シーボルト宅跡 ― 長崎・鳴滝に残る日本西洋医学の原点
長崎市鳴滝二丁目の坂道を路面電車の停留所から七分ほど上ると、住宅地のなかに小さな広場が開ける。中央に建つのはやや厳めしい表情の胸像。台座には「DR VON SIEBOLD」とある。1922年(大正11年)10月12日に告示番号270で国の史跡に指定された、シーボルト宅跡である。
ここはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796–1866)が文政7年(1824)に開いた医学塾「鳴滝塾」と居宅の跡地で、指定基準は「九.外国及び外国人に関する遺跡」。外国人が江戸時代の日本でみずから営んだ学塾の遺構として、史跡指定としても少数派に属する。
出島の蘭館医に与えられた異例の許可
シーボルトは文政6年(1823)、27歳でオランダ商館付きの医師として長崎・出島に着任した。出島の蘭人は鎖国体制のもとで原則として島外に出ることを許されない。だが彼の医術が長崎奉行の知るところとなり、市中の患者を診ること、ついでは郊外で薬草を採集することまで個別に認められていく。前例の少ない処遇である。
翌・文政7年、オランダ通詞・山作三郎の鳴滝の別邸を譲り受け、ここを塾舎兼診療所として整備した。当時の建物は木造二階建てで、書庫と研究室を備え、庭には全国から取り寄せた薬草・薬木が植えられたという。シーボルトは出島から駕篭で月に数度通い、塾生たちには蘭語と臨床、植物学、博物学を教えた。
「鳴滝」という地名は、第24代長崎奉行・牛込忠左衛門勝登が、京都の鳴滝にあやかって名づけたと言われている。烽火山の裾を流れる渓流の音から付けられた名がそのまま、後年の蘭学史を彩る場所の固有名詞になった。
鳴滝塾に集まった門弟たち
鳴滝塾が実質的に活動したのは文政7年から11年(1828)までの、わずか5年ほどである。それにもかかわらず、塾を出入りした人材は50名を超え、内訳を眺めると幕末から明治初期の日本医学史の主要人物が並ぶ。
蘭学者として知られる高野長英、後に日本初の理学博士となる伊藤圭介、幕府の蘭方医として最高位に就いた伊東玄朴、シーボルトの娘・楠本イネに蘭学を教えた二宮敬作、日本眼科学の祖と称される高良斎、戸塚静海、吉雄幸戴、岡研介、美馬順三など、その後の各地の医学伝授に重要な役割を果たす人々が、この鳴滝で同じ時期を過ごしている。
シーボルトは塾生に対し、書物の暗記ではなく、自身の診察に立ち会わせ、日本の自然・地理・歴史・風俗に関するオランダ語の論文提出を課した。優秀な論文には「ドクトル」の称号が与えられた。一方で集められた論文や標本は、シーボルト自身の日本研究のための資料にもなったとされる。
史跡指定の理由とその後
1922年(大正11)の指定は、史跡名勝天然記念物保存法のもとで行われた早期のものにあたる。鳴滝塾は外国人による西洋医学伝授の拠点であり、また日本博物学のヨーロッパへの最初の本格的な発信源でもあった。指定基準第九「外国及び外国人に関する遺跡」が設けられた背景には、こうした近世における対外交流の場を後世に残そうという意図があった。
1970年(昭和45)3月26日には、市道拡幅のため宅跡の北側にあたる細長い土地について部分解除が行われている。井戸や石垣、シーボルトの木が残る中心部はそのまま保全された。
当時の建物そのものは現存しない。母屋以下数棟は明治7年(1874)の大風で大破し、明治27年(1894)に解体されたとされる。今日の宅跡は、礎石、石垣、石階、井戸といった石造の遺構と、シーボルトの植えた樹木が、建物の失われた敷地に静かに位置を保っている。
いま宅跡で見られるもの
入口の石碑には「シーボルト先生之宅跡」と刻まれ、奥に進むと中央の広場に晩年のシーボルトの胸像が立つ。教科書に載っている若き日の川原慶賀筆の肖像とは別人のように厳しい顔つきで、現地で初めて目にすると意外に感じる人も多い。
石組みの井戸が二基。これが当時の遺構として最もはっきり位置を保っている。礎石は地表に並び、石垣は斜面を支え、わずかな石階が往時の動線を示す。文化庁の指定資料に列記された「礎石、石垣、石階、井戸及シーボルドノ樹」が、ほぼそのまま現地に残っている格好である。
「シーボルトの木」と呼ばれる樹木はシーボルト本人または門弟が植えたと伝わるもので、いまも宅跡の保護対象として育てられている。6月になると胸像の周囲にはアジサイが咲く。シーボルトは妻・楠本タキを愛着を込めて「お滝さん」と呼び、日本のアジサイに学名 Hydrangea otaksa を与えた。植えられているアジサイの個体は当時のものではないが、命名の由縁を辿ることのできる花である。
隣接するシーボルト記念館
宅跡に隣接して、赤煉瓦造りの瀟洒な洋館が建つ。1989年(平成元)10月1日に長崎市が開館したシーボルト記念館で、日本国内で初めて外国人個人を冠した博物館とされる。外観はシーボルトが帰国後に住んだオランダ・ライデンの旧宅を、玄関部分はヴュルツブルクにあった祖父カール・カスパルの旧宅をそれぞれ模している。
館内では、シーボルト夫妻と娘イネを描いた螺鈿合子、眼球の解剖模型、シーボルト自筆の書状など、31点の国指定重要文化財を含む約1,500点の関連資料が公開される。鳴滝塾の門弟たちが学んだ西洋医学の現物と、シーボルトが日本から持ち帰った博物学的成果の両面を、宅跡と一体で見学できるようになっている。
開館時間は9時から17時(入館は16時30分まで)、月曜日と12月29日から1月3日が休館日。観覧料は大人100円、小・中学生50円と良心的で、宅跡と合わせて1時間ほどで巡れる。
鳴滝周辺と立ち寄りどころ
路面電車3系統「新中川町」停留所から宅跡までの坂道は「シーボルト通り」と呼ばれ、寺社や石組みの溝渠、古くからの個人商店が点在する。短い距離ながら、長崎特有の坂と石の街並みの雰囲気をそのまま歩ける道筋である。
シーボルトの活動の出発点である出島和蘭商館跡は、ここから路面電車で約30分。出島の医師室や植物園跡をあわせて訪ねれば、彼が出島と鳴滝を行き来した日々の地理感覚が体感できる。市内の諏訪神社や寺町通り、長崎歴史文化博物館も徒歩圏で、近世長崎の対外交流をテーマに半日から一日かけてめぐる旅程が組みやすい。
訪れる時季としては、6月上旬から中旬のアジサイの頃が宅跡らしい雰囲気を楽しめる。樹下に静かに咲く花を眺めながら、「お滝さん」と呼ばれた女性の存在を考えると、史跡の中の小さな個人史が立ち上がってくる。
Q&A
- シーボルトは本当にここに住んでいたのですか?
