石清水の名が生まれた社

離宮八幡宮は、京都府乙訓郡大山崎町の西国街道沿いにある神社で、貞観元年(859年)に宇佐の八幡神を迎えて創建されたと伝わり、昭和初期に再建された本殿・拝殿など6棟が平成25年(2013年)に国の登録有形文化財となった。

社の御由緒によれば、始まりは清和天皇が受けた神のお告げである。国家を鎮め護るため、九州の宇佐八幡宮から八幡神を都の近くへ迎えよというもので、奈良・大安寺の僧行教がその役を命じられた。八幡神を奉じて戻った行教は、淀川の港であった山崎の津で夜の山に霊光を見る。麓を少し掘ると岩の間から清水が湧いたため、そこに社を建てて「石清水八幡宮」と名付けた、と社は伝えている。

この地にはかつて嵯峨天皇の離宮、河陽宮(かやのみや)があった。社号が離宮八幡宮に改められたのはそのためである。淀川の対岸、男山の石清水八幡宮にもよく似た創建の由来があり、離宮八幡宮は自らをその元の宮と位置づけてきた。社名の起こりとなった清水は、今も本殿の左手に「石清水」の井戸として残る。

創建の年は資料によって1年ずれる。社の御由緒と京都府観光連盟の案内は貞観元年(859年)とし、京都府山城広域振興局の案内は貞観2年(860年)とする。社自身も、平成22年(2010年)を創建1150年として記念事業を行っており、こちらは860年起算になる。

油祖と呼ばれる理由

離宮八幡宮には「油祖」という別の呼び名がある。社伝では貞観年間に神官が「長木(ながき)」という搾油器を考え出し、荏胡麻(えごま)の種から灯明用の油を搾った。これが日本の製油の始まりとされる。油ははじめ朝廷や寺社の灯火に用いられ、しだいに一般にも広まった。

中世になると、荏胡麻油を扱う人々は八幡宮を本所として油座を組んだ。仕入れから製造・販売までを独占する特権を持ち、諸国の油商人は離宮八幡宮の許状がなければ油を扱えなかったという。室町時代には大山崎の油が西は九州北部、東は美濃まで売られ、大山崎は自治を認められた町として発展した。

鳥居の脇には、油の器を捧げる神官の像と「本邦製油発祥地」の碑が立つ。いまも製油会社や全国の油脂販売店の崇敬が厚く、社殿の再建にも製油業界が力を寄せた。

焼失、鉄道、そして昭和の再建

境内の建物は、登録された6棟を含めてほとんどが近代のものである。元治元年(1864年)の禁門の変では、長州藩が山崎に屯所を置いたため、一帯が幕府・薩摩側の砲撃を受けた。水無瀬川から円明寺に及んだという社領は焼け野原となり、兵火を免れたのは惣門と東門の2棟だけだった。この2棟は大山崎町の文化財に指定されている。

明治9年(1876年)には東海道本線の京都・神戸間が開通し、社地の大半が鉄道用地に充てられた。境内のすぐ脇を線路が通り、JR山崎駅が目の前にあるのはこの経緯による。

社殿は明治12年(1879年)に崇敬者の寄進で再興され、その後の改築で現在の姿になった。改築の年は、文化庁の登録が昭和3年(1928年)、社の御由緒が昭和4年(1929年)で、1年の差がある。登録上は本殿と拝殿が昭和3年、中門・透塀・手水所・高天宮神社が昭和3年頃とされ、6棟がひと続きの造営で整えられたことが分かる。

その後も修理は重ねられた。創建1100年祭の際に大がかりな修復を行い、創建1150年に向けた「平成の修造」では、本殿・拝殿・中門や境内社の屋根を中心に手を入れている。社殿改修工事の起工式は平成21年(2009年)7月11日に行われた。

登録有形文化財となった6棟

平成25年(2013年)12月24日、境内の6棟がそろって登録有形文化財に登録された。登録番号は26-0437から26-0442まで続き、本殿・拝殿・高天宮神社・中門・手水所・透塀の順に並ぶ。登録基準は6棟とも「造形の規範となっているもの」である。

