武重本家酒造の五号蔵

五号蔵は三号蔵の北に増築された、桁行七間半ほどの瓦葺切妻屋根の土蔵造二階建の酒蔵である。外観上は三号蔵と一体につくられ、さらに北へ糟場を増築している。

地棟下面の墨書がその年代を正確に定める。上棟は大正11年(1922年)三月である。東側面で四号蔵の西妻面に連絡し、蔵の列を結び合わせる。

もと武田の遺臣が代々耕してきた茂田井の武重家は、明治元年(1868年)に十二代徳左衛門のもとで酒造をはじめ、以後同じ建物群で醸造を続けている。茂田井は中山道の望月宿と芦田宿の間にあり、宿と宿のあいだで旅人が足を休める間の宿として機能した。白壁の塀が二キロ近く続く。

登録の理由と価値

登録原簿はこれを造形の規範として挙げる。棟木の墨書による正確な年代と、既存の蔵を延長し結び合わせるあり方は、酒蔵がいかに時とともに継ぎ足され一体化されたかの明快な例をなす。

隣り合う蔵とともに読めば、この蔵は固定された設計としてではなく、商いが場所を要するにつれ一棟ずつ築き上げられた酒蔵の姿を示す。

登録基準「造形の規範となっているもの」により登録され、稀な現存例の一部をなす。ここには平成12年(2000年)9月26日に登録された約三十棟の登録有形文化財が並び、今も日々の醸造が続く稀な事例である。蓼科山の軟水を仕込み水とし、蔵の空気中の乳酸菌を酒母に取り込む生酛造りを基本とする。今もこの製法を続ける蔵は多くない。

いま訪ねて見るべきところ

静かな見どころは年代を刻む棟木である。自らの年齢をこれほど明快に告げる建物は少なく、大正11年三月の墨書は、この蔵をこの一画の成長のなかに正確に位置づけてくれる。

敷地正面の歌碑には、旅の歌人若山牧水の三首が刻まれる。牧水は「御園竹」を好んで詠み、その名を冠した「牧水」も今に受け継がれる。

醸造が通年続くため、登録建造物は普段は通りから眺めるにとどまる。内部に入れる定例の機会は、3月21日前後の酒蔵開放のときである。隣接する大澤酒造は小さな美術館を持ち通年で試飲もでき、茂田井の白壁の通りはゆっくり歩くほど味わいが増す。

Q&A

Q五号蔵の建立年はどうしてわかるのですか。
A地棟下面の墨書に、大正11年(1922年)三月に上棟したと記されています。
Q他の蔵とどう関わりますか。
A三号蔵の北に増築され、外観は一体に見え、東側で四号蔵に連絡します。
Q北側の糟場とは何ですか。
A醪を搾ったあとに残る酒粕を扱うために建て継がれた部屋です。
Q中に入れますか。
Aいいえ。稼働中の仕込蔵です。敷地は例年3月21日前後の酒蔵開放で開きます。

基本情報

名称武重本家酒造及び武重家住宅五号蔵
所在地長野県佐久市茂田井字東町2179(旧中山道沿い)
指定区分登録有形文化財(平成12年〈2000年〉9月26日登録)
員数・構造1棟/土蔵造2階建、瓦葺、建築面積121㎡
年代大正11(1922)
所有者武重本家酒造株式会社
公開状況稼働中の私有酒蔵。内部は通常非公開。例年3月21日前後の酒蔵開放時に敷地を開放。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 武重本家酒造及び武重家住宅五号蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001803
武重本家酒造株式会社 — 公式サイト
https://takeshige-honke.jp/
信州たてしな観光協会 — 武重本家酒造株式会社
https://shirakabakogen.jp/spot/takeshiga_honke_syuzo/

最終更新日: 2026.07.03