絹本著色眞言七祖像とは:空海が唐から請来した五祖像と、空海が補った二祖像
絹本著色眞言七祖像(けんぽんちゃくしょくしんごんしちそぞう)は、京都府京都市南区の教王護国寺(東寺)が所有する、唐時代と平安時代の真言七祖像7幅で、昭和27年(1952年)3月29日に国宝に指定された。
文化庁の記録では、員数は7幅、所有者は宗教法人教王護国寺である。
奈良国立博物館によると、真言宗の法系を示すために組として作られた祖師の画像は、空海が大同元年(806年)に唐から帰国する際、師の恵果が宮廷画家の李真らに制作させて与えたものを源とする。
絹本著色眞言七祖像の成り立ち
奈良国立博物館によると、空海の『請来目録』には、金剛智、善無畏、大広智(不空)、恵果、一行の五祖師の画像が、それぞれ三枚の絹を継いだ画面の掛幅として記載されている。東寺に伝わる真言七祖像のうち5幅は、まさにそれにあたる。
残る龍猛と龍智の2幅は、弘仁12年(821年)に空海が欠けていたものを補って制作した。
絹本著色眞言七祖像の見どころ
奈良国立博物館によると、のちに空海の像を加えた真言八祖像は、天暦5年(951年)に完成した醍醐寺五重塔の初層壁画のものが現存最古で、七祖は東寺本に基づいている。以後の八祖像は、ほとんどすべてがこの系統に属する。
唐で描かれた5幅と、空海が補った2幅がそろって伝わり、真言祖師像の源流を示している。
絹本著色眞言七祖像の見学方法
絵は東寺が所有しており、常時公開されているわけではない。公開の予定は東寺の案内で確かめたい。
Q&A
- 真言七祖像はいつ国宝に指定されましたか?
- 昭和27年(1952年)3月29日に国宝に指定されました。
- 真言七祖像は誰が描いたのですか?
- 5幅は恵果が宮廷画家の李真らに描かせたもの、2幅は空海が補ったものです。
- 空海が請来した5幅に描かれているのは?
- 金剛智、善無畏、不空、恵果、一行の五祖師です。
- 空海が補った2幅は?
- 龍猛と龍智で、弘仁12年(821年)に制作されました。
- 真言七祖像の後世への影響は?
- 醍醐寺五重塔の壁画をはじめ、後の八祖像のほとんどがこの系統に属します。
基本情報
| 名称 | 絹本著色眞言七祖像(けんぽんちゃくしょくしんごんしちそぞう) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市南区九条町(教王護国寺) |
| 指定区分 | 国宝(絵画) |
| 指定年 | 昭和27年(1952年)3月29日指定 |
| 員数 | 7幅 |
| 寸法 | 文化庁データベースに記載なし |
| 所有者 | 宗教法人教王護国寺 |
| 公開状況 | 常時公開ではない |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「絹本著色眞言七祖像」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/39
- 奈良国立博物館「真言八祖像」解説
- https://www.narahaku.go.jp/collection/797-0.html
最終更新日: 2026.09.30