常心塚古墳:南国の田園に佇む、知る人ぞ知る希少な方墳

宮崎県西都市上三財(かみさんざい)。観光客で賑わう西都原古墳群の中心部から南西へ約7キロメートル、のどかな畑作地帯のただ中に、ひっそりと佇む一基の古墳があります。常心塚(じょうしんづか)古墳——南北25メートル、東西23.8メートルのほぼ正方形の墳丘と、それを取り囲むように残された外堤を備えた、古墳時代終末期の希少な方墳です。

派手な観光地ではありません。しかしその端正な形と外堤の保存状態は群を抜いており、奈良県の石舞台古墳と同じ形式を持つ「外堤付き方墳」は、全国でわずか4基しか確認されていません。さらに、古墳名の由来となった江戸時代の僧・常心の即身成仏伝説が、この場所に独特の静謐な雰囲気を添えています。考古学的価値と民俗信仰の物語が一つの土地に重なり合う、稀有な国指定史跡をご紹介します。

立地:三財川を見下ろす小豆野台地の縁に

常心塚古墳は、三財川の北岸に広がる小豆野(あずきの)台地——別名・常心原台地——の南西端、標高およそ60〜65メートルの場所に築かれています。周囲は現在、見晴らしのよい畑作地帯となっており、台地上で高塚墳として確認できる古墳はこの常心塚のみ。広々とした農地のなかにぽつんと立つ墳丘の姿は、遠くからでもはっきりと見て取れます。

宮崎県中央部のこの一帯は、古代南九州における有力な政治・祭祀の中心でした。北東に広がる西都原古墳群(国の特別史跡)には、3世紀末から7世紀前半にかけて築造された大小319基の古墳が分布しています。常心塚古墳はその西都原古墳群から少し離れた場所に、単独で築かれた方墳として、独自の存在感を放っています。

古墳時代終末期の方墳建築:規模と構造

常心塚古墳は墳丘の主軸をほぼ正方位(東西南北)にとった方墳で、規模は南北25メートル・東西23.8メートル、高さおよそ3.3メートル。墳丘は2〜3段に築成されていたと推測されていますが、長い年月のなかで一部が削平されている部分もあります。

墳丘の周囲には幅約2メートルの周溝が巡り、その外側にはほぼ完存する外堤が築かれています。外堤を含めた全体の規模は、南北約40メートル・東西37.5メートル。空から眺めれば、整然とした方形の遺構が美しい幾何学模様を描いていることが分かります。2002年(平成14年)には、県営農道整備事業に伴い西都市教育委員会が墳丘南側の調査を実施し、外堤のさらに外側に周溝(外周溝)が巡っていたことが確認されました。

埋葬施設は未調査のため詳細は明らかになっていませんが、墳頂に建つ祠堂の裏手には石室の一部とみられる礫が露出しており、内部は横穴式石室と推測されています。横穴式石室は朝鮮半島から伝わった葬制で、6世紀末から7世紀にかけて日本各地で採用された当時最先端の埋葬様式です。

国史跡指定の理由:4基しかない「石舞台型」の貴重さ

常心塚古墳は、1980年(昭和55年)3月24日に国の史跡に指定されました。この指定の背景には、複数の重要な価値があります。

第一に、古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳としての好例である点。この時代には巨大な前方後円墳の築造は終わりを告げ、地方首長は横穴式石室を内部主体とする大型の円墳・方墳に葬られるようになります。常心塚は外堤・周溝を含めて全体像が良好に残されており、当時の葬送文化を体感できる貴重な遺構です。

第二に、外堤を備えた方墳という極めて稀少な形式である点。同じ「石舞台型」と呼ばれる、外堤を伴う方形の終末期古墳は、全国に4基しか確認されていません。奈良県明日香村の石舞台古墳(蘇我馬子の墓と伝わる)、大阪府太子町の用明天皇陵、そして西都市内の鬼の窟(おにのいわや)古墳と、この常心塚古墳。そのうち2基が西都市内に集中していることは、当地の首長と畿内ヤマト王権との強い結びつきを示唆する重要な手がかりとされています。

第三に、常心塚の南には常心原地下式横穴墓群が分布しており、5世紀末から7世紀前半にかけて造営された8基の地下式横穴墓が確認されています。地下式横穴墓は南九州独特の墓制で、これらの墓に葬られた人々は、常心塚被葬者の先祖あるいは母体集団であった可能性が指摘されています。古墳と地下式横穴墓が隣接して存在することで、この地域における2世紀にわたる葬送習俗の変遷を、一つの場所で読み解くことができるのです。

見どころ:静寂のなかに息づく1400年の歴史

常心塚古墳は観光整備が施された公園ではなく、農村の風景の中に佇む「生きた史跡」です。だからこそ、訪れる人は静かに古墳と向き合うことができます。

  • 端正な方形の墳丘と、それを四角く取り囲む外堤。古墳の周囲を一周すると、1400年前の幾何学的な土木工事のスケールを体感できます。
  • 墳頂には、僧・常心を供養するために村人が建てたとされる小さな祠堂が今も残り、石段がそこへと続いています。
  • 祠堂の裏手には、未調査の石室の一部とみられる礫が露出。古墳の内部構造への想像をかき立てます。
  • 周囲には遮るものがほとんどなく、台地上から田園と遠くの山並みを一望できる、開放感あふれる景観が広がっています。
  • 現地には西都市教育委員会による詳しい説明板が設置されており、また令和元年度には地元の三財小学校6年生が古墳について調べた成果も一部に紹介されています。

