安曇川の奥、修験の道場

明王院は、滋賀県大津市葛川坊村町にある天台宗の寺院で、本堂・護摩堂・庵室・政所表門の四棟が平成5年(1993年)12月9日に重要文化財に指定された。正式には阿都山葛川寺息障明王院と称し、葛川明王院、息障明王院の呼び名でも通る。比叡山延暦寺東塔無動寺の奥の院にあたる。

坊村は大津市域の北端に近い。安曇川に沿って京と若狭を結んだ若狭街道、いわゆる鯖街道の中ほどに位置し、比良山系が西へ落ちる斜面と川に挟まれた細長い集落である。境内は安曇川の支流・明王谷の北岸、山腹を石垣で段状に整えた土地に開かれている。

四棟の年代は江戸期を通して散らばる。本堂は正徳5年(1715年)の再建で、桁行三間・梁間五間、入母屋造に西側面の唐破風と一間の向拝を備える。護摩堂は宝暦5年(1755年)、桁行三間・梁間三間の宝形造。庵室は天保5年(1834年)、桁行8.7メートル・梁間4.9メートルの入母屋造で正面に玄関を附属し、参籠の行者が起居する建物である。政所表門は棟門・切妻造で、文化庁データベースは桃山時代、17世紀初期とする。境内で最も古い建築にあたる。

開創は貞観元年(859年)、無動寺の僧相応和尚(831〜918)による。相応は千日回峰行の祖と位置づけられる人物で、静寂の地を求めて葛川に入ったと伝わる。『葛川縁起』は、地主神の思古淵神から当地を与えられ、常喜・常満という二童子に導かれて三の滝に至り、七日の断食のすえ滝中に不動明王を感得したと記す。滝壺に飛び込んで抱いたものは桂の古木であり、その霊木から像を刻んで安置したのが寺の始まりという。

建物だけでなく土地が指定された理由

建造物の指定は普通、棟を単位とする。葛川の場合は石垣・石塀・石段を含む境内地約9,500平方メートルが、地主神社境内地とあわせて指定範囲に入っている。面積の数値は指定に関する報告に拠るもので、文化庁データベースは各棟を個別に登載している。

土地まで含めた理由は、中世の寺観がそのまま読み取れる点にある。文保元年(1317年)から翌年にかけ、南隣の伊香立庄との山林境界争論を裁くために絵図が二鋪作られた。そこに描かれた堂舎の配置と段の切り方は、現状とほとんど違わない。護摩堂脇の石段に立つと、鎌倉末の絵師が見た地形の上に立っていることになる。

平成17年(2005年)11月から平成23年(2011年)3月にかけて、滋賀県教育委員会による保存修理が行われた。本堂を解体したところ前身堂の部材が転用されていることが判明し、年輪年代測定はその伐採年を1100年前後と示した。正徳の再建より六百年古い木材が、屋根を支えていたことになる。

同じ修理で、旧本堂の屋根がとち葺であったことも確かめられた。厚く割った板を重ねるこの葺き方は、延暦寺では根本中堂など主要堂宇に限られる。葛川がどう位置づけられていたかを示す傍証といえる。本堂はとち葺に復原され、残る三棟はやや薄いこけら葺で仕上げられた。落成法要は平成23年5月18日。文化庁データベースが四棟をいずれも鉄板葺と記すのは指定時の状態であり、現状とは異なる。

建造物以外の所蔵品も厚い。永久5年(1117年)を最古とする葛川明王院文書4,336通は、山村と寺院の相互の支配関係を追える史料群である。参籠札501枚には元久元年(1204年)銘の高さ391センチに及ぶものがあり、足利義満・足利義尚・日野富子の名も見える。本尊の木造千手観音立像と脇侍の毘沙門天・不動明王の三躯は院政期、12世紀の作とされる。

境内の歩き方

地主神社の前から橋を北へ渡る。左手が政所の一画で、急な石垣の上に表門が載る。棟門は柱二本に切妻屋根を掛けただけの単純な構えで、装飾らしい装飾はない。境内最古の建築が最も素朴という順序は、ここではむしろ理にかなっている。

右手に護摩堂と庵室が並ぶ。護摩堂は朱塗りで、杉木立の暗さのなかで色がよく立つ。屋根が一点に集まる宝形造は、護摩を焚く堂に選ばれる形である。隣の庵室は畳敷きで玄関を持ち、造りは住居に近い。火を扱う堂と眠るための堂が肩を並べている配置そのものが、参籠という行の内容を説明している。

護摩堂の脇の石段を上がると、一段高い平場に本堂が建つ。正面は南だが、出入口は西面にしかない。南側に扉を設けないこの構成は、外から見ても分かる。内部は三間×三間の正堂の手前に三間×二間の礼堂が付く形式で、仏のいる場と人のいる場が明確に分かれる。

