手で写された書簡の束
承安元年(1171)の六月、範杲という僧が、京都の南東に位置する勧修寺の理趣院で、二帖の薄い書物を写し終えた。各帖の末尾には書写した日付が自筆で記されている。上帖は六月六日、下帖は六月八日である。この二帖こそ、いま大谷大学が所蔵する『高野雑筆集』であり、範杲の時代からさらに三百年以上さかのぼる時期に空海が記した書簡を集めた文献の、現存最古の写本にあたる。
空海(774〜835)は真言宗の開祖である。延暦二十三年(804)に唐へ渡り、長安で恵果に学んで密教を授かり、二年後に経典や法具とともに帰国した。のちに高野山を開いて修行の拠点とした。書名の「高野」は、この山の名に由来する。多くの人は、空海をまず教義や仏像、あるいは数々の伝説を通して知る。しかしこの書物のなかでは、空海は別の姿で立ちあらわれる。庇護者や同輩に宛てて、日々の具体的な用件を書き送る一人の僧としての姿である。
『高野雑筆集』は書簡を中心に七二編を収める。空海の詩文を集めた『遍照発揮性霊集』(略して『性霊集』)の補遺にあたる内容で、『性霊集』が弟子の真済によって編まれた漢詩文集であるのに対し、本書はそこに漏れた文章を拾い集めている。そのため『拾遺性霊集』の別称をもつ。編者や成立時期は今のところ判明していない。七二編のうち十編は『性霊集』とも重複し、なかには弟子の手になると疑われる数編も含まれる。
収められた書簡の内容は日常的であり、それゆえに興味深い。空海が唐から請来した経典の書写や流布に関わるもの、庇護者へ物品の恵与を請う依頼状、礼状、病気見舞い、弔いの書状など、その範囲は多岐にわたる。『性霊集』とあわせて読むことで、空海の事跡や思想に近づくための史料となっている。
重要文化財に指定された理由
大谷大学が所蔵する『高野雑筆集』は、昭和六十三年(1988)六月六日に重要文化財に指定された。日本の文化財保護の制度において、重要文化財は国宝に次ぐ区分であり、国にとって歴史的・芸術的価値が高いと判断された作品に与えられる。指定上の種別は「書跡・典籍」、員数は二帖である。
この写本が評価された最大の理由は、その古さにある。『高野雑筆集』の原本は現存せず、本文は後代の写しを通じてのみ伝わる。そうした写本のなかで、大谷大学本は現存最古のものである。空海の伝記を再構成しようとする研究者にとっても、また日本における漢文学の歴史をたどる立場からも、古く丁寧に写された一本がもつ意味は大きい。失われた原本に最も近い位置に立つ史料だからである。
二帖の配分は均等ではない。上帖に四〇編、下帖に三二編を収める。さらに下帖には、書名からは予想しにくいものが加わっている。空海の文章三二編に続けて、唐僧義空らに宛てた徐公直・雲叙らの書簡一八編が併せて書写されているのである。この一八編が加わることで、二帖は一人の僧の私信の控えにとどまらず、東シナ海を越えた人々のやりとりの小さな記録という性格を帯びることになる。
本文に注目してみる
実物の二帖は、細部に目を向けるほど見どころが増す。装訂は粘葉装で、折った料紙を糸で綴じるのではなく折り目で貼り合わせる形式をとる。これは当時の仏典に広く用いられた方法である。料紙は楮紙を用い、各葉には書写に先立って七行分の押界が施されている。範杲はこの界に沿って、一行二〇〜二四字の謹直な楷書で本文を記した。おおむね一編ごとに行をかえているが、二〜三編を改行せずに続けて書写した箇所もまま見られる。
注意深く見れば、紙面には本文以外の情報も載っている。朱の句切点が文の区切りを示し、まれに朱仮名が添えられる。上帖の首二丁には墨仮名と朱のヲコト点が付され、漢文を読み下すための手がかりとなっている。上欄外には本文と同筆で「性霊集第三有之」といった注記が書き込まれ、『性霊集』との対応を確かめている。これらは、本文をただ清書するのではなく、学問的な対象として扱った書写者の手の跡である。
二帖をある名高い場所と結びつける特徴もある。各帖の巻首には「高山寺」と読める朱の方印が捺されている。京都の北西、栂尾にある高山寺のことで、明恵にゆかりが深く、戯れる動物を描いた絵巻でも広く知られる山寺である。範杲が書写した本は高山寺に多く伝存しており、この写本も同寺の蔵書を経た。二十世紀に入ると、大谷大学教授であり京都国立博物館長も務めた神田喜一郎の旧蔵となり、そこから現在の大谷大学へと収まった。
