酬恩庵一休寺とは

京都府京田辺市の薪(たきぎ)地区、楓並木の参道を上りきった先に、菊花紋の透かし彫りを施した門が閉ざされている。その奥にあるのは、室町時代の禅僧・一休宗純の墓所である。宮内庁が後小松天皇の皇子の墓として管理しているため、参拝者は門前で手を合わせ、扉の透かしから内をうかがう。

正式な寺名は酬恩庵、通称を一休寺という。臨済宗大徳寺派に属する。草創は鎌倉後期にさかのぼり、中国で虚堂智愚に学んだ大応国師(南浦紹明)が、帰朝後にこの地へ妙勝寺という禅の道場を開いたことに始まる。その後、元弘の兵火によって荒廃した。

これを再興したのが一休宗純である。康正二年(一四五六)、六十代に入ってからのことであった。師の法系への報恩の意を込めて「酬恩庵」と名づけ、晩年をこの地で過ごした。文明十三年(一四八一)、八十八歳でこの寺において没している。大徳寺の住持に任じられた後も、京の大寺へ移ることなく、この寺から通ったと伝わる。

七棟の重要文化財と二つの名勝庭園

酬恩庵で国の重要文化財に指定された建造物は七棟ある。これらは造営年代によって、およそ百五十年を隔てた二つの群に分かれる。

もっとも古いのは本堂で、明治四十四年(一九一一)の指定である。永正三年(一五〇六)の建立とされ、山城・大和地方に残る唐様(禅宗様)建築のなかでは最古の例とされる。桁行三間、梁間三間、一重の檜皮葺で、桟唐戸、花頭窓、三手先の組物、軒裏の扇垂木といった禅宗様の特徴が随所に見られる。外陣は化粧屋根裏、内陣は鏡天井という対照的な仕上げになっている。

残る六棟は慶安三年(一六五〇)から承応三年(一六五四)にかけて造営された。費用を寄進したのは加賀藩三代藩主・前田利常である。かつて大坂の陣へ向かう途上で当寺に参り、その荒廃を嘆いて再興を志したという。利常の寄進によって方丈、庫裏、唐門、鐘楼、浴室、東司が整えられ、いずれも当時の形式と手法をよくとどめている。鐘楼は桁行三間、梁間二間で、袴腰付の入母屋造、本瓦葺である。

境内の庭園のうち二つは、建造物とは別に国の名勝に指定されている。方丈を囲む庭園は江戸初期の作で、石川丈山・松花堂昭乗・佐川田喜六の合作と伝えられる。もう一つ、虎丘庵に付属する枯山水の庭は、より古い時代の作とされる。

ゆっくり歩いて気づくもの

方丈の内部には、一休の木像が安置されている。逝去の年に高弟・墨斎が刻んだもので、一休自身の頭髪と髭を植えたという。坐したその姿には、生前の人物へ迫るような近しさがある。方丈の襖絵は狩野探幽が四十九歳のときに描いたもので、瀟湘八景などの中国画題を主題とする。現在掲げられているのは精巧な複製で、原本は宝物殿に収められている。

方丈南庭は、刈り込まれたサツキの生垣と白砂を、一休の墓所と虎丘庵を背負う斜面に向けて配する。東庭は大小の石が立ち、また横たわるさまを十六羅漢に見立てたとされる。縁に腰を下ろし、視線をゆっくり移していきたい庭である。

十一月下旬に多くの人がここを目指すのは、参道そのものの眺めゆえである。御影石を幾何学に組んだ石畳の上に楓が枝を差し交わし、散った葉が青い苔の上に重なる。京都市街から離れた立地のため、見頃の時季でも市中の名所ほど混み合わない。

境内上部の虎丘庵は、京都・東山から移されたもので、一休が起居した。その庭は、一休の弟子であり、のちに侘び茶の祖とされる村田珠光の作と伝えられる。珠光から武野紹鴎、千利休へと続く茶の系譜の源流にあたる人物である。虎丘庵は通常非公開で、例年二月に特別公開がある。

交通と周辺

酬恩庵は京田辺市東部、薪の地に位置する。JR学研都市線の京田辺駅からは徒歩約二十分、近鉄の新田辺駅からは徒歩約二十五分である。京阪バスの「一休寺道」停留所からは徒歩五分ほどで着く。自動車では京奈和自動車道の田辺西インターチェンジが近く、駐車場が用意されている。

入口の茶店では、ぜんざいやうどんが供される。建物と庭、そして一休の頂相や墨跡を展示する宝物殿を見て回るには、一時間ほどをみておくとよい。京田辺は京都と奈良を結ぶ鉄道沿線にあり、二つの古都を行き来する旅程に組み入れやすい。

Q&A

Q一休とはどのような人物ですか。
A一休宗純(一三九四〜一四八一)は臨済宗の禅僧です。鋭い機知と形式にとらわれない生き方で知られ、とんち話の主人公として広く親しまれてきました。漢詩人としても高く評価され、後小松天皇の皇子とされています。
Q一休の墓は参拝できますか。
A門前までは行けますが、内部には入れません。墓所は宮内庁が管理する陵墓のため、門は閉ざされています。扉の菊花紋の透かし彫りから、中をうかがうことができます。
Qいつ訪ねるのがよいですか。
A石畳の参道の紅葉が見頃となる十一月下旬がおすすめです。初夏の青もみじも美しく、境内は無休で年間を通して拝観できます。
Q方丈の狩野探幽の襖絵は本物ですか。
A方丈に掲げられているのは精巧な複製です。原本は保存のため宝物殿に収蔵されています。
Q虎丘庵とその庭は見られますか。
A通常は非公開です。一休が起居した虎丘庵は例年二月に特別公開されます。方丈の庭園は年間を通して拝観できます。

基本情報

名称酬恩庵(一休寺)
所在地京都府京田辺市薪里ノ内一〇二(〒610-0341)
宗派臨済宗大徳寺派、本尊は釈迦如来
指定区分重要文化財(建造物)七棟。本堂は明治四十四年(一九一一)、ほか六棟は昭和四十六年(一九七一)指定
本堂永正三年(一五〇六)。桁行三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺
庭園方丈庭園・虎丘庵庭園。いずれも国の名勝
拝観時間九時〜十七時(最終受付十六時三十分)。宝物殿は九時三十分〜十六時三十分。無休
拝観料大人六〇〇円(二〇二四年七月時点)
交通JR京田辺駅から徒歩約二十分、近鉄新田辺駅から徒歩約二十五分、京阪バス「一休寺道」から徒歩五分
所有者酬恩庵

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)酬恩庵 鐘楼
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2013
文化遺産オンライン 酬恩庵本堂
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/186156
酬恩庵一休寺 公式サイト
https://www.ikkyuji.org/
京都府 山城地域 紅葉情報(一休寺)
https://www.pref.kyoto.jp/kyotoyamashiro/momiji_ikkyuji.html

最終更新日: 2026.06.02

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  1. 酬恩庵 鐘楼 0.00 km
  2. 酬恩庵 東司 0.03 km
  3. 酬恩庵 方丈及び玄関 (玄関) 0.03 km
  4. 酬恩庵 庫裏 0.04 km
  5. 酬恩庵 浴室 0.05 km
  6. 酬恩庵 方丈及び玄関 (方丈) 0.05 km