京都電気鉄道電車(京都市交通局二号電車)—平安神宮で甦った日本最古級の路面電車
平安神宮の朱塗りの応天門。その西側に新しく建てられた覆屋の中で、木造の小さな電車が静かに展示されている。明治四十四年(一九一一)、大阪府堺市の梅鉢鉄工場で組み立てられ、京都市内を半世紀にわたり走り続けたのち、昭和三十六年(一九六一)十二月にこの境内へ運び込まれた一両である。我が国最初の公共電気軌道として知られる京都電気鉄道で使用された車両のうち、現存する最も製造年代の古い電車。令和二年九月三十日に重要文化財に指定され、令和七年から進められた約一年間の修理を経て、令和八年(二〇二六)四月一日より無料で一般公開されている。
この車両を特別なものにしているのは、単に古いという事実だけではない。当時の姿が、ほぼそのまま残されているという稀有な事実である。明治・大正期の路面電車で現存するものは国内に他にもあるが、動力部の部品を取り替えたり、外装に手を加えたり、展示用に内装を整え直したりされている例が大半を占める。本車両は、木製の台枠も、米国ブリル社製のブリル21-E型台車も、モケット張りのロングシートも、モニタールーフの明かり窓に施された京都電気鉄道(京電)の社章も、製造当初の構造と部品をそのままに伝えている。今回の修理でも、車体のさびを落として市電カラーの濃緑色とクリーム色に塗り直し、破損していた吊り革や座席を補修するにとどめ、当初部材はあえて交換しなかった。
日本の電気鉄道はここから始まった
一両の電車がなぜ国の重要文化財となるのか。その答えは、明治二十八年(一八九五)の京都にさかのぼる。同年四月から七月にかけて、岡崎の地で第四回内国勧業博覧会が開かれた。会期わずか四か月で百十三万人を超える入場者を集めた、明治政府による国家事業である。慶応四年(一八六八)の東京奠都以降、京都は天皇と公家を失い、人口も産業も衰退の兆しを見せていた。博覧会は、この古都を立て直すための大きな賭けでもあった。
もう一つの賭けが、琵琶湖疏水であった。明治二十三年に完成したこの大運河は、当初は水車動力としての利用が想定されていた。しかし、設計者の田辺朔郎は渡米調査ののち急遽計画を変更し、疏水の落差を利用した蹴上発電所を明治二十四年に開設する。日本で最初の事業用水力発電所である。電灯も工場動力も普及していなかった時代、電気の使い道は限られていた。そこに、新しい産業として現れたのが電気鉄道であった。資本金三十万円で設立された京都電気鉄道株式会社(通称京電)は、博覧会開催に合わせて二月一日に伏見線(東洞院塩小路下ル—伏見下油掛間、約六・四キロ)を開業させ、四月一日には博覧会場へ向かう七条停車場—南禅寺間を開通させた。日本初の公共電気軌道の誕生である。
奇しくも、博覧会会場の真北にあたる岡崎の地には、同じ年に平安遷都千百年を記念して平安神宮が創建されている。京電の電車と平安神宮は、同じ一八九五年に、岡崎という同じ土地で産声を上げた。境内の神苑の池に琵琶湖疏水の水が引かれているのも、この時代背景による。
創業当時の運行は素朴であった。電車の速度は時速十キロほど。市街地の安全対策として、京都府は明治二十八年八月に電気鉄道取締規則を制定し、電車の前を走って「電車、来まっせ。電車、来まっせ。危のおっせ」と声を張り上げる「告知人」を乗務させることを義務付けた。先導役の少年たちが、電圧の急変で不意に加速した電車にひかれてしまう事故も起きたという。
京電から市電へ、そして引退まで
本車両が製造されたのは明治四十四年。京電が梅鉢鉄工場に発注した三十三両のうちの一両であった。京電は大正七年(一九一八)に京都市に買収され、引き継がれた狭軌の大型車百三十三両の一両として市営となる。京都市はすでに広軌の市電を運行していたため、京電由来の狭軌車両には番号の頭にNを付けて区別した。本車両は「狭軌第五十二号」、すなわちN52と呼ばれた。昭和三十年(一九五五)の車番変更で、残存していた狭軌車両二十八両は単純に一番から二十八番まで通し番号で振り直され、N52は二号となる。
