片島に築かれた魚雷の試験場

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場は、長崎県東彼杵郡川棚町三越郷の片島にある旧日本海軍の魚雷試射施設の跡で、大正7年(1918年)8月に完成し、射場・突堤・機械室及び水雷調整室・油庫・観測所の5施設が令和6年(2024年)8月15日に国の登録有形文化財となった。地元では「片島魚雷発射試験場跡」の名で長く親しまれ、現在は町の片島公園の中にある。

ここで行われたのは、完成した魚雷の最終試験である。佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所でつくられた魚雷が運び込まれ、海上の人工島から大村湾へ向けて実際に撃ち出された。速さ、進路のずれ、浮上までの時間、燃料や空気の消費量を確かめ、基準を満たしたものだけが佐世保鎮守府へ送られた。外れたものは調整し直して、もう一度撃たれた。

試験の現場を伝える証言が、川棚町のボランティアガイド資料に収められている。昭和20年(1945年)の春に学徒動員でここへ配属された人によれば、試験は4日から1週間に1度ほどで、1日に8本前後を撃って合格は3本ほどだったという。

大村湾は針尾瀬戸と早岐瀬戸だけで外海とつながる、波の穏やかな内海である。旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場の位置は、長い距離をまっすぐ走らせる試験にとって、この穏やかさが決め手になったことを示している。

立神から鱏ノ鼻、そして片島へ

佐世保鎮守府の魚雷試射は、明治28年(1895年)に立神の岬の先へ木製の桟橋を架けたところから始まる。明治35年(1902年)には佐世保港の南、鱏(えい)ノ鼻に射程4キロメートルの水雷試射場がつくられた。

日露戦争のあと、港を出入りする艦船が増えると、港内での試射は危険になった。さらに射程10キロメートルを超える魚雷が開発され、4キロメートルでは試験が足りなくなる。大正5年(1916年)、海軍は大村湾北部の片島で、15キロメートルまで撃てる遠距離試射場の建設に取りかかった。名称は建設中に「魚雷遠距離発射場」へ改められている。

完成当初、魚雷を見張る望楼は3か所に置かれた。片島の山頂、約6キロメートル先の高島、約8キロメートル先の風早である。いずれも木造平屋の小屋で、見通しの目標が大正8年(1919年)3月に完成しているため、本格的な運用はこの頃からと考えられている。片島山頂の望楼は大正14年(1925年)に煉瓦と鉄筋コンクリートの建物へ建て替えられ、名前も「観測所」となった。

昭和13年(1938年)から昭和17年(1942年)にかけて施設は拡張され、魚雷調整場やトンネルが加わった。昭和17年には北東へ約2.5キロメートルの百津郷に川棚海軍工廠が置かれ、その際に片島と陸地の間の海峡が埋め立てられた。もとは島だった片島が陸続きなのはこのためである。旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場は終戦まで使われ、昭和20年の終戦時に建物の床や階段、開口部の多くが壊された。

5施設が登録されるまで

戦後、施設は長く手つかずのまま残った。保存への動きは令和元年(2019年)、町議会で保存と活用が取り上げられたことに始まる。令和2年(2020年)に文化庁の視察があり、令和4年(2022年)には5施設すべてを3次元レーザーで測量した。令和5年(2023年)10月に申請、令和6年3月15日に文化審議会が答申し、同年8月15日に登録された。登録番号は42-0141から42-0145まで連続している。

評価の柱は、日本のコンクリート技術が始まったばかりの時期の構造物であることだ。射場の人工島と突堤は、佐世保の赤崎旧岸壁で使われた「コンクリート方塊積み」という工法で築かれている。型枠で成形したコンクリートの塊を積み上げるこの方法を、人工島とアーチ橋に応用した例は、町の保存活用計画でも初めての試みとみられている。