- 最初の来日(1823–1829年)中は、原則として出島に居住する義務があり、鳴滝へは出島から通っていました。鳴滝塾は塾舎兼診療所兼研究室として用いられ、宅地は彼の活動拠点でしたが、寝起きの場所としては出島が主でした。一方、安政6年(1859)の再来日時には、この地に住んで教育に従事したと文化庁の指定資料にも記されています。
- 入場料は必要ですか?
- 宅跡そのものは屋外の史跡で、入場料はかかりません。隣接するシーボルト記念館は大人100円、小・中学生50円の有料施設です。両方を見学する場合、合計で1時間から1時間半ほどが目安です。
- 「シーボルト事件」とは何のことですか?
- 文政11年(1828)、帰国を前にしたシーボルトの荷物から、国外持ち出しが禁じられていた日本地図など多数の品が発覚した事件です。翌・文政12年に国外追放処分となり、関係した日本人にも処罰が及びました。彼が再び日本の地を踏むのは、日米修好通商条約締結後の安政6年(1859)まで、約30年後のことになります。
- 楠本イネについて記念館で詳しく知れますか?
- はい、シーボルト記念館にはシーボルトと楠本タキ、そして長女・楠本イネ(1827–1903)に関する展示があります。イネは二宮敬作らに師事して西洋医学を学び、後に明治期の女医として宮中診療にも携わった人物です。タキがシーボルトに贈った螺鈿合子には、二人の家紋が並べて描かれており、夫婦と父娘の関係を物的資料から辿ることができます。
- アクセスでわかりにくい点はありますか?
- 路面電車「新中川町」電停から宅跡までは7分ほどの徒歩ですが、後半は緩やかな上り坂が続きます。シーボルト記念館の駐車場は長崎県立鳴滝高等学校のグラウンド脇にあり、開館時間内のみ利用可能です。バス・タクシー利用の場合も「シーボルト記念館前」を目印にすると確実です。
基本情報
| 名称 | シーボルト宅跡(しーぼるとたくあと) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定史跡(指定基準 九.外国及び外国人に関する遺跡) |
| 指定年月日 | 1922年(大正11)10月12日/告示番号270。1970年(昭和45)3月26日に市道拡幅のため一部解除 |
| 所在地 | 長崎県長崎市鳴滝二丁目 |
| 位置 | 北緯32度45分19.5秒・東経129度53分32.7秒 |
| 主な遺構 | 井戸2基、礎石、石垣、石階、シーボルトの木、シーボルト胸像、「シーボルト先生之宅跡」石碑 |
| 宅跡の見学 | 屋外史跡、無料、日中見学可 |
| 隣接施設 | シーボルト記念館(〒850-0011 長崎市鳴滝2-7-40 / 095-823-0707) 開館 9:00–17:00(入館16:30まで)/休館 月曜・12/29–1/3/観覧料 大人100円、小・中学生50円 |
| アクセス | JR長崎駅から長崎電気軌道3系統(蛍茶屋行)で約20分、新中川町電停下車、徒歩約7分。長崎駅前から車で約15分。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):シーボルト宅跡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2740
- 長崎県の文化財(長崎県):シーボルト宅跡
- https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/142
- 長崎市公式観光サイト(at-nagasaki.jp):シーボルト宅跡
- https://www.at-nagasaki.jp/spot/93
- 長崎市公式観光サイト:シーボルト記念館
- https://www.at-nagasaki.jp/spot/99
- 長崎市:シーボルト記念館へのアクセス
- https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/3631.html
- ながさき歴史・文化ネット(長崎県):シーボルト記念館
- https://nagasaki-bunkanet.jp/institution/シーボルト記念館/
- 長崎市観光特集:第3章 西洋医学・日本博物学の交流拠点「鳴滝塾」
- https://www.at-nagasaki.jp/feature/Siebold_001_03
最終更新日: 2026.05.19