車寄せを構えた明治の玄関棟

旧伊藤伝七別邸玄関棟は、三重県四日市市高砂町にある明治期の木造二階建で、平成22年(2010年)9月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。旧称は「浜松茂」、現在は料亭「伝七邸」として使われている。

敷地の中央前寄りに東を向いて建つ。四日市市の文化財解説によれば、南側の棟には東向きの大型の車寄せを構え、北側の棟に調理場と帳場を配する。車寄せは馬車や人力車が軒下まで乗り入れるための構えで、雨に濡れず邸内に入れる。明治二十年代から三十年代の地方都市において、これを備えることの意味は意匠上のものにとどまらない。誰が、どのように訪れる家であったかを平面が先に語っている。

屋根は一様ではない。市の記録は入母屋造および寄棟造などを組み合わせ、桟瓦葺とする、と記す。文化庁の国指定文化財等データベースはさらに簡潔で、木造2階建、瓦葺、建築面積152㎡とのみ記載する。二つの記述の粗密の差は、登録有形文化財の台帳が構造形式の要点だけを押さえる性格によるものである。

北側に調理場と帳場が寄せられている点は、後年の料亭利用を予告しているようにも読めるが、帳場は近世以来の商家・邸宅にも置かれた勘定と応対の場であり、住宅としての本来の機能とみて差し支えない。接客の表と、支度の裏。平面はこの二層に明快に分かれる。

建主の十世伊藤伝七(1852年〜1924年)は、四日市を代表する実業家である。現在の四日市市四郷地区、室山の造り酒屋に生まれ、明治10年(1877年)に堺紡績所へ入って紡績業務の全般を学んだ。明治19年(1886年)、渋沢栄一の援助を得て資本金22万円の三重紡績を興し、大正3年(1914年)に大阪紡績との合併で東洋紡績が成立すると、大正5年(1916年)、65歳で社長に就任している。「紡績王」の異称はこの経歴に由来する。

高砂町の屋敷は、室山の本宅に対する別邸として建てられた。ただし年代の押さえ方には注意がいる。四日市市は玄関棟を明治20年(1887年)頃の建設とし、現所有者側は明治29年(1896年)にこの地へ移されたと説明する。文化庁データベースは「明治期」とのみ記して単年を示さない。建築年と現在地への移建年を別に考えれば矛盾はないが、移建を明記する一次資料は本稿の調査範囲では確認できなかった。

明治39年(1906年)から平成29年(2017年)3月まで、この屋敷は料亭として営業した。皇室関係者や政財界・芸能界の客を迎える四日市の迎賓の場であり、百十年余りを経て、建物の老朽化と後継者不在により幕を閉じている。登録名称が「浜松茂」から「旧伊藤伝七別邸」へ改められたのは、その後の利用変更にともなう措置である。

登録有形文化財としての位置づけ

文化財保護法には「指定」と「登録」という別の仕組みがある。指定は国が選び出して現状変更に許可を要する強い保護をかけるのに対し、登録は届出制を基本とし、所有者の裁量を広く残す。平成8年(1996年)の制度創設が想定していたのは、この玄関棟のように現役で使われ続ける近代の建物であった。

玄関棟の登録番号は24-0090、第68回登録にあたり、登録告示・登録年月日はいずれも平成22年9月10日である。適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、三つの基準のうち最も適用例が広い。単体の意匠の卓越よりも、町並みのなかで果たしている役割を評価する枠組みといってよい。

四日市市はこの建物を、明治期の四日市港の繁栄を伝える建築物と位置づけている。近代の四日市は港湾と紡績で伸びた町であり、三重紡績を興した人物の別邸が高砂町に残ることは、その資本と人脈がどこに集まっていたかを示す物証となる。登録の学術的裏づけは『三重県近代和風建築総合調査報告書』(三重県教育委員会、2008年)にあり、文化庁データベースの解説文もこの報告書を典拠として挙げる。

台帳を読むうえで一点、留意しておきたいことがある。文化庁データベースは玄関棟の種別を「住宅」とする一方、同一敷地・同一所有者・同一登録日のさつき棟は「産業3次」に分類している。所有関係の違いではなく、登録時にそれぞれの棟をどう読んだかの差である。

訪ねるための実務

現在この屋敷は「伝七邸」として営業する。料亭浜松茂の閉店後、伊藤家と同時代に四日市の発展に関わった九鬼家の十一代目九鬼紋七が再興を主導した。建物を保存対象として固定するのではなく、人と文化が行き交う場として回し続けるという方針が掲げられている。

