武重本家酒造の奥穀ビツ

奥穀ビツは瓦葺の下に木造平屋がのびる約27平方メートルの建物で、大正期(1912〜1925年)にさかのぼる。前穀ビツの妻面側から北へ延び、北端で東へ折れ曲がってL字型の平面をとる。

桟瓦葺の切妻造で前穀ビツと同様の造りだが、折れ曲がりの部分は物置とする。前後の穀ビツが対をなす姿は、商いの拡大につれて貯蔵が継ぎ足されたさまを示す。

武重本家酒造の起こりは明治元年(1868年)、当主徳左衛門が家業として酒造の権利を得たときにさかのぼる。武重家は江戸初期からこの茂田井に暮らし、その先祖は武田氏の家臣であったと伝わる。茂田井は中山道沿いに、望月宿と芦田宿のあいだの休み所として育った村である。二軒の酒屋が集落の要をなし、長い白壁が通りに落ち着いた表情を与えている。

登録の理由と価値

登録原簿はこの穀ビツを、再現することが容易でないものという基準で挙げる。特定の屋敷と特定の商いに合わせて大きさと形を定めた専用の穀倉は、その知恵と必要が失われれば再び作ることが難しい。

原料の米を蓄える施設として、この穀ビツは醸造工程の入口に位置し、二段階に増えたその姿は、酒屋そのものが拡張した段階を刻む。

登録基準「再現することが容易でないもの」により登録され、稀な現存例の一部をなす。平成12年(2000年)9月26日の登録により、稼働中の酒蔵の約三十棟が国の登録有形文化財となった。醸造は古式の生酛造りによる。時間をかけて酒母に天然の乳酸菌を育てる製法で、蓼科山の軟水と佐久の寒さがこの緩やかな仕込みに適う。

いま訪ねて見るべきところ

この穀ビツはその形の理屈をもう一度眺める値打ちがある。折れ曲がりは意匠ではなく使える場所への応えであり、地上でその平面を読むことは、稼働する屋敷が一棟ずつ育つさまを学ぶ小さな手がかりになる。

旅の歌人若山牧水は当家の銘酒「御園竹」を愛し、その三首の歌を刻んだ歌碑が昭和42年(1967年)に敷地正面へ建てられた。

ここは博物館ではなく、家族経営の稼働する酒蔵である。内部は通常公開されない。春分の頃、3月21日前後に一度だけ酒蔵を開放し、試飲もできる。白壁沿いの散策には、すぐ近くの大澤酒造を組み合わせるとよい。書道館や美術館があり、いつでも試飲ができる。

Q&A

Q奥穀ビツには何を蓄えましたか。
A酒の主原料である米です。醸造工程の始まりにあたる穀倉として用いられました。
Q形が変わっているのはなぜですか。
A前穀ビツから北へ延び、東へ折れてL字をなします。折れ曲がりの隅は物置に用いられました。
Q内部を見られますか。
Aいいえ。稼働中の酒蔵の一部です。敷地は3月21日前後の酒蔵開放で年に一度開きます。
Qなぜ登録されたのですか。
A再現することが容易でないものという基準により、この蔵の拡張に結びついた専用の穀倉として登録されました。

基本情報

名称武重本家酒造及び武重家住宅奥穀ビツ
所在地長野県佐久市茂田井字東町2179(旧中山道沿い)
指定区分登録有形文化財(平成12年〈2000年〉9月26日登録)
員数・構造1棟/木造平屋建、瓦葺、建築面積27㎡
年代大正期(1912-1925)
所有者武重本家酒造株式会社
公開状況稼働中の私有酒蔵。内部は通常非公開。例年3月21日前後の酒蔵開放時に敷地を開放。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 武重本家酒造及び武重家住宅奥穀ビツ
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001806
武重本家酒造株式会社 — 公式サイト
https://takeshige-honke.jp/
信州たてしな観光協会 — 武重本家酒造株式会社
https://shirakabakogen.jp/spot/takeshiga_honke_syuzo/

最終更新日: 2026.07.03