国宝「紙本金地著色松に草花図〈二曲屏風〉」― 京都・智積院が守り伝える桃山絵画の至宝

京都・東山の閑静な一角に位置する真言宗智山派の総本山、智積院。その宝物館の中に、金色の輝きを放つ一双の屏風が静かに佇んでいます。「紙本金地著色松に草花図〈二曲屏風〉(しほんきんじちゃくしょく まつにくさばなず〈にきょくびょうぶ〉)」と呼ばれるこの作品は、桃山時代(16世紀末)に長谷川等伯一門によって制作された金碧障壁画の傑作であり、1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。金箔を惜しみなく施した画面の上に、力強い松の大木と可憐な草花が鮮やかな顔料で描き出されたこの屏風は、桃山文化の華やかさと日本絵画の繊細な美意識を今に伝える至宝です。

権力者の哀しみから生まれた傑作

この屏風の誕生には、天下人・豊臣秀吉の深い悲しみが関わっています。天正19年(1591年)、秀吉はわずか3歳で亡くなった愛息・鶴松(棄丸)の菩提を弔うため、京都東山に祥雲禅寺(しょううんぜんじ)を建立しました。その豪壮な客殿の内部を飾るために白羽の矢を立てたのが、当時の画壇で狩野派と双璧をなしていた長谷川等伯(1539〜1610)とその一門です。

等伯一門は、金箔を全面に貼った壁面に桜・楓・松・秋草などの自然の情景を極彩色で描き上げ、壮大な金碧障壁画の世界を完成させました。「松に草花図」の二曲屏風も、この祥雲寺障壁画群の一部として制作されたものと考えられています。秀吉亡き後、祥雲禅寺は徳川家康によって智積院に寄進され、障壁画もともに移され、以降四百年以上にわたり大切に守り伝えられてきました。

幾度の火災を生き延びた奇跡の絵画

智積院は長い歴史の中で幾度もの火災に見舞われました。天和2年(1682年)の大火をはじめ、明治15年(1882年)の金堂焼失、さらに昭和45年(1970年)には隣接する建物からの飛び火で宝物殿の屋根が焦げる事態も発生しています。しかし、そのたびに僧侶たちは「せめてこの絵だけは」と命がけで壁から絵を剥がし、安全な場所へ運び出しました。

現在の作品に見られる不自然な継ぎ目や、当初より小さくなった画面サイズは、まさに火災からの救出の痕跡です。本来は壁や床の間を飾る障壁画として描かれた本作は、その後二曲屏風の形に仕立て直され、現在の姿で鑑賞されています。何世代にもわたる僧侶たちの献身が、この国宝を今日まで守り抜いたのです。

国宝に指定された理由 ― その芸術的価値

本作品が国宝に指定された背景には、複数の重要な価値があります。

第一に、桃山時代の「金碧障壁画」の最高水準を示す作品であることです。金碧障壁画とは、金箔を貼った画面に岩絵具(鉱物由来の顔料)で華やかな図様を描く技法であり、安土桃山時代に最盛期を迎えました。本作はその技法の粋を極めた傑作として評価されています。

第二に、長谷川等伯一門の画技を今に伝える第一級の資料であることです。等伯は能登国七尾に生まれ、30代で上洛して以降、狩野永徳率いる狩野派と競い合いながら独自の画風を確立しました。力強い松の幹と繊細な草花の描写を一つの画面に共存させる手法は、等伯の美学そのものです。

第三に、豊臣秀吉が愛息の追善のために建立した祥雲寺の遺品として、桃山時代の文化と歴史を物語る極めて貴重な史料であることです。天下統一を成し遂げた秀吉の栄華と、幼くして亡くなった鶴松への哀惜の念が、この金色の画面の背後に静かに息づいています。