この時期、狭軌のN電が走ったのは堀川線(京都駅—北野間)のみであった。市民は「チンチン電車」あるいは「N電」と呼んで親しんだ。北野線は昭和三十六年四月、開業から六十六年で廃止される。引退した車両の多くは解体されたが、二号車は平安神宮との縁から特別に保存されることになった。同年十二月、神苑に運び込まれ、それから六十年あまり、有料区画の南神苑にひっそりと展示されてきた。
重要文化財指定の理由
文化庁の解説は三つの点を評価している。第一に、我が国最初の公共電気軌道である京電で使用された路面電車のうち、現存する最も製造年代の古い車両であること。第二に、構造と部品が大幅に当初のまま残されていること。具体的には、木製の台枠と車体、米国ブリル社製ブリル21-E型の単台車、モケット張りのロングシート、出入台の屋根と客室仕切りの間にある上部金具、モニタールーフの明かり窓にあしらわれた京電の社章などが含まれる。電動機は昭和三十四年に米国ゼネラル・エレクトリック社のGE800型から神戸製鋼所鳥羽工場製Tb-23C型に交換されているが、それ以外は明治期の製造時から廃車時までの姿をよく伝える。第三に、京都市交通局に残された簿冊「狭軌木造単車(1)」には本車両の製造から改修までの履歴を示す文書と図面が揃っており、来歴がきわめて明確である。
外国製の電装品と台車を、日本製の木造車体に組み合わせて国内で完成させる—この構成はのちの国産単台車の規範となり、明治後期から大正にかけて全国の路面電車に広がっていく。本車両は、交通史と科学技術史の交差点に位置する一両でもある。
見どころ
車体は長さ八・三八二メートル(二十七フィート)、幅二・〇二〇メートル(六フィート六インチ)、高さ三・二九九メートル、自重六・七六トン。側面の窓は九枚並ぶ大型車で、明治二十八年の開業時に使われた七枚窓の前期型に対し、大正前後に増備された後期型に属する。観察したいのは、車体下部が内側に絞り込まれた「裾絞り」の形状である。これにより客室内の空間を広くとりながら、台車部分の幅を抑えている。視線を上げると、モニタールーフの明かり窓に小さな円形の社章—姿を消した京都電気鉄道のしるし—が刻まれているのが見える。
車内に目をやると、モケット張りのロングシートが両側に並び、前後の出入台が運転台を兼ねる構造がよくわかる。出入台の屋根と客室の仕切りの間にある金具にも、同じ京電の社章が施されている。今回の修理では、ちぎれた革製の吊り革や破損したシートを補修したが、新品に取り替えてはいない。天井から下がっているのは、北野線時代に乗客が握っていたものそのものである。
応天門西側に新設された覆屋には、車両の周囲を巡る見学通路が設けられた。京都女子大学の鶴岡典慶教授(文化財修復・保存学)ら専門家と文化庁との協議のもと、塗装は廃車時の市電カラー(濃緑色とクリーム色)に戻されている。京電の創業当時の色ではなく、引退当時の色を選んだのは、この車両が伝えるべきは「使われ尽くした昭和三十六年の姿」であるという判断による。
周辺の楽しみ方
本車両が展示されているのは、京都を代表する近代の神社である平安神宮の境内である。平安神宮そのものも、明治二十八年に平安遷都千百年を記念して創建された。社殿は平安京の朝堂院を約八分の五の規模で復元したもので、応天門の設計は伊東忠太、木子清敬、佐々木岩次郎による。本殿の背後には、七代目小川治兵衛(植治)が二十年以上をかけて造り上げた池泉回遊式の神苑が広がる。神苑は国の名勝に指定されており、四月初旬の紅枝垂桜と夏のスイレンで知られる。池に流れ込んでいるのは、かつてこの電車を走らせた水力発電と同じ琵琶湖疏水の水である。
境内を出れば、そこは旧博覧会跡地に造られた岡崎公園である。京都市京セラ美術館と京都国立近代美術館は徒歩五分、東山方面へ十分ほど歩けば南禅寺と哲学の道に至る。明治二十八年の電車終点、疏水、神宮、美術館群が一キロ四方に収まっており、半日の散策コースとして組み立てやすい立地である。
Q&A