常心塚の名の由来:江戸時代の僧の伝説

「常心塚」という名は、古墳が築かれた時代とは直接の関係はありません。江戸時代に生きた一人の僧の名にちなんだものです。明治17年(1884年)に完成した地誌『日向地誌』には次のような伝承が記されています。上三財の福王寺というお寺にいた常心という僧が、自らの死期を悟り、この古墳に穴を掘って入定し、読経しながら命を終えたというものです。

これは、即身成仏——肉体を残したまま仏になることを目指す行——を志したと解釈されています。常心を慕った村人たちは、その徳をしのんで墳丘の上に祠堂を建立。やがてこの古墳は彼の名で呼ばれるようになりました。歴史的事実か、地域の語り伝えか、その境界は曖昧です。しかし、古墳時代の被葬者と、1000年以上の時を隔てて入定した僧の物語が一つの場所に重なり合うことで、常心塚は他に類を見ない多層的な物語性を獲得しています。

周辺情報:古墳と神話を巡る西都の旅

常心塚古墳の訪問は、宮崎県西都市が誇る豊かな古代文化遺産巡りと組み合わせるのがおすすめです。

  • 西都原古墳群(国特別史跡):北東約7キロメートル。台地上に300基以上の古墳が分布する、日本有数の古墳群。九州最大の前方後円墳・女狭穂塚や、常心塚と並ぶ「石舞台型」古墳である鬼の窟古墳も含まれています。
  • 宮崎県立西都原考古博物館:2004年開館の専門博物館。入館無料で、宮崎の考古資料を展示しています。常心塚や鬼の窟古墳の理解を深めるのに最適な学習拠点です。
  • 都萬(つま)神社:日向神話に登場する木花咲耶姫を祀る古社。「さいまんさま」とも呼ばれて親しまれています。
  • 記紀の道:『古事記』『日本書紀』ゆかりの場所を結ぶ、全長約4キロメートルの散策路。古代の神話世界を歩いて辿ることができます。
  • 季節の花畑:西都原台地では春の桜と菜の花、夏のヒマワリ、秋のコスモスと、四季折々の花が古墳群を彩ります。

Q&A

Q常心塚古墳が他の古墳と比べて特別な理由は何ですか?
A常心塚古墳は、外堤を備えた方墳という極めて稀少な形式を持ち、全国でわずか4基しか確認されていない「石舞台型」古墳の一つです。他の3基は奈良県明日香村の石舞台古墳、大阪府太子町の用明天皇陵、そして同じ西都市内の鬼の窟古墳で、2基が西都市に集中している点も非常に重要視されています。
Q常心塚古墳はいつ頃、誰のために築かれたのですか?
A外周溝から出土した須恵器の特徴から、築造時期は7世紀前半(古墳時代終末期)と推定されています。被葬者は地域の有力首長であったと考えられますが、墳丘内部の発掘調査は行われておらず、具体的な人物は特定されていません。
Q「常心」とはどのような人物で、伝説は史実なのでしょうか?
A『日向地誌』(1884年完成)によれば、常心は江戸時代の福王寺の僧で、自らの死期を悟って古墳の中に入り、読経しながら入定した(即身成仏を志した)と伝えられています。完全な史実か地域の伝承かは判然としませんが、村人がその徳をしのんで祠堂を建てたとされ、古墳名の由来となっています。
Q石室の内部を見学することはできますか?
A墳丘内部の発掘調査は行われておらず、石室は今も未開封のままです。そのため内部見学はできません。ただし墳丘の周囲を歩いて外堤や周溝を観察したり、墳頂の祠堂まで石段で上ったりすることは可能です。祠堂の裏手には石室の一部とみられる礫が露出しています。
Q宮崎空港から常心塚古墳までのアクセス方法は?
A公共交通機関の便が限られているため、宮崎空港でレンタカーを利用するのが現実的です。空港から車で約1時間。西都原古墳群と西都原考古博物館をセットで巡る半日〜1日コースがおすすめです。

基本情報

名称 常心塚古墳(じょうしんづかこふん)
形状 方墳(外堤付き)
所在地 宮崎県西都市上三財
座標 北緯32度04分23秒、東経131度19分34秒(概略)
墳丘規模 南北25m × 東西23.8m、高さ約3.3m
外堤規模 南北約40m × 東西37.5m、高さ約1m
築造年代 7世紀前半(古墳時代終末期)
埋葬施設 未調査。横穴式石室と推測
指定区分 国指定史跡(1980年〈昭和55年〉3月24日指定)
アクセス 宮崎空港から車で約1時間
見学料 無料(屋外見学、特に施設なし)

参考文献

常心塚古墳 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/常心塚古墳
常心塚古墳 | 宮崎県西都市
https://www.city.saito.lg.jp/post_277.html
Jōshinzuka Kofun - Wikipedia (英語版)
https://en.wikipedia.org/wiki/Jōshinzuka_Kofun
西都原最後の首長は - 宮崎県季刊誌「Jaja」
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/08_oni.html
宮崎県立西都原考古博物館
http://saito-muse.pref.miyazaki.jp/
日本遺産 南国宮崎の古墳景観 -古代人のモニュメント-
https://miyazaki-kofun.jp/

最終更新日: 2026.05.15