碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣とは
碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣は、長崎県壱岐市石田町印通寺浦にある昭和15年(1940年)の屋敷の入口に築かれた石垣で、平成26年(2014年)10月7日に国の登録有形文化財(建造物)となった(文化庁)。読みは「へきうんそう(きゅうくまもとけじゅうたく)いしがき」。
文化庁の記録では、石造で、総延長123メートル。登録番号は42-0113である。
唐津産玄武岩の整層積
碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣は、敷地の南辺の東寄りに築かれた石垣である(文化庁)。中央の入口から東の隅まで約70メートル、入口から斜路の北側に沿って約47メートル延びる。石材は唐津産の玄武岩の切石で、横の目地が水平に通る整層積とし、石の表面は中央を盛り上げた瘤出しに仕上げる。南東の角では高さが約10メートルに達し、わずかにたるみを見せている。
長崎県は、外側と内側の二重の石垣として記している。外側は長さ約50メートルで、東側は20段、西側は5段を積み、頂部は東から西へ下る。内側は長さ約45メートルで、西に15段、東に2段を積み、頂部は水平に揃う。どちらも頂部に厚さ18センチ、幅35センチ、長さ約90センチの板状の石を載せ、積石の面は50センチ角ほどの正方形に近いものが多い。延長の測り方は文化庁と長崎県で異なっている。
登録有形文化財としての価値
文化庁は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録した。長崎県は、当時の土木技術の高さがうかがえ、見た目にも美しく、現在も保存状態が良いことから、主屋や門とともに評価されるにふさわしいとしている。
築造の経緯
長崎県によれば、屋敷の造営は石垣から始まった。昭和13年(1938年)秋ごろに地均しを始め、石積みは昭和14年(1939年)1月からほぼ1年をかけて完成した。石材は佐賀県唐津市鎮西町産の角石で、総数6,500個を島へ運び込んだという。工事は、石工の椎谷儀重と、石工の世話役を務めた柳沢兵造を中心に、いずれも東京から呼び寄せて進めたとされる。
見どころ
正面に立つと、ほぼ同じ大きさに揃えた石が水平の目地をそろえて重なり、平行の線が幾重にも走って見える(長崎県)。一つひとつの石面に残る瘤出しの凹凸と、南東の角で約10メートルの高さを持ちながらわずかにたるんだ面の線を確かめたい(文化庁)。
見学について
石垣は屋敷の入口にあり、壱岐市の議会答弁(令和7年(2025年)9月)によれば、印通寺側の裏の入口から入れば自由に見学できる。地番は主屋・門と異なり印通寺浦に属する(文化庁)。撮影の可否について公的な案内は確認できなかった。
Q&A
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣はいつ築かれましたか?
- 文化庁は昭和15年(1940年)とします。長崎県によれば、石積みは昭和14年(1939年)1月から約1年をかけて完成しました。
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣の石はどこのものですか?
- 唐津産の玄武岩の切石です(文化庁)。長崎県は佐賀県唐津市鎮西町産とし、総数6,500個を運び込んだとしています。
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣の大きさは?
- 総延長123メートルで、南東の角では高さ約10メートルあります(文化庁)。
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣は見学できますか?
- 壱岐市によれば、印通寺側の裏の入口から入れば自由に見学できます。
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣が登録有形文化財になったのはいつですか?
- 平成26年(2014年)10月7日です(文化庁)。
基本情報
| 名称 | 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣(へきうんそう(きゅうくまもとけじゅうたく)いしがき) |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県壱岐市石田町印通寺浦字大地330-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成26年(2014年)10月7日登録 |
| 員数 | 1所 |
| 寸法 | 石造、総延長123m |
| 所有者 | 壱岐市 |
| 公開状況 | 自由に見学可(印通寺側の入口から) |
参考文献
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)石垣(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010241
- 碧雲荘(旧熊本家住宅)主屋・門・石垣(長崎県の文化財)
- https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/735
- 令和7年壱岐市議会定例会9月会議 会議録(第3日)
- https://www.city.iki.nagasaki.jp/material/files/group/23/5_3gou202509.pdf
最終更新日: 2026.10.28