白石の球状閃緑岩——日本でただひとつの「菊面石」

宮城県白石市西部、白川犬卒都婆(しらかわいぬそとば)から大鷹沢大町(おおたかさわおおまち)にかけての田畑の下に、ほかでは見られない岩石がある。割って磨き上げると、表面に直径三センチから六センチほどの淡い円形の模様がいくつも浮かび上がる。鉱物が同心円状に層をなして並び、ちょうど菊の花弁を散らしたように見えるため、地元では古くから「菊面石(きくめんせき)」と呼ばれてきた。地質学上の名称は球状閃緑岩。大正十二年(一九二三)三月七日、国の天然記念物に指定された——同じ岩種としては日本で唯一の国指定である。

世界的に見ても、これだけの規模で球状閃緑岩が確認されている産地は数えるほどしかない。最も有名なのはナポレオン・ボナパルトの故郷として知られる地中海のコルシカ島で、海外ではこの岩石を「ナポレオン石」と呼ぶ。コルシカのほかにはスウェーデンとアメリカ合衆国の数か所で報告例があるのみで、白石はその限られた仲間に名を連ねている。

菊紋を描く鉱物の不思議

閃緑岩は、地下深くでマグマがゆっくり冷えて固まる深成岩の一種である。白石産の特異な点は、その内部に球状の構造体が密集していることだ。宮城県教育委員会の解説によれば、ひとつひとつの球は核の部分が角閃石、中間層が斜長石、外縁部が黒雲母と角閃石の混合でできており、これらが放射状に配列することで、風化面に菊花のような模様が現れる。完晶質粒状構造をもつ岩盤のなかに、別世界のように球がぽつぽつと顔を出している、と言えば想像しやすいだろうか。

これほど整った球状構造がなぜ生じるのか、実のところいまも完全には解明されていない。マグマ溜まりの縁で温度や化学組成が急変した時に晶出のパターンが変わったのではないか、あるいは古い岩片を核としてその周囲に鉱物が脈動的に成長したのではないか、といった仮説が議論されている。理由がはっきりしないからこそ、地質学の世界では白石とコルシカの標本が長らく代表例として参照されつづけてきた。

夢に咲いたネギの花——文禄四年の発見伝説

白石の球状閃緑岩がいつ、誰によって最初に見出されたのか。地元には次のような言い伝えがある。文禄四年(一五九五)、戦国の世が終わりを迎えようとするころ、犬卒都婆の宮の沢屋敷に平右衛門・安右衛門という兄弟が住んでいた。白石市生涯学習課がまとめる伝承によれば、兄が三晩続けて同じ夢を見たという——田んぼ一面にネギの花が咲いている、という不思議な夢である。気にかかった兄弟がその田を掘ってみると、土の中から菊花の模様を備えた見事な石が現れた。

兄弟はこれを神の使わしたものと考え、ご神体として小さな社を建てた。これが現在も大鷹沢地区に残る菊面石神社の起こりであるという。地名にも「菊面石」の名が刻まれている。神体そのものを納める内殿は通常公開されていないが、田と林に囲まれた静かな場所で、土地の記憶を辿る散策には適している。

江戸の奇石愛好家が記した最初の記録

科学的な記録として最も古いと考えられているのは、伝説からおよそ二百年後の江戸後期、近江の奇石収集家・木内石亭(きのうち せきてい、一七二四〜一八〇八)による紹介である。石亭は鉱物・化石・形のおもしろい石を集めた『雲根志(うんこんし)』を著した人物で、最初の前編は安永二年(一七七三)に出版された。同書のなかで石亭は白石産の岩石を「ナンダモンダ」という素朴な名で取り上げており、「これは一体何なのか」と首をひねるその語感そのものが、当時の驚きを今に伝えている。『原色岩石図鑑』(保育社)はこの記述を白石産球状閃緑岩に関する最古の文献として挙げている。

江戸時代の好事家たちが各地の珍石を持ち寄り、書状を交わし、図譜にまとめたその素地は、明治以降の近代地質学にそのまま受け継がれていく。大正十二年に国の天然記念物として指定された背景には、こうした長い観察と記述の蓄積があった。指定の二年後、大正十四年六月三日には白石市が管理団体に定められ、今日にいたっている。

