燃料を納めた小さな石の蔵

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫は、長崎県東彼杵郡川棚町三越郷の片島に大正7年(1918年)に建てられた燃料用の格納庫で、令和6年(2024年)8月15日に国の登録有形文化財に登録された。機械室及び水雷調整室の南側に立つ石造平屋建で、桁行5.5メートル、梁間3.7メートル。建築面積は文化庁の記載で20平方メートルである。

魚雷は燃料を燃やして走る。その燃料を保管するのがこの建物の役目で、文化庁は魚雷の試射の仕組みに欠かせない施設の一つと位置づけている。隣の機械室及び水雷調整室で魚雷に燃料を積み込む流れを考えると、両者が近くに置かれている理由が分かる。

屋根は切妻造、出入口は妻側に開く妻入で、東面に入口、西面に窓がある。もとは瓦葺きだったが、屋根の骨組みは失われ、瓦の一部が周囲に残されている。

丁寧な石積みが評価された

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫の外壁は、機械室及び水雷調整室と同じ凝灰岩の針尾石を、割れ肌の仕上げで精緻に積み上げている。隅は長い石と短い石を交互に組む算木積で固め、目地はモルタルで埋めてある。目地切れはなく、残りはよい。

文化庁が「丁寧なつくり」と評するのは、細部まで石で仕上げている点にある。軒先の鼻隠しや破風の形も石を研ぎ出して一体に造っており、木や板金に頼っていない。

内壁はモルタル塗りで、南北の壁には3段の棚の跡が残る。燃料の容器を並べた棚だったと考えられる。

針尾送信所との共通点

佐世保市の針尾送信所には、大正11年(1922年)に建てられた油庫がある。石材の種類も大きさも旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫とよく似ており、町の保存活用計画は、佐世保鎮守府の中で油庫の意匠が統一されていたと考えている。

針尾送信所の油庫より4年早く建ったこの建物は、その統一された型の早い例ということになる。小さな建物だが、鎮守府の施設がどのように設計されていたかを知る手がかりになる。

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫は目立つ建物ではなく、大きな機械室及び水雷調整室の陰に隠れるように立つ。見過ごさないよう、機械室の南側に回り込んで探したい。

見学の条件

旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫は片島公園の中にあり、外観は無料で見学できる。文化庁のデータベースは北西面を代表写真にしている。この角度からは切妻の妻壁と隅の算木積がよく見える。

屋根が無いため、東面の入口の外から内部の棚の跡をうかがうことができる。石積みの目地から植物が生えている箇所があり、町は日常の管理で除去を進めている。壁に登ったり石に触れたりしないこと。

片島公園への行き方と見学全般の条件は、旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場のページにまとめてある。

Q&A

Q旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫は何のための建物ですか?
A魚雷の燃料を保管する格納庫です。魚雷の試射の仕組みに欠かせない施設の一つとされています。
Q旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫はどこにありますか?
A片島公園の中、機械室及び水雷調整室の南側です。大きな機械室の陰にあるので、南側に回り込むと見つかります。
Q旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫の見どころは?
A割れ肌仕上げの凝灰岩を精緻に積んだ壁と、隅の算木積、石で造られた破風です。内部には3段の棚の跡が残ります。
Q旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫の中は見られますか?
A屋根が失われているため、東面の入口の外から内部の棚の跡をうかがえます。石積みを傷めないよう、外から見学してください。
Q旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫が登録有形文化財になったのはいつですか?
A令和6年(2024年)8月15日です。射場など4施設とあわせて登録されました。

基本情報

名称旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫
所在地長崎県東彼杵郡川棚町三越郷字片島174
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和6年(2024年)8月15日登録
員数1棟
寸法石造平屋建、建築面積20平方メートル
所有者川棚町
公開状況片島公園内。外観見学自由(無料)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場油庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015109
川棚町:国登録有形文化財(建造物)旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場保存活用計画
https://www.kawatana.jp/cat03/c3-03/post_732/index.html
川棚町観光ガイド:魚雷発射試験場跡
https://www.kawatana.jp/kankou/2010/12/post-24.html

最終更新日: 2026.09.25