神社の境内に立つ三重塔
塔の軒に吊られた風鐸(ふうたく)の銘に、永正12年(1515年)の年号が記されている。長野県佐久市田口、新海三社神社の杉木立に包まれた境内に立つこの三重塔は、その銘によって室町時代後期の建立とわかる。三間三重塔婆、屋根はこけら葺き、全高はおよそ20メートルである。
神社の奥に仏塔が立っている。初めて訪れた人がまず不思議に思うのは、たいていこの一点だろう。とはいえ、かつての日本ではめずらしい光景ではなかった。神と仏を分け隔てなく祀る信仰が千年以上にわたって続き、神社の境内に塔や鐘楼、仏堂が並ぶことはごく普通だった。社伝では、東隣にあった神宮寺の塔として嘉祥2年(849年)に建てられたと伝えるが、現存する塔そのものは16世紀のものである。
神仏分離をくぐり抜けた塔
この塔は、明治の初めに失われかけている。慶応4年(1868年)、新政府が神仏分離を命じると、各地で仏教施設を壊す廃仏毀釈の動きが広がった。神社の敷地に建つ仏塔は、その標的になりやすい立場にあった。
新海三社神社が塔を守った経緯は、地元に語り継がれている。塔を塔として弁護するのではなく、これは塔ではなく宝物を納める倉(くら)だ、と社側が申し立てたという。その主張が認められ、建物は取り壊しを免れた。同じ話は神社側の説明にも佐久の郷土史にも見える。結果として、いまも神社の境内に残る中世の三重塔という、全国でも数少ない例が伝わることになった。
重要文化財としての価値
三重塔は明治40年(1907年)8月28日に国の保護を受け、その指定は現在の重要文化財に引き継がれている。同じ境内には東本社が建ち、こちらは昭和12年(1937年)に別途指定された重要文化財である。
評価の理由は、建立年がはっきりしている点と、その造りにある。永正12年という確かな年代をもつことで、室町後期の信濃東部で塔の建築がどう扱われたかを知る手がかりになる。様式は和様を基調としながら、禅宗様(唐様)の要素を取り込む。よく挙げられるのが垂木(たるき)の扱いで、初重は禅宗様の組み方、二重・三重は和様に戻る。下から見上げると、層によって垂木の方向が変わっていく。この移り変わりをこれほど読み取れる三重塔は多くない。
見どころ
まずは三つの屋根が一度に視界に入る距離まで下がり、それから一番下の屋根をもう一度見てほしい。初重と上層とで垂木の扱いが切り替わる差は目立たないが、気づいて見直すと面白い。
軒の風鐸も、ここでは単なる装飾ではない。その銘文こそが建物全体の年代を決める根拠になっている。小さな金具が最も重要な手がかりを抱えていることがある、という一例である。
すぐそばには東本社が建つ。一間社流造、屋根は檜皮葺きで、母屋の柱や貫の木鼻にあらわれた笹の意匠に時代の特徴が見える。中本社と西本社の間には御魂代石(みたましろいし)と呼ばれる石幢があり、左右対称の霊獣が彫られ、延文3年(1358年)にあたる刻記をもつ。この石に耳を当てると遠い諏訪湖の波音が聞こえる、という言い伝えがあり、諏訪の神との古い結びつきがしのばれる。
神社と周辺
新海三社神社は、古く佐久地方の総社とされた社である。社名の「三社」は三つの社殿に由来する。東本社には佐久の開拓の祖神とされる興波岐命(おきはぎのみこと)を、中本社にはその父神で諏訪の神でもある建御名方命(たけみなかたのみこと)を、西本社には伯父神の事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀る。武家の崇敬も篤く、武田信玄は永禄8年(1565年)の上州箕輪城攻めに先立ってこの社に願文を奉じたと記録され、その文書は神社に残る中世文書の一群に含まれている。
境内はJR小海線の臼田駅から東へおよそ2キロの位置にある。参道を歩けば高い杉の下を抜け、社殿とその奥の静かな一角に塔が見えてくる。境内は無料で開かれているが、塔は内部に立ち入れず、外から眺める形になる。
近年はもう一種類の参拝者が増えた。平成28年(2016年)に佐久市長がこの社をアニメ映画『君の名は。』の聖地として紹介し、監督の新海誠が近隣の小海町出身であることから、境内の神楽殿を作中の場面と重ねて訪れる人がいる。公式に確認された話というより地元の盛り上がりによるものだが、ふだんは静かなこの場所に映画ファンの足を運ばせている。
Q&A
- なぜ神社の境内に仏塔があるのですか。
- 日本では長く神道と仏教がともに信仰され、神社の敷地に仏教の建物が立つことは普通でした。この塔はその古い形が残った例で、明治期に政府が神仏を強制的に分けたあとも生き残ったものです。
- 塔の中に入れますか。
- 内部は公開されていません。日中に自由に入れる境内から、外観を見る形になります。
- どうやって行けばよいですか。
- JR小海線の臼田駅から東へおよそ2キロ、佐久市田口にあります。周辺の公共交通は限られるため、車で訪れる人が多い場所です。
- 塔はいつ建てられたのですか。
- 風鐸の銘に永正12年(1515年)とあります。社伝にはより古い嘉祥2年(849年)の創建も伝わりますが、それは前身の塔で、いま立っているのは16世紀の建物です。
- 境内でほかに見るべきものはありますか。
- 同じく重要文化財の東本社と、延文3年(1358年)の刻記をもつ御魂代石があります。参道沿いの大きな杉も見ごたえがあります。
基本データ
| 名称 | 新海三社神社三重塔(しんかいさんしゃじんじゃさんじゅうのとう) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県佐久市田口 |
| 指定区分 | 重要文化財(明治40年〈1907年〉8月28日指定) |
| 年代 | 永正12年(1515年)・室町時代後期 |
| 構造形式 | 三間三重塔婆、こけら葺き、全高約20メートル |
| 員数 | 1基 |
| 所有者 | 新海三社神社 |
| アクセス | JR小海線・臼田駅から東へ約2キロ。境内は無料、塔は外観のみ見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/970
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/193630
- 新海三社神社(佐久市公式観光ページ)
- https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/kanko/spot/meisho_shiseki/shinkaisanshajinji.html
- 新海三社神社(佐久広域連合 観光案内)
- https://www.areasaku.or.jp/kankou/spot/21649.html
最終更新日: 2026.06.04