どこで、どう見られるか

「天然記念物の岩」と聞くと、岩肌が露出した崖を想像しがちだが、白石の場合はやや事情が異なる。指定地そのものは農地のあいだに点在しており、観光地としての整備はなされていない。文化財保護法上、岩石の採取や持ち出しは禁じられている。代わりに、磨かれた標本を間近に観察できる場所として開かれているのが、白石市中央公民館(白石市字寺屋敷前二十五番地の六)である。展示時間は午前八時三十分から午後五時十五分まで。受付に声をかければ案内してくれる。写真撮影は可、ただし接触は禁止である。

もう少し産地の空気に触れたい人は、大鷹沢地区まで足を伸ばすとよい。菊面石神社の周辺を歩き、国道一一三号沿いの「羽山産直市場わんこの家」で休憩を取る——直売所には地元の野菜やブランド豚「ハーブ香草ポーク」、白石名物の温麺がそろい、隣接するレストランで簡単な昼食もとれる。大鷹沢公民館(大鷹沢三沢字五丁目四十八)でも標本を保管しており、事前に問い合わせれば見学に応じてもらえる場合がある。

白石をめぐる一日のなかで

白石はJR東北本線と東北新幹線が通り、仙台から特急でおよそ五十分。江戸時代を通じて伊達家の重臣・片倉氏が治めた城下町であり、街なかには見どころが集まっている。木造で復元された白石城の三階櫓、武家屋敷、城下を歩けば半日があっという間に過ぎる。

昼食は、寛永年間(一七世紀前半)に白石で工夫されたといわれる温麺(うーめん)を選びたい。油を使わない短い素麺で、温かい澄まし汁で供されるのが基本である。西に目を転じれば蔵王連峰がせまり、温泉、夏の登山、冬の樹氷と、季節ごとに表情を変える。球状閃緑岩は一日のメインにはなりにくいが、城下の歴史、地質の不思議、山の景色を結ぶ意外な一点になる。

Q&A

Q指定地で実物を見学できますか。
A指定地は農地のなかにあり、観光地として開放されていません。岩石の採取・持ち出しは文化財保護法で禁じられています。磨いた標本を見たい場合は白石市中央公民館の展示が便利です。
Qなぜ「菊面石」と呼ばれるのですか。
A岩石の断面に直径三〜六センチほどの同心円状の鉱物配列が無数に現れ、ちょうど菊の花弁を散らしたように見えるためです。地元での古くからの呼び名で、白石の地名「菊面石」もこの石に由来します。
Q球状閃緑岩は世界のどこで産出しますか。
A最も知られているのはナポレオンの生地であるフランス領コルシカ島で、海外ではこの石を「ナポレオン石」と呼びます。ほかにスウェーデンとアメリカに少数の産地が報告されています。国内ではここ白石のみが国の天然記念物に指定されています。
Q菊面石神社は参拝できますか。
A社地に立ち入って手を合わせることはできますが、ご神体である球状閃緑岩を納めた内殿は非公開です。文禄四年(一五九五)の発見伝説にちなむ素朴な社で、田と林に囲まれた静かな場所です。
Q白石市中央公民館への行き方を教えてください。
AJR東北本線の白石駅から徒歩約七分、字寺屋敷前二十五番地の六にあります。東北新幹線の白石蔵王駅で降りた場合は、市街地までタクシーまたはバスで移動してください。

基本情報

名称球状閃緑岩(きゅうじょうせんりょくがん)/地元名:菊面石(きくめんせき)
指定区分国指定天然記念物(大正十二年〔一九二三〕三月七日指定)
管理団体白石市(大正十四年六月三日指定)
所在地宮城県白石市白川・犬卒都婆・大鷹沢大町
岩石種球状構造をもつ閃緑岩。完晶質粒状構造で、各球は直径約三〜六センチ、核に角閃石、中間部に斜長石、外縁部に黒雲母と角閃石を配する
展示場所白石市中央公民館(白石市字寺屋敷前二十五番地の六)
見学時間午前八時三十分〜午後五時十五分。写真撮影可、接触不可。受付に声をかけて見学する
アクセスJR東北本線白石駅から徒歩約七分。車利用なら白石駅から約十分、東北自動車道白石ICから約二十分
世界の産地フランス領コルシカ島(「ナポレオン石」の語源)、スウェーデン、アメリカ合衆国などに少数

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「球状閃緑岩」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/183
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)「球状閃緑岩」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200986
白石市「指定文化財 球状閃緑岩」
https://www.city.shiroishi.miyagi.jp/soshiki/30/374.html
宮城県「指定文化財〈天然記念物〉球状閃緑岩」
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/24senryoku.html
日本地質学会「全国天然記念物めぐり(東北・宮城県)」
https://geosociety.jp/faq/content0558.html

最終更新日: 2026.05.19