したがって拝観料も一般公開日も設定されていない。内部に入るには飲食の利用が前提となる。庭に面した個室は六室あり、約600坪の敷地には京都の梅鉢園が作庭した枯山水の庭がある。洋風に改装された旧応接間は現在カフェとして開かれており、所有者側はこの一室を築130年超と説明している。

営業時間は改定されることがあり、月曜定休、ディナーと土日の昼は予約制である。旧伊藤伝七別邸玄関棟の内部を見る目的で訪ねる場合も、飲食店としての営業日程に従うことになるため、訪問前に確認をすすめる。

JR関西本線のJR四日市駅から徒歩約12分。近鉄四日市駅からはタクシーが案内されている。郵便上の住所は四日市市高砂町6-12で、文化庁データベースが記載する地番(高砂町3492-67他)とは表記が異なる。

撮影については規定が公表されていない。各室が営業中の個室であるため、自室以外を撮る場合は必ず係に確認したい。婚礼や催事の際は庭や他室の見学ができないこともある。

同じ敷地の北西隅に建つさつき棟は別登録の文化財で、現在は個室「さつきの間」として四名から八名で利用できる。建築を目当てに訪れるなら、部屋の指定まで含めて予約するのが確実である。

Q&A

Q旧伊藤伝七別邸玄関棟は見学できますか。営業時間と定休日は。
A一般公開はしておらず、料亭「伝七邸」の利用者として内部に入る形になります。モーニング9時〜11時(不定休)、ランチ11時30分〜14時(L.O.13時30分)、カフェ11時30分〜16時、ディナー17時〜21時(予約制)で、月曜定休です。拝観料の設定はありません。
Q旧伊藤伝七別邸玄関棟は「指定」ですか「登録」ですか。
A登録有形文化財(建造物)です。登録番号24-0090、第68回登録、平成22年(2010年)9月10日の登録です。「指定」の制度とは異なり、登録は届出制を基本として所有者の活用の自由度が高く保たれます。
Q旧伊藤伝七別邸の建主、十世伊藤伝七とはどのような人物ですか。
A嘉永5年(1852年)生まれの四日市の実業家です。明治19年(1886年)に渋沢栄一の援助を受けて三重紡績を創業し、大正3年(1914年)の大阪紡績との合併で成立した東洋紡績の社長を大正5年(1916年)から務めました。高砂町の屋敷は室山の本宅に対する別邸でした。
Q旧伊藤伝七別邸玄関棟とさつき棟はどう違いますか。
A同一敷地内の別々の登録物件です。玄関棟は敷地中央前寄りに建つ明治期の木造二階建で、車寄せを構えます(登録番号24-0090)。さつき棟は北西隅に建つ昭和30年(1955年)頃の木造平屋建の離れ座敷です(同24-0091)。登録日は同じ平成22年9月10日です。
Q旧伊藤伝七別邸玄関棟の内部は撮影できますか。
A撮影に関する規定は公表されていません。各室が営業中の個室であるため、自室以外の撮影は係への確認が必要です。催事や婚礼の際には庭や他室の見学自体ができない場合があります。

基本情報

名称旧伊藤伝七別邸玄関棟(きゅういとうでんしちべっていげんかんとう)/旧称「浜松茂」
所在地三重県四日市市高砂町3492-67他(郵便上の住所は高砂町6-12)
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号24-0090 第68回登録 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成22年(2010年)9月10日登録(登録告示も同日)
員数1棟
寸法木造の2階建、瓦葺、建築面積152平方メートル(文化庁データベース)。四日市市は入母屋造および寄棟造などを組み合わせた桟瓦葺と記載
所有者株式会社日本伝統ビューロー
公開状況一般公開なし。料亭「伝七邸」の利用者として内部利用可。月曜定休、ディナーおよび土日ランチは予約制

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース:旧伊藤伝七別邸玄関棟
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008293
文化遺産オンライン:旧伊藤伝七別邸玄関棟
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/179555
四日市市 文化財:旧伊藤伝七別邸 玄関棟・さつき棟
https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1001000002682/index.html
伝七邸 公式サイト:伝七邸について
https://denshichitei.jp/about-us/
伝七邸 公式サイト:アクセス
https://denshichitei.jp/access/
観光三重(三重県観光連盟):伝七邸
https://www.kankomie.or.jp/spot/23486

最終更新日: 2026.09.03