佐藤家住宅(三ツ引)主屋及び奥上段

上田の市街地から千曲川を渡って北西へ向かうと、山裾に沿って古い家並みの続く上塩尻に出る。そのなかに、南を向いて建つ大きな民家がある。屋根を見上げると、つくりが途中で切り替わっているのに気づく。西側は茅葺の寄棟、東側は瓦葺の二階屋で、棟の上には小さな屋根が二つ突き出している。越屋根(こしやね)と呼ばれる、換気のための高窓を備えた小屋根である。

これは、ただ人が住むための家ではない。蚕(かいこ)の卵をつくる仕事の場でもあった。一軒の屋根に二つの役割が同居しているのは、そのためだ。正式な名は「佐藤家住宅(三ツ引)主屋及び奥上段」。建築面積はおよそ288平方メートル。母屋の西半分は床上を三列六室に区切り、北西にはもう一棟、茅葺寄棟の座敷棟「奥上段(おくじょうだん)」が張り出す。母屋の主要部は江戸時代後期、およそ1751年から1830年頃にさかのぼり、のちの改修と昭和前期の増築を経て、今の姿になった。

蚕種の里・上塩尻と「三ツ引」の佐藤家

上塩尻は、かつて「日本一の蚕種の郷」と呼ばれた村である。蚕種とは蚕の卵のこと。生糸をつくる養蚕や、繭から糸を引く製糸とは別に、良い繭を生む蚕の卵そのものを製造して各地の養蚕農家へ売る——それが蚕種業だった。

この地で蚕種づくりを始めたのは、佐藤一族の本家である。江戸中期の寛文年間(1661〜1673年)のことと伝わる。やがて塩尻の周辺には蚕種家が次々と現れ、幕末から明治初期には世界に知られる産地へと育っていった。折しもヨーロッパでは微粒子病という蚕の病が広がり、養蚕が壊滅状態に陥っていた。健康な蚕の卵を求める需要は海を越え、日本から輸出された蚕種のうち、およそ三割を上田産が占めたという。その多くが、この上塩尻でつくられた。

「三ツ引」は、佐藤本家から分かれた一家の屋号である。享保十二年(1727年)に分家し、江戸時代には庄屋を務めた。蚕種業に携わったのは本家と同じで、昭和の中頃まで卵づくりを続けている。当主・佐藤尾之七の邸宅として、明治30年(1897年)に刊行された銅版画集『日本博覧図』第十二編にも、その堂々たる屋敷構えが描かれている。

家が産業とともに育った — 登録の理由

佐藤家住宅(三ツ引)は、令和3年(2021年)6月24日に国の登録有形文化財となった。登録の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。国宝や重要文化財のような「指定」とは別の、活用しながら守る建造物を対象とした制度である。

注目したいのは、この屋敷が一棟で完結していない点だ。主屋及び奥上段のほかに、蚕室、物置、消毒室、文庫蔵、穀蔵、味噌蔵、屋敷神、門——あわせて9件が同時に登録された。これらは別々に建てられたのではなく、蚕種業が盛んになるにつれて少しずつ増えていったものだ。古くからの主屋と奥上段が増築・改修され、各種の蔵や屋敷神が手を入れられ、門は他所から移され、二階建ての蚕室が新たに建つ。やがて蚕の道具を消毒するため、内部を漆喰で塗り込めた消毒室が加わり、蚕室は全部で九部屋を数えるまでになった。

つまりこの敷地は、一つの家がどのように仕事を取り込み、必要に応じて姿を変えていったかを、建物の集まりそのものとして残している。蚕種業の発展に沿って屋敷が形づくられていく過程が、そのまま読み取れる。そこに登録の価値がある。

訪ねるときの見どころ

まず屋根に目を向けたい。母屋東側、瓦屋根の棟に並ぶ二つの越屋根は、蚕種家の建物を見分けるための目印になる。蚕を飼い、卵を扱う部屋には風と光が要る。越屋根の高窓は熱気や湿気を抜き、室内の温度や湿度を整えるための工夫だった。西側の茅葺の寄棟と、東側の瓦葺二階屋が一つの棟でつながる輪郭も、増改築を重ねた歴史をそのまま見せている。

茅葺の屋根は現在、傷みを防ぐために鉄板で仮に覆われている。本来の茅の質感は見えにくいが、寄棟の大らかな勾配は今もよくわかる。白い漆喰塗りの蔵が母屋の脇に並ぶ景観も、塩尻の町並みらしい落ち着きをつくっている。

