千曲川上流に架かるコンクリートのアーチ

長野県南部、佐久盆地の南端で、千曲川の上流をひとまたぎにするコンクリートのアーチがある。支間四五メートルの放物線を描くこの橋が、昭和十三年(一九三八年)に竣工した栄橋である。佐久穂町高野町を走る長野県道四三七号大張北岩水線をのせ、いまも車を通す現役の道路橋でありつづけている。当時、これほどの規模のアーチであれば鋼で架けるのが一般的だった。だが栄橋のアーチは鉄筋コンクリートを放物線状に成形したもので、戦前に架けられたコンクリートアーチ橋のうち、この形式では最も長い支間をもつ。

橋全体の長さは実測で八六・七二メートル、幅は六メートルあり、文化庁のデータベースには橋長およそ八七メートルと記載される。中央にローゼアーチがすわり、その左右へ短い桁がカンチレバー(片持ち)でつながって、橋は三つの径間が協力しあう構成になっている。ローゼ橋とは、湾曲したアーチと水平な桁の双方を剛とし、曲げの力を両者で分けあう形式をいう。路面はアーチの上ではなく内側を通るため、いま橋を渡る人は、せり上がるコンクリートの曲線の下をくぐることになる。

橋の名は、旧南佐久郡にあった栄村に由来する。栄村はのちに合併で佐久穂町へと姿を変えた。この場所には、コンクリートの橋より前から橋が架かっていた。明治二十四年(一八九一年)十一月には、長さ一〇四メートル、幅わずか一・八メートルの木橋が同じ流れをまたいでいた。自動車が走るより前の、細い農村の道のありようをしのばせる数字である。

形を生んだ技師のこと

栄橋は、ひとりの技師の着想から育った一群の構造物に連なっている。設計者の中島武(一九〇六―一九八〇)は札幌に生まれ、北海道帝国大学で土木工学を学んだのち、茨城県・岐阜県の道路技手を経て、昭和八年(一九三三年)に長野県の道路技師として赴任した。新潟県へ移るまでの三年半ほどの在職期間に、世界で初めてといわれるコンクリートローゼ橋を七橋も設計している。

背景にあったのは資材の不足である。戦時体制へ向かうなかで鋼材が手に入りにくくなり、すでに鋼橋として計画されていた橋梁は設計の見直しを迫られた。中島は岐阜県技手の時代からランガー桁・ローゼ桁・フィーレンデール桁の構造解析を論文として発表しており、鋼のローゼ橋をコンクリートに置き換える道筋を見いだす。難所は接合部にあった。鋼のローゼ橋ではアーチと桁の接点がヒンジ(関節)になるが、コンクリートでは同じようにはいかない。そこで中島はこの接点を剛結とし、生まれた「変形ローゼ桁」の簡便な計算法を編み出して、施工上の注意も含めて実用化へと進めた。最初のコンクリートローゼ橋である木曽の大手橋は、昭和十一年(一九三六年)に支間三五メートルで完成した。仮の支保工を外す瞬間、その支間が非常に長く感じられて怖かった、と中島はのちに振り返っている。

その二年後に架けられた栄橋は、支間を四五メートルまで伸ばし、この一群のなかで最大となった。土木構造物の設計者の名はおもてに出にくく、中島の関与も長く記録から抜け落ちていたが、信州大学の小西純一らの調査によって再び世に知られるようになった。平成十四年(二〇〇二年)には、現存する大手橋・姫川橋・親沢橋・昭和橋・栄橋の五橋が「中島武設計のRCローゼ桁群」として土木学会選奨土木遺産に認定された。そして令和七年(二〇二五年)三月、栄橋は造形の規範となるものとして、国の登録有形文化財に登録されている。

橋で見ておきたいところ

多くの人がまず目をとめるのは、アーチではなく親柱のほうかもしれない。両岸に二本ずつ、計四本の大きな親柱が高欄より高くそびえ、先のすぼまった尖頭型をなして石を張られている。意匠には尖塔アーチの趣が取り入れられ、その背の高さは県内でも最大級にあたる。橋へ近づく道から見ると、渡り口を守るように立ちならぶ姿が目に入る。