鑑賞のポイント ― 見どころをご紹介

宝物館でこの屏風を前にしたとき、ぜひ注目していただきたい点がいくつかあります。

まず、金箔の地が生み出す空間表現です。金色の背景は単なる装飾ではなく、黄金の雲や光そのものとして機能しています。見る角度や照明の具合によって微妙に表情を変える金箔の輝きは、まるで絵の中に別世界が広がっているかのような感覚を与えてくれます。

次に、松の力強さと草花の繊細さの対比です。画面の主役である松は、太い幹と豊かに広がる枝葉によって堂々たる存在感を放っています。松は日本において古来より長寿と不変の象徴であり、亡き子への鎮魂と永遠の命への願いが込められていると解釈されています。一方、松の根元に咲く草花は、細やかな筆致で一つひとつ丁寧に描かれ、自然への深い観察眼と詩情を感じさせます。

この「豪壮さ」と「可憐さ」の同居こそ、長谷川等伯の真骨頂です。同じ智積院に所蔵される「楓図」や「松に秋草図」にも通じる美学を、ぜひ比較しながらお楽しみください。

2023年開館の宝物館 ― 最新の環境で国宝を鑑賞

令和5年(2023年)4月4日、「宗祖弘法大師空海ご誕生1250年」記念事業の一環として、智積院に新たな宝物館が開館しました。最新の温湿度管理システム、反射を抑えた特殊ガラスケース、そして作品の金箔や顔料の美しさを最大限に引き出す照明が採用され、かつてないほど良好な環境で国宝障壁画を鑑賞することができます。

宝物館の「国宝障壁画展示室」では、「松に草花図」屏風をはじめ、等伯筆の「楓図」、久蔵筆の「桜図」、「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」「雪松図」など、長谷川一門の金碧障壁画が一堂に展示されています。壁面すべてを障壁画が取り囲む空間に足を踏み入れると、まるで桃山時代の豪華な客殿にタイムスリップしたかのような圧倒的な体験が待っています。

また、大書院には障壁画の複製画が当初の位置に再現されており、本来この絵がどのような建築空間の中で見られていたのかを体感することもできます。

名勝庭園と境内の見どころ

智積院の魅力は障壁画だけにとどまりません。大書院の東側に広がる名勝庭園は、桃山時代に造られた池泉鑑賞式庭園で、中国の廬山を模した構成と「利休好みの庭」として知られています。サツキやツツジの刈り込みに自然石を配し、奥行きのある深山幽谷の趣を表現した美しい庭園は、書院の縁側に腰を下ろして静かに眺めるのがおすすめです。

境内は無料で散策でき、金堂、明王殿(不動堂)、鐘楼堂などを参拝することができます。金堂裏手には約500株の紫陽花が植えられた「あじさい園」があり、6月には無料で楽しめる穴場スポットです。秋には鐘楼や金堂周辺の紅葉が美しく色づき、東山の紅葉の隠れた名所としても知られています。

周辺情報 ― 東山七条エリアの文化散策

智積院が位置する東山七条は、京都有数の文化・ミュージアムエリアです。すぐ隣には京都国立博物館があり、日本美術の名品を数多く収蔵しています。徒歩数分の距離には、1,001体の千手観音像で名高い三十三間堂(蓮華王院)が佇んでいます。

また、俵屋宗達の杉戸絵や「血天井」で知られる養源院、豊臣秀吉を祀る豊国神社も近隣にあり、祥雲寺の物語とつながる歴史の足跡をたどることができます。エリア全体が徒歩圏内に収まるため、半日から一日かけてじっくり巡るのに最適な散策コースです。

四季折々の訪問のすすめ

国宝障壁画は宝物館の空調管理された環境で通年鑑賞できますが、境内全体の魅力は季節ごとに異なります。4月下旬〜5月は名勝庭園のサツキ・ツツジが見頃を迎え、6月には紫陽花園が花の盛りとなります。秋は紅葉が境内を彩り、冬は凛とした静寂の中で障壁画とじっくり向き合える季節です。

毎年6月15日の「青葉まつり」は弘法大師のお誕生を祝う行事で、この日は名勝庭園と障壁画の拝観が無料になります。また、毎朝の勤行(3月〜11月は6:00〜、12月〜2月は6:30〜)にも無料で参加でき、真言密教の厳かな空気に触れることができます。

