密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉とは:龍光院の茶室「密庵席」の名の由来となった南宋の禅僧の書

密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉(みったんかんけつぼくせき)は、京都市北区紫野の大徳寺塔頭龍光院が所有する、南宋の禅僧密庵咸傑の法語の墨蹟で、昭和26年(1951年)6月9日に国宝に指定された。

文化庁の記録では、南宋の淳熙己亥(1179年)仲秋の年紀をもつ綾本の法語で、員数は1幅、所有者は龍光院である。

文化庁によると、龍光院書院の茶室「密庵席」には床の間が二つあり、その一つに密庵咸傑の書を掛ける。

密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉と密庵席

文化庁の記録によると、中国・南宋時代の作品で、綾地に書かれた法語である。題に「淳熙己亥仲秋日」とあり、南宋の淳熙6年(1179年)の仲秋に書かれたものである。

文化庁によると、龍光院書院の茶室は「密庵席」と名付けられ、小堀遠州の好みと伝えられる四畳半台目のやや書院風の茶室である。茶室の名は、この墨蹟を掛ける床に由来する。

密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉の見どころ

MIHO MUSEUMによると、龍光院は黒田長政が父の黒田官兵衛の菩提を弔うため、江月宗玩を開祖として慶長11年(1606年)に建立した。江月は大坂堺の豪商で茶人でもある天王寺屋・津田宗及の次男で、天王寺屋に伝来した名宝は江月によって大坂夏の陣の難をくぐり抜け、その多くが龍光院に伝えられている。

MIHO MUSEUMは、龍光院の名宝として、国宝の曜変天目茶碗とともにこの密庵墨蹟を挙げている。

密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉の見学方法

墨蹟は龍光院が所有しており、常時公開されているわけではない。公開の機会は展覧会の案内で確かめたい。

Q&A

Q密庵咸傑墨蹟はいつ国宝に指定されましたか?
A昭和26年(1951年)6月9日に国宝に指定されました。
Q密庵咸傑とは誰ですか?
A中国・南宋時代の禅僧です。
Qこの墨蹟はいつ書かれたのですか?
A淳熙己亥(1179年)の仲秋です。
Q密庵席との関係は?
A龍光院書院の茶室「密庵席」の床にこの墨蹟を掛けることから、茶室の名が付いています。
Qこの墨蹟はどのように龍光院に伝わったのですか?
AMIHO MUSEUMによると、天王寺屋伝来の名宝が開祖江月宗玩によって龍光院に伝えられました。

基本情報

名称密庵咸傑墨蹟〈法語(綾本)/淳熙己亥仲秋日〉(みったんかんけつぼくせき)
所在地京都府京都市北区紫野大徳寺町(龍光院)
指定区分国宝(書跡・典籍)
指定年昭和26年(1951年)6月9日指定
員数1幅
寸法文化庁データベースに記載なし
所有者龍光院
公開状況常時公開ではない

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「密庵咸傑墨蹟」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/578
文化遺産オンライン「密庵咸傑墨蹟」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/192803
文化庁 国指定文化財等データベース「龍光院書院」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1592
MIHO MUSEUM「大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋」
https://www.miho.jp/exhibition/daitokuji-ryokoin/

最終更新日: 2026.09.29