- 電車はどこで見られますか。拝観料は必要ですか。
- 令和八年四月以降は、平安神宮の応天門西側に新設された覆屋で展示されており、無料区画にあるため拝観料は不要です。令和七年初頭までは有料区画の南神苑に置かれていましたが、多くの方に親しんでいただくため、誰でも気軽に立ち寄れる門前の場所へ移されました。
- 車内に立ち入ることはできますか。
- 車内への乗り込みはできません。重要文化財のため、覆屋の周囲に設けられた見学通路から外観と車内をご覧いただく形式となっています。通路の高さは車内の座席、吊り革、運転台が窓越しによく見える位置に設計されています。
- なぜ「チンチン電車」「N電」と呼ばれるのですか。
- 「チンチン電車」は鐘の音に由来する古い路面電車の愛称で、京都市民が広く使ってきました。「N電」のNは、京都市が大正七年に京電を買収したのち、狭軌(Narrow gauge)の車両を広軌車両と区別するために付けた番号の頭文字に由来します。両方の呼び名とも、本車両が活躍した北野線時代に定着した呼称です。
- 見学にどのくらい時間を取ればよいでしょうか。
- 覆屋の周囲を一周し、解説パネルに目を通し、車体と内部をじっくり眺めるのに二十分ほどあれば十分です。本殿や神苑も拝観する場合は、平安神宮全体で九十分から二時間を目安にしてください。
- 京電由来の路面電車で、今も走っているものはありますか。
- 残っていません。京都電気鉄道、京都市電のいずれも昭和五十三年までに全廃されました。京都で現在も路面電車を見たい場合は、嵐山方面へ向かう京福電気鉄道(嵐電)が唯一の選択肢となりますが、車両も路線も京電の直接の後継ではありません。
基本情報
| 名称 | 京都電気鉄道電車(京都市交通局二号電車) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(歴史資料)、令和二年九月三十日指定 |
| 員数 | 1両 |
| 製造年 | 明治四十四年(一九一一) |
| 製造所 | 梅鉢鉄工場(大阪府堺市) |
| 寸法 | 長さ八・三八二メートル、幅二・〇二〇メートル、高さ三・二九九メートル、自重六・七六トン |
| 車体 | 九枚窓の木造車体、木製台枠、裾絞り形状 |
| 台車 | 米国ブリル社製ブリル21-E型単台車 |
| 電動機 | 当初は米国ゼネラル・エレクトリック社製GE800型、昭和三十四年に神戸製鋼所鳥羽工場製Tb-23C型へ交換 |
| 運用履歴 | 大正七年に京都市移管、狭軌第五十二号(N52)に改番。昭和三十年に二号と改称。同三十六年四月の北野線廃止により引退、同年十二月に平安神宮へ移設 |
| 所在地 | 〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町97 |
| 所有者 | 宗教法人平安神宮 |
| アクセス | 京都市営地下鉄東西線「東山」駅から徒歩約10分、または市バス「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車 |
| 公開状況 | 令和八年四月一日より、応天門西側の覆屋にて無料公開 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「京都電気鉄道電車(京都市交通局二号電車)」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/591620
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011939
- 平安神宮 公式サイト
- http://www.heianjingu.or.jp/
- READYFOR「鉄道発展の礎を築いた最古の電車『京都電気鉄道電車』を守る|平安神宮」
- https://readyfor.jp/projects/heian-nden
最終更新日: 2026.05.18