Q&A

Q「松に草花図」の二曲屏風はいつでも見ることができますか?
Aはい。国宝障壁画は智積院宝物館の「国宝障壁画展示室」で通年展示されており、拝観時間内(9:00〜16:00)であればいつでもご覧いただけます。ただし、特別展への貸出や施設メンテナンスによる臨時休館の場合もございますので、お出かけ前に公式サイトでのご確認をおすすめします。
Q宝物館内で写真撮影はできますか?
A撮影ルールは時期や展示内容により変更される場合がございます。これまで国宝障壁画の撮影は制限されていることが多いため、ご来館時に受付でご確認ください。
Q京都駅からのアクセス方法を教えてください。
A京都駅前から市バス206系統または208系統に乗車し、「東山七条」バス停で下車、徒歩約5分です。京都駅からバスで約10分の距離です。また、京阪電鉄七条駅からは東へ徒歩約10分です。
Q海外からの観光客向けの英語対応はありますか?
A宝物館内には英語の解説パネルや案内が設置されており、展示室内で音声ガイドも利用可能です。また、智積院公式サイトには英語版のページも用意されています。なお、早朝特別拝観のガイドは日本語のみとなっています。
Qこの屏風は長谷川等伯本人が描いたものですか?
A智積院の金碧障壁画は長谷川等伯を中心とする一門の共同制作として知られています。本作の具体的な筆者の特定については学術的な議論が続いていますが、等伯の芸術的指導のもとで制作されたことは確かです。等伯自身の筆とされる「楓図」や、長男・久蔵の筆とされる「桜図」とあわせてご鑑賞いただくと、一門の画風の違いや共通点をお楽しみいただけます。

基本情報

正式名称 紙本金地著色松に草花図〈二曲屏風〉
指定区分 国宝(絵画)
国宝指定年月日 1952年(昭和27年)3月29日
時代 桃山時代(16世紀末)
員数 二曲屏風 一双
技法 紙本金地著色(金碧障壁画)
作者 長谷川等伯一門
所有者 智積院(真言宗智山派総本山)
所在地 〒605-0951 京都府京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964
宝物館拝観料 一般 500円 / 中高生 300円 / 小学生 200円
名勝庭園拝観料 一般 500円 / 中高生 300円 / 小学生 200円
拝観時間 9:00〜16:00(受付終了)
アクセス 市バス206・208系統「東山七条」下車 徒歩約5分(京都駅よりバス約10分)/京阪電鉄 七条駅より東へ徒歩約10分
公式サイト https://chisan.or.jp/worship/

参考文献

文化遺産データベース — 紙本金地著色松に草花図〈/二曲屏風〉
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/198816
国指定文化財等データベース — 紙本金地著色松に草花図〈/二曲屏風〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/10382
真言宗智山派 総本山智積院 — 宝物館(宝物紹介)
https://chisan.or.jp/worship/artifact/
真言宗智山派 総本山智積院 — 参拝
https://chisan.or.jp/worship/
WANDER 国宝 — 国宝-絵画|障壁画 桜楓図(長谷川等伯・久蔵筆)[智積院/京都]
https://wanderkokuho.com/201-00044/
京都で遊ぼうART — 智積院宝物館と長谷川一門の傑作障壁画
https://www.kyotodeasobo.com/art/static/houmotsukan/chisyakuin-temple/02-chisyakuin-tohaku.html
Wikipedia — 智積院
https://ja.wikipedia.org/wiki/智積院
Wikipedia — 長谷川等伯
https://ja.wikipedia.org/wiki/長谷川等伯
京都観光Navi — 智積院 早朝特別拝観
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=9902
そうだ 京都、行こう。 — 智積院
https://souda-kyoto.jp/guide/spot/chishakuin.html
京都市観光協会 — 智積院
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=420

最終更新日: 2026.02.17