された石の据え方。渡り廊下を歩きながら断片的に視野に入るよう設計されている。この区画のなかには「風水泉」と呼ばれる古井戸があり、関山慧玄が延文5年(1360)にその傍らに立ったまま亡くなったと伝えられる。

東部の庭は微笑庵の東、もっとも小さく、もっとも静かな一区である。指定の解説は「庭石を巧みに配置し清雅の趣あり」とだけ記す。実際に見ても説明的な要素はなく、滞在する時間そのものが鑑賞になる。

名勝かつ史跡 ― 二つの区分が示すもの

多くの日本庭園は名勝の指定のみで、史跡を兼ねるものは限られる。玉鳳院庭園が両方の区分を受けているのは、庭そのものの造形美に加え、この場所が抱える歴史の濃さによる。境内には、わずか三歳で亡くなった豊臣秀吉の長男・鶴松(棄丸)の霊屋「祥雲院殿」があり、武田信玄・勝頼父子の供養塔と、織田信長・信忠父子の供養塔が、ほど近い場所に並んでいる。戦国の主導権を争った武将たちの供養が、京都の塔頭のひとつの庭に集約されているという事実は、この場所を単なる景観以上のものにしている。

この歴史的厚みもまた、玉鳳院が普段は門を閉じている理由のひとつである。方丈の障壁画――狩野永真(安信)筆と伝わる「麒麟図」「竜図」、伝狩野洞雲(益信)筆の「秋草図」など――や三つの庭園は、京都市等が主催する「京の冬の旅」や夏の特別公開などの折にのみ一般に公開される。

周辺案内 ― 妙心寺の大伽藍と花園界隈

妙心寺は日本でも有数の規模をもつ禅寺で、南北に貫く中心軸に三門・仏殿・法堂・大方丈が並び、法堂天井には狩野探幽による雲龍図が描かれる。境内に点在する塔頭の多くは通常非公開だが、退蔵院(室町期の国宝「瓢鮎図」と枯山水の余香苑)、大心院(阿吽庭)、桂春院(しだれ桜と江戸期の庭)など、年間を通じて拝観できる寺院もあり、それぞれが独立した庭園文化を伝えている。

所在地の「花園」は花園法皇の名にちなむ町名で、商業の喧騒からは離れた住宅地である。最寄りはJR嵯峨野線の花園駅で、南総門まで徒歩約5分。境内をさらに10分ほど北上すると玉鳳院に至る。仁和寺・龍安寺方面までは徒歩30分圏内、嵐山や北野方面とも歩いてつながる位置にあり、洛西の禅刹を一日かけて巡るなら起点にも終点にも適している。

Q&A

Q玉鳳院はいつでも拝観できますか
A通常は非公開です。「京の冬の旅」など、京都市観光協会等が主催する特別公開のときにのみ拝観が可能です。公開は年により有無や期間が異なるため、訪問予定時期が決まったら、妙心寺公式サイトや京都市観光協会の発表を事前にご確認ください。
Q庭園や堂内の撮影はできますか
A近年の特別公開では、庭園・堂内ともに撮影は禁止されています。配布される拝観のしおりや解説書をご参照ください。撮影に頼らずじっくり鑑賞する時間が取れる、貴重な機会と捉えるのがよいでしょう。
Qこの庭の様式はどのようなものですか
A水を用いず石・砂・植栽で景を構成する枯山水です。北部は蓬莱式で、立石による枯滝と石組によって中国神話の蓬莱山を象徴的に表現します。南部は白砂と松によるより開放的な構成で、二基の妙心寺型石燈籠が配されています。
Q庭園の正確な作庭年代や作庭者は分かっていますか
A文化庁の解説では「徳川中期の作」とされ、具体的な年代や作庭者は記録されていません。建物のほうは古く、開山堂は室町中期、方丈は明暦2年(1656)の再建です。庭はこれらの建物に応じて整えられたと考えられます。
Q特別公開のときには庭以外に何を見るべきですか
A方丈の襖絵(伝・狩野安信筆「麒麟図」「竜図」、伝・狩野益信筆「秋草図」など)、境内に並ぶ豊臣鶴松の霊屋、武田信玄・勝頼父子の供養塔、織田信長・信忠父子の供養塔がいずれも見どころです。北庭にある「風水泉」と呼ばれる古井戸の前でも、しばし足を止めることをおすすめします。

基本情報

名称玉鳳院庭園(ぎょくほういんていえん)
指定区分国指定名勝・国指定史跡(昭和6年〔1931〕7月31日指定)
時代江戸時代中期(徳川中期)
様式枯山水(北部は蓬莱式)
所在地京都府京都市右京区花園妙心寺町
所属臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺 塔頭 玉鳳院
公開状況通常非公開。「京の冬の旅」など特別公開時のみ拝観可。最新情報は妙心寺・京都市観光協会で要確認
撮影近年の特別公開では庭園・堂内ともに撮影不可
交通JR嵯峨野線「花園」駅より徒歩約5分。京都市バス「妙心寺前」停留所より徒歩約7分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「玉鳳院庭園」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1673
妙心寺公式サイト「玉鳳院」
https://www.myoshinji.or.jp/worship/keidai/318
京都観光Navi「京の冬の旅非公開文化財特別公開【妙心寺 玉鳳院】」
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=2981

最終更新日: 2026.05.21