6棟に通うのは、中世の神社建築に倣った復古的な意匠である。文化庁の解説は、本殿については中世風の細部、拝殿については太い木割、高天宮神社については装飾を抑えた簡素さを挙げ、中門や手水所の蟇股懸魚も他の建物と意匠を共有していると述べる。一棟ごとの豪華さではなく、昭和の造営で境内全体を一つの趣向にまとめた点に価値がある。

配置は明快である。拝殿の正面に中門、背後に本殿が立ち、3棟が一直線に並ぶ。本殿の両脇と背後は透塀がコの字形に囲み、塀の前端は拝殿の釣殿に取り付く。手水所は中門の南西に、高天宮神社は境内の西寄りに東を向いて建つ。

境内の歩き方

境内は西国街道に面している。社の境内案内は、惣門から入って油祖像や製油発祥地の碑を過ぎ、手水所、中門、拝殿、本殿へ進む順に番号を振っている。登録された6棟のうち5棟は、この軸線の上かそのすぐ脇にある。

中門の前に立つと、奥に拝殿の唐破風が、そのさらに奥に本殿の屋根が重なって見える。本殿は透塀に囲まれているため、近づけるのは塀の外側までで、菱格子越しに側面や背面をうかがうことになる。石清水の井戸は本殿の左手にある。

高天宮神社は主軸から外れた西側に建つ。周囲には若宮社・武内社・天照皇太神社・蛭子神社・鹿島神社・気比宮・小禅師宮・腰掛天神社・高良社など多くの境内社が並ぶので、社の案内図と照らし合わせながら歩くと位置関係がつかみやすい。

日使頭祭と放生会

年間で最も重い祭りは、毎年4月に行われる春の例祭、日使頭祭(ひのとさい)である。社によれば、当宮から男山へ八幡神を遷した御遷座祭に始まり、かつては葵祭と並ぶ大祭であった。油座の時代にはその時々の有力者が「日使頭(ひのかしら)」として祭りを担ったという。今も献灯の儀や湯立の神事が行われ、全国の油脂業界から100社を超える参拝がある。

秋の例祭は放生会で、9月15日に営まれる。

参拝とアクセス

境内は参拝無料で、登録された6棟の外観は境内から見ることができる。建物の内部は公開されていない。京都府観光連盟の案内では、受付の時間を午前9時から午後4時としている。問い合わせは社務所(075-956-0218)へ。社の資料館(集古館)を見るには事前の連絡が必要で、拝観料は志納である。

外観の撮影を制限する案内は、社や自治体の公開資料には見当たらない。祭典の最中や、参拝者が拝礼しているときは控え、現地の掲示に従いたい。

最寄り駅はJR京都線の山崎駅で、社の案内では徒歩1分、阪急京都線の大山崎駅からは徒歩3分である(京都府観光連盟の案内は阪急から約5分)。参拝者用の駐車場はなく、社の駐車場は月極めのみとされているので、電車で訪れるのが確実である。

参考文献

国指定文化財等データベース 離宮八幡宮本殿(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009792
国指定文化財等データベース 離宮八幡宮拝殿(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009793
国指定文化財等データベース 離宮八幡宮高天宮神社(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009794
国指定文化財等データベース 離宮八幡宮中門(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009795
国指定文化財等データベース 離宮八幡宮手水所(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009796
国指定文化財等データベース 離宮八幡宮透塀(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009797
地域観光資源の多言語解説文データベース 離宮八幡宮(観光庁)
https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R5-00180.html
離宮八幡宮(大山崎町)
https://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kikakuzaisei/kannkou/kanko/machinokankosupotto/907.html
やましろ花だより 離宮八幡宮(京都府山城広域振興局)
https://www.pref.kyoto.jp/kyotoyamashiro/flower_rikyu.html
離宮八幡宮(京都府観光連盟)
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/359

最終更新日: 2026.09.24

基本情報

名称離宮八幡宮
所在地京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字西谷21-1
所有者宗教法人離宮八幡宮
指定登録有形文化財 6件
座標34.89176, 135.67952