もう一つの柱は、佐世保鎮守府の建築の系譜である。佐世保市の針尾送信所(大正11年(1922年)完成)には、この発射場の油庫とよく似た石造の油庫が残る。旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場のほうが4年早く完成しており、鎮守府の技術者が同じ設計の考え方を共有していたことが読み取れる。

川棚町は令和7年度に策定委員会を設け、令和8年(2026年)3月に保存活用計画をまとめた。大正7年の建造から100年余り、5施設は本格的な補修や改修を受けてこなかった。計画では、剥落した出入口の修復や鉄筋の防錆処理を当面の課題に挙げている。文化庁から届いた登録プレートは、川棚町中央公民館の窓口に展示されている。

片島公園の歩き方

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場は、片島の西岸を中心にまとまっている。駐車場から入ると、まず目に入るのが石造の下部に煉瓦を積み増した大きな壁の建物で、これが機械室及び水雷調整室である。その南側に小さな石造の油庫が立つ。

機械室及び水雷調整室の正面から海へ延びるのが突堤で、5連のアーチで約50メートル沖の射場へつながっている。射場は四角い人工島で、端に3階建ての上屋が残る。観測所は島の南側、山頂部の林の中にあり、海側へ三角形に突き出した窓が目印になる。

登録された5施設のほかにも、昭和期に増設された2棟の魚雷調整場、島を南北に貫く東西2本のトンネル、ソナーの試験に使われたとされる探信儀領収試験場などの遺構がある。これらは登録の対象ではないが、町の計画では5施設と一体で価値を持つ構造物として扱われている。

足元は平らではなく、雨の後は滑りやすい。射場の入口と探信儀領収試験場へ向かう通路には転落や岩盤の剥落のおそれから立入禁止の表示があり、機械室及び水雷調整室にも柵が設けられている。表示のある場所には入らないこと。

見学とアクセス

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場は片島公園として開放されており、入園料はかからない。管理人は常駐していないので、案内が必要なら事前に川棚町企画観光課(0956-76-8335)へ問い合わせるとよい。町の戦時遺構ボランティアガイドによる案内も行われている。

アクセスは車が基本になる。JR大村線の川棚駅から車で約10分で、公園には無料の駐車場(10台)がある。町の案内では、海沿いの道からは進入できないとされているので、カーナビの経路には注意したい。川棚駅まではJR長崎駅から大村線の快速で約1時間、ハウステンボス駅からは約11分。長崎空港からは西肥バスの特急で約40分の「川棚」下車となる。

見学の際の写真撮影について、ロケや作品撮りなどの撮影には川棚町役場への申請が必要と案内されている。アニメ映画『バケモノの子』の場面のモデルとして知られ、映画『祈り-幻に長崎を想う刻-』の主なロケ地にもなった場所で、撮影目的の来訪は多い。個人の記念撮影の扱いに不安があれば、町へ確認しておくと確実である。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場射場
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015106
国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場突堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015107
国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場機械室及び水雷調整室
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015108
国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015109
国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場観測所
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015110
川棚町:国登録有形文化財(建造物)旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場保存活用計画
https://www.kawatana.jp/cat03/c3-03/post_732/index.html
川棚町観光ガイド:魚雷発射試験場跡
https://www.kawatana.jp/kankou/2010/12/post-24.html
川棚町観光ガイド:戦時遺構めぐり(戦時遺構ガイド・ボランティアガイドマニュアル)
https://www.kawatana.jp/kankou/wartime-ruins/
川棚町観光ガイド:アクセスマップ
https://www.kawatana.jp/kankou/access/index.html
ながさき旅ネット:歴史の流れを感じる旅~片島公園「川棚魚雷発射試験場跡」
https://www.nagasaki-tabinet.com/blog/tabibu/milk/202110/2

最終更新日: 2026.09.25

基本情報

名称旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場
所在地長崎県東彼杵郡川棚町三越郷字片島
所有者川棚町
指定登録有形文化財 5件
座標33.04876, 129.84270