昭和七年から授業の続く校舎

渋谷区東の住宅地に、四角い塔屋を載せた建物が建っている。平日の朝にそばを通れば、塔の下から子どもたちの声が聞こえてくる。この塔はかつて火の見櫓として使われ、その下の校舎では昭和七年(一九三二年)から授業が行われてきた。渋谷区立広尾小学校は、九十年以上にわたって同じ鉄筋コンクリートの校舎で児童を迎え入れており、平成十二年(二〇〇〇年)に国の登録有形文化財となった。

現役の公立小学校が、そのまま建築史の一頁でもあるという例は多くない。毎朝この門をくぐる児童の多くは、自分たちの校舎が関東大震災後の復興期に建てられた数少ない生き残りの一つであることを、まだ知らないかもしれない。

何であり、どの時代に建てられたか

校舎が建つのは渋谷区東三丁目の高台で、恵比寿駅から北へ歩いて十分ほどの場所にあたる。昭和七年に竣工した建物は鉄筋コンクリート造の三階建で、建築面積はおよそ九四〇平方メートル、一棟が学校の日々を支え続けてきた。学校そのものの歴史はさらに古く、大正五年(一九一六年)に東京府豊多摩郡渋谷町立広尾尋常小学校として開かれている。当時この一帯は東京市の外、郡部に属していた。

郡部であったことは、この校舎の成り立ちと深く関わる。大正十二年(一九二三年)の関東大震災は東京中心部の多くを焼き払い、その後の復興によって、燃えにくい鉄筋コンクリートの学校が次々と建てられた。広尾小学校はその事業の末期にあたる。市域の外、周辺の郡部に位置していたため、設計は東京市ではなく東京府の営繕が手がけた。設計を担当したのは市ノ瀬仁重郎、施工は佐藤平治である。

郡部における鉄筋コンクリート造の小学校は、もともと数が限られていた。のちに東京市へ編入された新市域に建てられたものは十数校にすぎず、現存するのはわずかである。広尾小学校が今日まで残っていることの値打ちは、ここにある。

「指定」ではなく「登録」であること

広尾小学校は登録有形文化財という区分にある。この点は説明しておきたい。国宝や重要文化財として知られる区分とは制度が異なるからである。これらの上位の区分は「指定」と呼ばれ、建物への変更に厳しい制約が課される。一方の登録は平成八年(一九九六年)に始まった別の制度で、より幅広い、比較的新しい時代の建物までを保護の対象としつつ、所有者が建物を使い続けるための自由をある程度残している。学校として機能し続けなければならない建物にとって、この柔軟さは重要な意味を持つ。

広尾小学校が登録されたのは平成十二年四月二十八日、告示は同年五月十七日のことである。登録番号は13-0081、登録の基準は「造形の規範となっているもの」、すなわちその種の建築の手本として挙げるに値する、という観点による。

その造形は、日本の近代建築の転換期に位置している。復興期の初期の小学校には、丸いアーチをはじめとする表現主義的な装飾を採り入れたものもあった。やがて昭和に入ると、流行はヨーロッパから入ってきた装飾のないインターナショナル・スタイルの簡素な線へと移っていく。広尾小学校はちょうどその移行の局面をとらえている。装飾の多くは玄関まわりに集められ、他の外壁面はすでに、間もなく主流となる簡素な作風を見せている。

道から眺める見どころ

もっとも目を引くのは塔屋である。開校当初、校舎は地域の消防署と同居しており、設計には消防の機能が組み込まれていた。一階に消防車の車庫を設け、屋上には周囲の家並みに目を配るための望楼、つまり火の見櫓を備えたのである。消防署は昭和二十二年(一九四七年)に移転したが、塔屋はそのまま残った。人々の記憶に刻まれているのはこの輪郭であり、この時代の小学校がなぜこうした姿をしているのかを、塔屋が説明してくれる。

東側の公道に沿って歩けば、装飾の残る玄関の構えや、傾斜地に据えられたコンクリートの量感を見て取ることができる。横長で落ち着いた比例、整然と並ぶ窓。華やかな見せ物ではなく、その十年を代表する自信に満ちた公共建築として読み取れる。実際、そういう建物だったのである。

訪ねる前に一つだけ留意したい。ここは現役の公立小学校であって、博物館ではない。敷地と校内は一般の見学者には公開されておらず、学ぶ子どもたちへの配慮から、建物は周囲の道から眺めるのがふさわしい。外観、とりわけ塔屋は、学校の一日を妨げることなく公道からはっきりと見ることができる。

学校のまわり

この界隈はゆっくりと歩く価値がある。東三丁目から広尾へ向かう道筋は渋谷区でも静かな一角で、店先よりも学校や大学、小さな美術館が並ぶ。東へ少し行った有栖川宮記念公園には池や斜面、よく育った木々があり、足をとめるのによい。近世以降の日本画を集めた山種美術館も近く、屋内で一時間を過ごしたい人に向く。氷川神社の緑と静けさも加わる。

南には、かつてビール工場のあった場所を中心に、飲食店や商店、見晴らしのテラスが集まる恵比寿ガーデンプレイスが広がり、午後の締めくくりに立ち寄りやすい。恵比寿駅は歩いて十分ほどで、JR山手線や東京メトロ日比谷線でこの一帯につながっている。界隈をめぐる行程の一駅として、無理なく組み込める場所である。

Q&A

Q校舎の中に入ることはできますか。
Aできません。広尾小学校は現役の公立小学校であり、敷地内や校内は一般には公開されていません。建物は周囲の公道から外観を眺めることができ、授業を妨げずに見学するにはこの方法が最も適しています。
Q屋上の塔は何のためのものですか。
Aかつての火の見櫓です。校舎には消防署が同居しており、屋上の望楼は周辺の火災を見張るために使われました。消防署は昭和二十二年に移転しましたが、塔屋は今もこの学校を特徴づける姿として残っています。
Q「登録」と「指定」はどう違うのですか。
A登録は平成八年に始まった比較的緩やかな保護の制度で、比較的新しい時代を含む幅広い建物を対象としつつ、所有者が使い続ける自由を残します。国宝や重要文化財に用いられる指定はより厳格で対象も限られます。日々使われ続ける学校には、登録という区分が適しています。
Qどうやって行けばよいですか。
AJR山手線・東京メトロ日比谷線の恵比寿駅から歩いて十分ほどです。近くの有栖川宮記念公園や恵比寿ガーデンプレイスと合わせて訪ねるのに向いています。

基本情報

名称渋谷区立広尾小学校
所在地東京都渋谷区東三丁目3番3号
区分登録有形文化財(建造物)
登録番号13-0081
登録年月日平成十二年(二〇〇〇年)四月二十八日(告示 同年五月十七日)
建設年昭和七年(一九三二年)
構造鉄筋コンクリート造三階建、建築面積約九四〇平方メートル、一棟
設計・施工設計 市ノ瀬仁重郎(東京府営繕)、施工 佐藤平治
所有者渋谷区
交通恵比寿駅(JR山手線、東京メトロ日比谷線)から徒歩約十分
公開状況現役の公立小学校。外観は公道から見学可。校内・敷地内は非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001566
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/177786
復興小学校(概説)/ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/復興小学校

最終更新日: 2026.06.21