アーチそのものをよく見たいなら、川辺へ下りて、橋を横から眺めるとよい。そこからは放物線の輪郭がはっきりと読み取れ、中央のアーチが両脇の桁へと荷を受け渡すしくみも見てとれる。冬は待つ甲斐のある季節である。木立が葉を落とし、空がしばしば澄んだ青になるころ、淡い色のコンクリートはその重さを見せ、親柱は冷たい大気を背に鋭い輪郭をきざむ。

橋は現役の県道をのせ、屋外にひらかれているため、門も入場券も決まった時間もない。一年を通じて自由に見て、渡ることができる。歩いて渡れば、中央の支間を両端の片持ち桁がはさむという路面の下の構成が、目で見る以上に身体で感じられる。

佐久穂町のまわり

栄橋は、佐久甲州街道(現在の国道一四一号)と、小海線の羽黒下駅や武州街道(国道二九九号)とを結ぶ道筋の上にある。その国道二九九号は、メルヘン街道として八ヶ岳へ西へ登っていく道で、高原の森へ分け入るにつれて沿道の景色が美しさを増していく。

町を高く見おろす位置には、白駒の池がある。北八ヶ岳の標高二〇〇〇メートルを超える高地に横たわる湖で、日本でも指折りの原生林に囲まれている。林床は国内有数とされる苔におおわれ、木道が静かな緑のなかを乱さずに歩けるよう整えられている。秋には周囲の斜面が深い紅に染まる。谷に近い側では、八千穂高原が白樺の林と、暖かい季節にひらく広い自然園で知られている。

佐久穂を通る小海線そのものにも触れておきたい。佐久盆地と八ヶ岳山麓のあいだの高みを走るこの路線は、日本でも有数の高所を走る鉄道として知られ、のんびりとした普通列車は、この地域へ向かう気楽で景色のよい手立てになる。

Q&A

Q栄橋は自由に見学・通行できますか。
Aできます。現役の県道をのせる橋で、入場料も決まった開放時間もなく、いつでも見学・通行が可能です。車も通る道なので、通行の際は十分にお気をつけください。
Qこの橋のどこに見る価値がありますか。
A支間四五メートルは、戦前に架けられたコンクリートローゼ橋として国内最長です。さらに、この形式を確立した技師・中島武の作で、現存する五橋のひとつにあたります。石張りで背の高い尖頭型の親柱も見どころです。
Qローゼ橋とはどのような橋ですか。
Aアーチと水平な桁の双方を剛とし、曲げの力を両者で分担させる形式のアーチ橋です。路面はアーチの内側を通ります。中島武は、もともと鋼で用いられたこの形式を鉄筋コンクリートに応用しました。
Q公共交通でのアクセス方法は。
A最寄り駅はJR小海線の羽黒下駅で、橋まではタクシーで短時間です。車の場合、中部横断自動車道の佐久南インターチェンジから五十分ほどが目安となります。
Q見学に適した時期はありますか。
A通年で見学できます。澄んだ冬の日は、コンクリートの形や親柱の輪郭がもっとも際立ちます。白駒の池とあわせて訪れるなら、高原の道や森がひらく晩春から秋がよいでしょう。

基本情報

名称栄橋(さかえはし。一般には「さかえばし」とも読まれる)
所在地長野県南佐久郡佐久穂町大字高野町字外川原~大字高野町字北岩水
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 20-0667
登録年月日令和七年(二〇二五年)三月十三日
建造年昭和十三年(一九三八年)
設計中島武
構造・形式鉄筋コンクリート造ローゼ桁橋(左右にカンチレバー桁を配する)。橋長約八七メートル(実測八六・七二メートル)、幅員六・〇メートル、中央支間四五メートル、親柱付
員数一基
所有者長野県
アクセスJR小海線・羽黒下駅からタクシーで短時間。屋外にあり、いつでも見学・通行可能

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 栄橋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015313
文化遺産オンライン(国立文化財機構) 栄橋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/544527
土木学会 選奨土木遺産 中島武設計のRCローゼ桁群(大手橋・姫川橋・親沢橋・昭和橋・栄橋)
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/226
佐久穂町観光協会
https://yachiho-kogen.jp/

最終更新日: 2026.06.20