武重本家酒造の旧精米所

旧精米所は離れの敷地の斜向かい、水路が交わる角地に建ち、旧中山道へ大きな妻面を見せる。桁行五間、梁行五間の規模で、南北に棟を通した瓦葺切妻屋根の真壁造二階建、昭和初期にさかのぼる。

ここは仕込みの米を搗く精米所であった。水車を旧中山道沿いの水路に設置し、それが米の外層を削る機構を回していたものとみられる。

武重本家酒造の起こりは明治元年(1868年)、当主徳左衛門が家業として酒造の権利を得たときにさかのぼる。武重家は江戸初期からこの茂田井に暮らし、その先祖は武田氏の家臣であったと伝わる。茂田井は中山道沿いに、望月宿と芦田宿のあいだの休み所として育った村である。二軒の酒屋が集落の要をなし、長い白壁が通りに落ち着いた表情を与えている。

登録の理由と価値

精米は最終の酒を左右する工程で、米の外側を削って澱粉質の芯を残す。街道の水路の水で回る自前の精米所を持ったことは、ここでも工程を自らの屋根の下に集めた商いをよく表す。

この建物は酒を醸す家の関連施設の一つであり、酒蔵とは蔵だけでなく、水と米から樽と倉に至る建物の連なり全体であることを思い起こさせる。

登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」により登録され、稀な現存例の一部をなす。平成12年(2000年)9月26日の登録により、稼働中の酒蔵の約三十棟が国の登録有形文化財となった。醸造は古式の生酛造りによる。時間をかけて酒母に天然の乳酸菌を育てる製法で、蓼科山の軟水と佐久の寒さがこの緩やかな仕込みに適う。

いま訪ねて見るべきところ

その位置もまた見どころである。水路の交わる角に妻面を街道へ向けて建つ精米所は、茂田井を流れる水を蔵がどう用いたかを示す。定住の値打ちをこの地に与えたのも、その水であった。

旅の歌人若山牧水は当家の銘酒「御園竹」を愛し、その三首の歌を刻んだ歌碑が昭和42年(1967年)に敷地正面へ建てられた。

ここは博物館ではなく、家族経営の稼働する酒蔵である。内部は通常公開されない。春分の頃、3月21日前後に一度だけ酒蔵を開放し、試飲もできる。白壁沿いの散策には、すぐ近くの大澤酒造を組み合わせるとよい。書道館や美術館があり、いつでも試飲ができる。

Q&A

Q旧精米所は何をする建物でしたか。
A仕込みの米を搗く精米所です。街道沿いの水路の水車が動力であったとみられます。
Qどこにありますか。
A茂田井2188-3の角地で、離れの敷地の斜向かいに建ち、旧中山道へ妻面を見せます。
Q見学できますか。
Aいいえ。稼働中の酒蔵に属します。敷地は例年3月21日前後の酒蔵開放で開きます。
Qなぜ酒米を精米するのですか。
A米の外層を削って澱粉質の芯を残すことで、仕上がる酒の澄みと味わいが定まります。

基本情報

名称武重本家酒造及び武重家住宅旧精米所
所在地長野県佐久市茂田井字東町2188-3(旧中山道沿い)
指定区分登録有形文化財(平成12年〈2000年〉9月26日登録)
員数・構造1棟/木造2階建、瓦葺、建築面積104㎡
年代昭和初期(1926-1988)
所有者武重本家酒造株式会社
公開状況稼働中の私有酒蔵。内部は通常非公開。例年3月21日前後の酒蔵開放時に敷地を開放。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 武重本家酒造及び武重家住宅旧精米所
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001811
武重本家酒造株式会社 — 公式サイト
https://takeshige-honke.jp/
信州たてしな観光協会 — 武重本家酒造株式会社
https://shirakabakogen.jp/spot/takeshiga_honke_syuzo/

最終更新日: 2026.07.03