博物館とその周辺
二帖を所蔵するのは大谷大学博物館である。大学キャンパス北側の響流館一階に位置し、平成十五年(2003)に開館した。館蔵の国指定重要文化財は十件にのぼり、『高野雑筆集』もそのひとつである。仏教関係の写本や東アジアの典籍を中心とする厚い収蔵で知られる。これほどの文化財としてはアクセスがよく、地下鉄烏丸線「北大路駅」六番出口を出てすぐの場所にある。
訪問にあたっては一点、留意しておきたいことがある。中世の写本はもろく、光に弱いため常設展示にはなじまない。『高野雑筆集』も通年公開されているわけではなく、特定の展覧会で随時公開される。博物館は年に四回ほどの企画展と、秋の特別展を開催しており、本書は空海関連の文化財を扱う展示で取り上げられてきた。実物を目にしたい場合は、出発前に開催中の展覧会内容を確認するとよい。企画展の観覧は無料で、特別展のみ少額の料金がかかる。
北大路の周辺は、足をのばす価値がある。西へ少し歩けば、塔頭と庭園・茶室で名高い禅刹の大徳寺に至り、いくつかの塔頭は一般にも公開されている。北には賀茂川や京都府立植物園が控え、地下鉄で市内中心部へも数駅で出られる。
Q&A
- 実物の二帖は見学できますか。
- 公開は時期が限られます。光に弱くもろい写本のため常設展示はされず、特定の展覧会で随時公開されます。来館前に大谷大学博物館の展覧会内容を確認してください。企画展の観覧は無料です。
- 空海自身の自筆ですか。
- いいえ。空海は承和二年(835)に没しています。大谷大学本は承安元年(1171)に範杲が書写した写本です。空海により近い古写本は現存せず、その点こそ本書が重視される理由です。
- 本文は何語で書かれていますか。
- 漢文です。当時の僧侶や官人が用いた正式な書記言語でした。紙面に見える朱や墨の小さな符号は、漢文の語法を日本語として読み下すために付されたものです。
- 『性霊集』とはどう違うのですか。
- 『性霊集』は空海の文章を集めた先行の漢詩文集です。『高野雑筆集』はそこから漏れた文章を拾い集めたもので、別称を『拾遺性霊集』といいます。十編は両書に重複します。
- 博物館へはどう行けばよいですか。
- 地下鉄烏丸線「北大路駅」で下車し、六番出口を出てすぐです。大谷大学キャンパス北側の響流館一階にあります。来館者用の駐車場はありません。
基本情報
| 名称 | 高野雑筆集(こうやざっぴつしゅう)/別称・拾遺性霊集 |
|---|---|
| 種別 | 書跡・典籍 |
| 員数 | 二帖(粘葉装) |
| 年代 | 承安元年(1171)書写。本文は空海(774〜835)の遺文 |
| 書写者 | 勧修寺理趣院にて範杲が書写 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和六十三年〔1988〕六月六日指定) |
| 所有者 | 学校法人真宗大谷学園(大谷大学) |
| 所在 | 大谷大学博物館(京都市北区) |
| アクセス | 地下鉄烏丸線「北大路駅」六番出口すぐ |
| 公開状況 | 展覧会で随時公開。開催内容は博物館で要確認 |
References
- 国指定文化財等データベース「高野雑筆集」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8923
- 文化遺産オンライン「高野雑筆集」(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/134054
- 大谷大学博物館
- https://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/museum/index.html
- 大谷大学博物館 開館記念特別展(出陳重要文化財・解説)
- https://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/museum/2003/nab3mq0000001b4g.html
最終更新日: 2026.06.18