二棟でひとつの登録

中小路家住宅離れ及び内門は、京都府向日市上植野町下川原にある明治前期の建造物で、平成20年(2008年)4月18日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。敷地の東南部、街道に面した表構えの奥、弘化5年(1848年)建立の主屋の脇に位置する。

文化庁の国指定文化財等データベースは、この二棟を1棟として数える。離れは木造平屋建、建築面積約20平方メートル。東西棟の切妻造桟瓦葺で、北面に庇を付ける。外壁は腰板張の上を漆喰塗とし、内部は居室として使われてきた。

離れと主屋のあいだに架かるのが、当家で「内門」と呼ぶもう一棟である。桁行6.0メートル、梁間1.4メートル、面積は9.0平方メートル。独立して建つのではなく、離れの庇と連続させて設ける。

この一点が、二棟をひとつの登録とした理由を説明する。内門を離れから切り離すと、どちらも構成として成り立たない。

開いた西面、閉じた東面

内門の東西二面は対照的な扱いを受ける。西面は開放され、前庭と主屋への動線に向く。旧西国街道側にあたる東面は漆喰壁で塞がれ、その一部だけが潜門となる。

結果として、屋根のある通路が同時に目隠しとして働く。主屋から離れへ移る者は、片側を漆喰壁で街道から遮られ、もう片側を庭に開いたまま、雨に濡れずに歩くことになる。

登録番号は26-0296、第59回登録で、告示は平成20年(2008年)5月7日。適用された基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に発足し、住み続けられ、家族の都合で手が加えられ、それでも残す価値のある建物を想定して設計された。重要文化財のような許可制ではなく、届出制をとる。

内門は、この屋敷における二番目の境界にあたる。街道に面する長屋門が外から敷地内への入口を担い、内門はさらに、家の表向きと東南の私的な一角とを分ける。京都近郊の上層農家の屋敷は、こうした層をなす構成をとった。中小路家では、その層が建物として残っている。

家の歴史と、訪ね方

屋敷に伝来する古文書は延宝8年(1680年)にさかのぼり、中小路家は400年近くこの地に住まってきた。屋号は「河忠」。街道沿いの町内名「河原町」と、代々の当主名「忠兵衛」に由来する。向日市の解説は同家を総名主を務めた旧家とし、当家自身の説明は、幕末に聖護院門跡領の庄屋を務めたと記す。

向日市の解説によれば、明治期の地券には本家一、土蔵二、小屋一、物置一が記載され、それぞれ主屋、内蔵、外蔵、離れ、小屋にあたるという。このうち外蔵のみが現存しない。大正14年(1925年)4月新調の家相図は現在の屋敷の状況とほぼ一致しており、離れと内門も遅くともこの年までには今の姿になっていたことになる。

文化庁データベースで現在確認できる同住宅の登録建造物は6棟。訪問は主屋で営業する喫茶を通じて行う。営業時間は10時から17時。定休日は所有者の公式サイトが月・火・水曜日とイベント開催時とするのに対し、京都登文会の情報は月曜・火曜とする。館内では年間を通じてコンサートや展示、教室が開かれ、その日は喫茶を休むため、075-921-2657へ事前に確認するのが確実である。

離れと内門は敷地内にあり、街道に面する長屋門や穀蔵と違って公道からは見えない。実際に見るには敷地へ入る必要がある。屋内の撮影は、個人の住まいでもあることから所有者に確認してからにしたい。

交通は阪急京都線西向日駅から徒歩約8分、JR長岡京駅からは阪急バス「一文橋」下車徒歩3分。向日市は歩いて回る価値のある土地で、旧西国街道を北へたどれば他の登録文化財が続き、8世紀後半に十年間だけ都が置かれた長岡宮跡も同じ市内にある。

Q&A

Q中小路家住宅離れ及び内門は敷地の外から見えますか。
A見えません。いずれも敷地の東南部、街道側の表構えの奥に位置するため、旧西国街道からは確認できません。見学するには敷地内へ入る必要があり、通常は主屋の喫茶を利用します。
Q中小路家住宅離れ及び内門はなぜ二棟でひとつの登録なのですか。
A内門が独立した建物ではなく、離れの庇と連続して設けられているためです。構造として一続きの構成をなすことから、文化庁は両者を1棟として扱い、登録番号26-0296を与えています。
Q中小路家住宅離れ及び内門の規模はどれくらいですか。
A離れは建築面積約20平方メートル。内門は桁行6.0メートル、梁間1.4メートルで、面積9.0平方メートルです。いずれも木造平屋建、瓦葺です。
Q中小路家住宅を訪ねるときの営業時間と休みは。
A主屋の喫茶は10時から17時です。定休日は情報源によって差があり、所有者の公式サイトは月・火・水曜日とイベント開催時、京都登文会は月曜・火曜と記します。出発前に075-921-2657へ確認してください。
Q中小路家住宅離れ及び内門はいつ建てられたものですか。
A文化庁のデータベースは年代を明治前期(1868年から1911年の範囲)とします。加えて、当家に残る大正14年(1925年)4月新調の家相図が現在の屋敷の状況とほぼ一致するため、遅くともその時点で今の姿にあったとみられます。

基本情報

名称中小路家住宅離れ及び内門(なかこうじけじゅうたくはなれおよびうちもん)
所在地京都府向日市上植野町下川原48
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 26-0296
指定年平成20年(2008年)4月18日登録/同年5月7日告示
員数1棟(離れ及び内門)
寸法離れ 建築面積約20平方メートル/内門 桁行6.0メートル、梁間1.4メートル、面積9.0平方メートル
所有者個人
公開状況敷地内に所在し公道からは見えない。主屋の喫茶利用時に見学可(営業日10時から17時)。電話075-921-2657

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 中小路家住宅離れ及び内門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007074
向日市歴史・文化サイト 中小路家住宅
https://www.city.muko.kyoto.jp/site/rekishi/1033.html
京都登文会(京都府国登録文化財所有者の会) 中小路家住宅
https://www.kyoto-tobunkai.org/catalogue/58.html
向日市観光協会 中小路家住宅
https://www.muko-kankou.jp/map/detail.html?id=446

最終更新日: 2026.08.06