拝観時間は午前9時から午後4時30分、拝観料は無料。7月を除く毎月18日の午後2時からは本堂で護摩祈祷が営まれ、参列できる。7月が除かれるのは、16日から20日の夏安居が入るためである。中日18日の深夜には太鼓まわしが行われる。直径1メートルを超える大太鼓を勢いよく回し、行者が上から飛び降りる。相応が滝壺に身を投じた故事に因む所作で、百日回峰はこの葛川の夏安居に加わらなければ満行と認められない。

撮影の可否について公式な案内は見当たらない。屋外からの外観撮影は一般に行われているが、堂内や行事の撮影は現地で確認したい。

川を挟んだ地主神社の本殿・幣殿も重要文化財で、文亀2年(1502年)の三間社春日造は県内唯一の遺構である。徒歩二分。なお坊村の積雪は4月まで残る年があり、バスは一日数便にとどまる。時刻表の確認は必須と考えてよい。

Q&A

Q大津市の明王院は拝観できますか。拝観時間と拝観料は?
A境内は午前9時から午後4時30分まで開かれており、拝観料は無料です。重要文化財四棟は屋外から外観を見る形で、堂内は通常公開されていません。7月を除く毎月18日の午後2時からは本堂で護摩祈祷が行われます。
Q明王院(葛川坊村町)へは公共交通機関でどう行きますか?
AJR湖西線堅田駅から江若交通バス堅田葛川線・細川行きに乗り、約45分の「坊村」下車、徒歩5分です。便数は一日三往復程度にとどまります。京都方面からは、出町柳から京都バス比良線の朽木学校前行きで約56分、一日二往復の運行です。
Q明王院で重要文化財に指定されているのはどの建物ですか?
A本堂(正徳5年/1715年)、護摩堂(宝暦5年/1755年)、庵室(天保5年/1834年)、政所表門(17世紀初期)の四棟です。指定は平成5年12月9日、指定番号は02296。附として本堂に厨子1基と旧厨子1基、護摩堂に厨子1基と棟札5枚、庵室に棟札1枚が含まれます。石垣・石塀・石段を含む境内地も指定対象です。
Q明王院の7月18日の太鼓まわしとはどのような行事ですか?
A7月16日から20日の夏安居の中日、18日深夜に本堂で営まれる行です。百日回峰・千日回峰の行者が次々と大太鼓に飛び乗り、飛び降ります。開山の相応和尚が三の滝の滝壺に飛び込んだ故事に因みます。百日回峰は葛川の夏安居に参加して初めて満行となります。
Q明王院の建物はデータベースでは鉄板葺とありますが、現状の屋根は違うのですか?
A異なります。文化庁データベースは平成5年の指定時点の状態を記載しており、当時は四棟とも鉄板葺でした。平成17年から23年の保存修理で、本堂は旧部材から判明したとち葺に復原され、他の三棟はこけら葺で仕上げられています。落成法要は平成23年5月18日に行われました。

基本データ

名称明王院(みょうおういん)/通称 葛川明王院、葛川息障明王院
所在地滋賀県大津市葛川坊村町155
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号 02296
指定年平成5年(1993年)12月9日
員数4棟(本堂・護摩堂・庵室・政所表門 各1棟)
寸法本堂:桁行三間・梁間五間、入母屋造、西側面唐破風造、向拝一間/護摩堂:桁行三間・梁間三間、宝形造、向拝一間/庵室:桁行8.7m・梁間4.9m、入母屋造/政所表門:棟門、切妻造
所有者明王院
公開状況境内は午前9時〜午後4時30分、拝観無料。外観のみ見学可、堂内は通常非公開。7月を除く毎月18日14時から護摩祈祷

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 明王院 本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1382
国指定文化財等データベース(文化庁) 明王院 護摩堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1383
国指定文化財等データベース(文化庁) 明王院 庵室
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1384
国指定文化財等データベース(文化庁) 明王院 政所表門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1385
大津市 明王院 本堂
https://www.city.otsu.lg.jp/bz/a/02/05/60271.html
滋賀県文化財保護協会 新近江名所圖会 第54回 天台の修行の地-葛川明王院
https://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%AC%AC54%E5%9B%9E/
葛川まちづくり協議会 葛川息障明王院
https://www.katsuragawa-shiga.com/blog/2021/04/05/154809

最終更新日: 2026.08.11

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  1. 明王院 庵室 0.00 km
  2. 明王院 護摩堂 0.01 km
  3. 明王院 政所表門 0.02 km
  4. 明王院 本堂 0.04 km