ひとつ心に留めておきたいのは、ここが今も人の暮らす個人のお宅だということ。屋敷の内部は一般には公開されていない。外観を道から眺める際は、住む方への配慮を忘れずに。塀越し、門越しに見えるたたずまいだけでも、かつての蚕種家の格式は十分に伝わってくる。

あわせて歩きたい蚕都うえだのスポット

三ツ引のすぐ近くには、佐藤本家にあたる「旧佐藤家住宅(藤本)」がある。一時期「藤本」を屋号としたこの本家は、令和6年(2024年)に建物群が登録有形文化財となった。主屋は昭和2年(1927年)の火災で失われ、屋敷の中央が開けたままになっているが、蚕室や蔵が往時の規模を伝える。

歩いて数分の場所には「藤本蚕業歴史館」が建つ。蚕種会社・藤本蚕業(のちの藤本工業)の社屋を使った私設の資料館で、2009年の開館。藤本家に伝わった蚕種製造の古文書や道具など、一万点を超える資料を収蔵する。入館は無料だが、見学には事前の問い合わせが必要だ。最寄りはしなの鉄道の西上田駅で、館までは徒歩9分ほど。この駅は1920年、塩尻の蚕種家たちの請願によって「北塩尻駅」として開業した経緯を持つ。

市街地側まで足を延ばせば、製糸業で栄えた時代を伝える「旧常田館製糸場施設」(国指定重要文化財)や、「上田蚕種協業組合事務棟」などもある。蚕の卵づくり、繭の生産、糸引き。絹をめぐる一連の営みが、この街の半日で見えてくる。

Q&A

Q建物の中を見学できますか?
A佐藤家住宅(三ツ引)は現在も使われている個人のお宅で、内部は一般公開されていません。見学できるのは道路からの外観のみです。蚕種業の屋敷や道具をじっくり見たい場合は、近くの藤本蚕業歴史館(要予約)の利用をおすすめします。
Q「蚕種業」とは具体的にどんな仕事ですか?
A蚕の卵を専門につくり、養蚕農家へ販売する仕事です。良い繭を生む丈夫な蚕を育て、その卵を蚕卵紙に産み付けさせて出荷しました。糸を取る養蚕・製糸とは工程が分かれており、上塩尻はこの「卵づくり」で全国に名を知られました。
Q屋根の上の小さな屋根は何のためのものですか?
A越屋根(こしやね)と呼ばれる換気用の小屋根です。蚕を扱う部屋では温度と湿度の管理が重要で、高い位置の窓から熱気や湿気を逃がす役割を担いました。蚕種家の建物に多く見られる特徴です。
Q本家の「藤本」と分家の「三ツ引」はどう違いますか?
Aどちらも佐藤一族で、ともに蚕種業を営みました。「藤本」は本家の屋号、「三ツ引」は享保十二年(1727年)に分かれた分家の屋号です。両家の屋敷はいずれも国の登録有形文化財になっています。
Qどうやって行けばよいですか?
Aしなの鉄道の西上田駅が最寄りです。上塩尻は旧北国街道沿いの集落で、駅から徒歩圏に蚕種製造の面影を残す家並みが広がります。周辺は住宅地なので、静かに歩いて見て回るのが基本です。

基本情報

名称佐藤家住宅(三ツ引)主屋及び奥上段
ふりがなさとうけじゅうたく(みつびき)おもやおよびおくじょうだん
所在地長野県上田市上塩尻字南側90
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日令和3年(2021年)6月24日
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
時代・年代江戸時代後期(西暦1751〜1830年頃)/江戸末期改修・昭和前期増築改修
構造・形式木造2階建、茅葺(鉄板仮葺)、建築面積288平方メートル
員数1棟
登録番号20-0571
備考同敷地内の蚕室・物置・消毒室・文庫蔵・穀蔵・味噌蔵・屋敷神・門を含む計9件が同日登録。現在も個人の住宅として使用され、内部は非公開。

References

国指定文化財等データベース(文化庁)|佐藤家住宅(三ツ引)主屋及び奥上段
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013788
文化遺産オンライン(文化庁)|佐藤家住宅(三ツ引)主屋及び奥上段
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/591490
上田市の文化財(上田市市民ICT推進センター)|佐藤家住宅(三ツ引)
https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/127.php
信州上田観光協会|『蚕都上田』の軌跡をたどる・前編
https://ueda-kanko.or.jp/blog/santoueda1/
信州上田観光協会|藤本蚕業歴史館
https://ueda-kanko.or.jp/spot/fujimotorekishikan/

最終更新日: 2026.06.20