石造としては類を見ない大きさの五輪塔

神應寺の門のかたわらに立つ石塔は、台座からの高さが6.08メートルに達する。最下部の地輪は一辺2.44メートルあり、見上げなければ最上部までは目に入らない。京都府八幡市、男山の麓に置かれたこの石清水八幡宮五輪塔は、中世の五輪塔としては日本最大の規模をもつ。

五輪塔は、五つの石を積み上げて密教でいう五大、すなわち地・水・火・風・空をかたどった仏塔の一形式である。下から順に、方形の地輪、球形の水輪、屋根の形をした火輪、半球形の風輪、宝珠形の空輪が重なる。多くは墓標や供養塔として寺院や墓地に置かれる小ぶりなものだが、この塔は石を用いてはほとんど例のない大きさで築かれた。

もとは石清水八幡宮の宮寺であった極楽寺の境内に建っていた。神仏が一体に祀られていた時代、社と寺がひとつの宗教施設として営まれた名残であり、極楽寺が廃されたのちも、この石塔だけが残された。現在は男山の麓、一ノ鳥居の近くに位置し、下院から歩いてわずかの距離にある。

指定の理由と、解けない謎

文化庁は、刻まれた石の形状や比率から、この塔を鎌倉時代後期、おおむね1275年から1332年の間の造立と見ている。文献による裏づけがあるわけではない。重要文化財に指定されたのは昭和32年(1957年)2月19日である。

この塔が際立つのは、その大きさだけによるのではない。花崗岩の表面には銘が一切刻まれていない。造立の年も、寄進者の名も、建立の趣旨も記されていないため、これほどの規模の塔がなぜここに築かれたのかは判然としない。手がかりの少なさが、由来をめぐるいくつもの説を生む余地を残してきた。

石が裏づけてくれない来歴

もっとも知られた話が、この塔の通称である「航海記念塔」の由来となっている。摂津国尼崎の豪商が、宋との交易の帰途、海上で激しい嵐に遭った。石清水八幡宮の神に祈ったところ無事に帰着できたため、その礼として承安年間(1171~1174年)に建てたと伝えられる。のちに船乗りたちが航海の安全を願って参るようになり、この呼び名が定着した。

由来をめぐる説はほかにもある。鎌倉時代前期の戦乱で落命した武士の霊を慰めるため、1220年代に築かれたとするもの。文永・弘安の役(1274年・1281年)の蒙古襲来に際し、西大寺の僧叡尊が当宮で祈り、敵味方の死者を弔うために建立したとするもの。八幡神を九州の宇佐から勧請した僧行教の墓とする説もある。

江戸時代より前には「忌明塔(いみあけとう)」と呼ばれた。父母の四十九日の忌が明けると人々はこの塔に参り、喪の穢れを清めたという。

造立そのものにも言い伝えが残る。巨石を金テコで動かそうとしたところ、石の間から火が噴き出して綱が焼け切れ、八幡の竹で編んだ綱を用いてようやく積み上げたという話である。

間近で見たい細部

基部のそばに立つと、この形式が幾何学的な構成のうえに成り立っていることがよくわかる。立方体の地輪から球形の水輪、大きく張り出した火輪へと、上にゆくほど絞られていく輪郭には明確なリズムがある。多くの古い石塔が荒れた岩肌に苔をまとうのに対し、この塔の花崗岩は比較的なめらかで、それが造立年代の特定を難しくしている一因とも指摘される。

正面からだけでなく、塔のまわりを回って眺めたい。横から見ると、各輪が下の輪を押さえつけるように積まれた構造がよく見え、これほどの重量を十三世紀に人の手でどう積み上げたのかという疑問が、おのずと先の言い伝えへと立ち返らせる。

周辺の見どころ

塔が立つのは、標高143メートルの男山の麓である。山上には日本三大八幡宮のひとつ石清水八幡宮が鎮座する。本社10棟は平成28年(2016年)に国宝に指定された。横幅の広い八幡造の社殿は、この形式の現存例として最大かつ最古であり、現在の社殿は寛永11年(1634年)に徳川幕府が修造したものである。

麓の駅からは参道ケーブルが上院まで約3分で上がる。徒歩なら参道を約30分登ることになる。塔の近くには高さ約9メートルの花崗岩の一ノ鳥居が立ち、その額は元和5年(1619年)に松花堂昭乗が書いた。「八幡宮」の「八」の字は、向かい合う一対の鳩をかたどった意匠で知られる。鳩は当宮の神使である。

男山一帯は平安時代から続く桜の名所でもある。春には山の斜面や麓を流れる木津川の背割堤が桜花に包まれ、近くのさくらであい館の展望台からは三川の合流を一望できる。秋には同じ山肌が紅に色づく。

Q&A

Q塔はどこにあり、見つけやすいですか。
A男山の麓、神應寺の門のそばに立ち、石清水八幡宮の一ノ鳥居の近くにあります。京阪石清水八幡宮駅から徒歩約4〜5分で、ケーブルカーや山上への参道に向かうよりも手前に位置します。
Q自由に見学できますか。拝観料は必要ですか。
A屋外の開けた場所に立っており、いつでも無料で見学できます。重要文化財ですので、登ったり触れたりしないようご注意ください。
Qなぜ「航海記念塔」と呼ばれるのですか。
A海難を逃れた商人が神への礼に建てたという言い伝えに由来します。のちに船乗りが航海の安全を祈って参るようになり、この通称が定着しました。ただし塔には銘がなく、由来を確かめる手立てはありません。
Q山上の神社とはどのような関係がありますか。
A社と寺がひとつであった時代に石清水八幡宮を支えた極楽寺の境内に、もともと建っていました。寺は廃され、この塔だけが麓に残されています。
Q周辺とあわせて訪れるなら、いつがよいですか。
A背割堤や男山の桜が見頃を迎える春が候補ですが、秋の紅葉や国宝の本社への参拝とあわせれば、どの季節でも見どころがあります。

基本情報

名称石清水八幡宮五輪塔(通称・航海記念塔)
所在地京都府八幡市八幡
所有者石清水八幡宮
指定区分重要文化財(昭和32年〔1957年〕2月19日指定)
時代鎌倉時代後期(おおむね1275年〜1332年と推定)
構造・形式石造五輪塔 1基
規模高さ約6.08メートル、最下部の地輪は一辺約2.44メートル。中世の五輪塔としては日本最大
アクセス京阪石清水八幡宮駅から徒歩約4〜5分
見学屋外。いつでも自由に見学可能

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1998
八幡市 石清水八幡宮 五輪塔(航海記念塔)
https://www.city.yawata.kyoto.jp/0000000472.html
八幡市観光協会 航海記念塔(石清水八幡宮五輪塔)
https://www.kankou-yawata.org/shuhen/jinjabukkaku/kokaikinen.html
八幡ストーリー 石清水八幡宮 五輪塔(航海記念塔)
https://www.city.yawata.kyoto.jp/yawata-story/introduction/introduction006.html

最終更新日: 2026.06.01