堀井家住宅とは

堀井家住宅は、奈良県桜井市穴師にある屋敷で、江戸末期(1830〜1867年)の離れ・粉挽小屋・米蔵と、昭和7年(1932年)頃の主屋・長屋門・塀のあわせて6件が、平成16年(2004年)3月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された(文化庁)。読みは「ほりいけじゅうたく」。

6件は第41回の登録で、登録番号は29-0083から29-0088までの連番になっている(文化庁)。奈良県がまとめた県内の登録有形文化財の一覧でも、「堀井家住宅主屋ほか5件」として桜井市穴師の項に6件で載る。

屋敷は奈良盆地の東の縁、三輪山を東に望む穴師の集落にあり、主屋はその三輪山に正面を向けて建つ(文化庁)。屋敷の前を流れるのは穴師川である。

屋敷の配置

文化庁の解説を突き合わせると、各棟の位置関係がおおよそ読み取れる。屋敷の正面は東で、敷地東辺のほぼ中央に長屋門が開き、門の前を穴師川が流れる。長屋門からは塀が北へ延びて矩折に曲がり、屋敷の東辺と北辺を囲う。

主屋は東を正面とし、その北妻側に離れが廊下でつながる。主屋の南妻側には粉挽小屋が建ち、街路に面した東の妻面に水路を引き込んでいた。屋敷の西辺は、桁行21メートルの長い米蔵が区画する。離れと土蔵の間にも、もう一筋の塀が設けられている。

二つの時代が重なる屋敷

6件の年代ははっきり二つに分かれる。離れ・粉挽小屋・米蔵の3棟が江戸末期(1830〜1867年)、主屋・長屋門・塀が昭和7年(1932年)頃である(文化庁)。年代だけを並べると、住まいの中心と屋敷の正面の構えを昭和の初めに新しくし、その周りに江戸末期の座敷・作業小屋・蔵が残った姿になる。

粉挽小屋の解説によれば、水路に据えた水車の動力で油を絞り、米を搗き、三輪素麺の原材料なども挽いていた(文化庁)。この屋敷が住まいであると同時に、土地の生業を支える作業場でもあったことが分かる。

登録の基準は、主屋と離れが「造形の規範となっているもの」、長屋門・粉挽小屋・米蔵・塀の4件が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である(文化庁)。

  • 主屋:昭和7年(1932年)、木造2階建、瓦葺、建築面積223平方メートル(29-0083)
  • 離れ:江戸末期、木造平屋建、瓦葺、建築面積35平方メートル(29-0084)
  • 長屋門:昭和7年(1932年)、木造平屋建、瓦葺、建築面積27平方メートル(29-0085)
  • 粉挽小屋:江戸末期、木造平屋建、鉄板葺、建築面積60平方メートル(29-0086)
  • 米蔵:江戸末期、土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積110平方メートル(29-0087)
  • 塀:昭和7年(1932年)頃、木造、瓦葺、延長30メートル(29-0088)

見学について

堀井家住宅の一般公開について、文化庁・奈良県の資料に案内は見当たらず、2026年10月時点で公開日や見学の受付を示す公的な情報は確認できなかった。文化庁データベースの所有者欄も空欄である。訪ねる場合は敷地に入らず、道から眺めるにとどめたい。

最寄り駅はJR桜井線(万葉まほろば線)の巻向駅で、屋敷は駅から東へ直線で約1.2キロのところにある(所在地の座標から求めた概算)。

参考文献

堀井家住宅主屋(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004020
堀井家住宅離れ(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004021
堀井家住宅長屋門(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004022
堀井家住宅粉挽小屋(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004023
堀井家住宅米蔵(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004024
堀井家住宅塀(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004025
奈良県内 登録有形文化財の状況(奈良県)
https://www.pref.nara.lg.jp/documents/25010/20260707102839.pdf

最終更新日: 2026.10.20

基本情報

名称堀井家住宅
所在地奈良県桜井市穴師1-1
指定登録有形文化財 6件
座標34.54234, 135.85336